菜根譚 / 前集
士君子持身不可輕,輕則物能撓我,而無悠閑鎮定之趣;用意不可重,重則我為物泥,而無瀟灑活潑之機。
新字:士君子持身不可軽,軽則物能撓我,而無悠閑鎮定之趣;用意不可重,重則我為物泥,而無瀟灑活溌之機。
書き下し
士君子は身を持するに軽かるべからず。軽ければ則ち物は能く我を撓(みだ)し、而して悠閑鎮定の趣無し。意を用うるに重かるべからず。重ければ則ち我は物の為に泥(なず)み、而して瀟灑活潑の機無し。
現代語訳
士君子は、身の処し方を軽くしてはならない。軽ければ、物が自分を乱し、ゆったり落ち着いた趣がない。心の用い方を重くしてはならない。重ければ、自分が物にとらわれ、さっぱり活き活きした働きがない。
解説
私たちは、外見や行動において軽々しく振る舞うべきではありません。軽率さは、周囲の出来事に翻弄され、落ち着きを失う原因となります。しかし、心の中では物事を重く受け止めすぎてはいけません。心が重すぎると、些細なことに囚われ、柔軟な発想や活発な行動ができなくなります。外に対しては毅然とした態度で、内面はしなやかに保つ。この二つのバランスが、日々の生活や仕事において、私たちを自由で力強くします。
この章句が説くこと
持身不可軽軽則物能撓我用意不可重重則我為物泥君子
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