菜根譚 / 前集
父慈子孝,兄友弟恭,縱做到極處,俱是合當如此,著不得一毫感激的念頭。如施者任德,受者懷恩,便是路人,便成市道矣。
新字:父慈子孝,兄友弟恭,縦做到極処,倶是合当如此,著不得一毫感激的念頭。如施者任徳,受者懐恩,便是路人,便成市道矣。
書き下し
父慈に子孝、兄友に弟恭は、縦い極処に做到するも、俱に是れ合当に此くの如くなるべし。一毫の感激の念頭も著(つ)け得ず。如し施す者、徳に任じ、受くる者、恩に懐かば、便ち是れ路人、便ち市道と成らん。
現代語訳
父が慈しみ子が孝行し、兄が友愛し弟が恭しくするのは、たとえ極致に達しても、みな当然そうあるべきことだ。一毛ほどの感謝の念も付け加えてはならない。もし施す者が徳を誇り、受ける者が恩に感じれば、たちまち他人となり、たちまち商売の道となる。
解説
家族の間で、親が子を慈しみ、子が親を敬い、兄弟が互いに思いやるのは、たとえそれが最高の形であっても、当然そうあるべきことです。そこに「恩を着せる」気持ちや「過度な感謝を求める」気持ちが少しでも入ると、関係性はたちまち他人行儀なものになり、まるで商売のような利害関係に変わってしまいます。見返りを求めず、与え合うことが自然である関係性こそが、家族や本当に親しい間柄の豊かさです。当たり前を当たり前として受け入れ、無償の愛や支え合いを大切にすることが、絆を深める秘訣なのです。
この章句が説くこと
俱是合当如此著不得一毫感激的念頭倶是合当如此著不得一毫感激的念頭便是路人便成市道矣思いやり
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