菜根譚 / 前集
夜深人靜,獨坐觀心,始覺妄窮而真獨露,每於此中得大機趣;既覺真現而妄難逃,又於此中得大慚忸。
新字:夜深人静,独坐観心,始覚妄窮而真独露,毎於此中得大機趣;既覚真現而妄難逃,又於此中得大慚忸。
書き下し
夜深く人静かに、独り坐して心を観る。始めて妄窮まりて真独り露るるを覚ゆ。毎に此の中に於て大機趣を得たり。既に真現れて妄逃れ難きを覚ゆ。又た此の中に於て大慚忸を得たり。
現代語訳
夜が更けて人が静まり、独り座して心を観る。初めて妄念が尽きて真実が独り現れるのを感じる。いつもこの中で大きな趣を得る。やがて真実が現れても妄念が逃れがたいことに気づく。またこの中で大きな恥じ入る思いを得る。
解説
リーダーにとって、自己省察は不可欠ですが、その過程には深い洞察が求められます。心を静めて内省すると、一時的に雑念が消え、真実が見えたような感覚に陥ることがあります。しかし、さらに深く見つめれば、自身の偏見や思い込みといった「妄念」が根強く残っていることに気づき、謙虚な「恥じ入る思い」が生まれるでしょう。この「悟りの次の段階」を認識し、常に自己を疑い続ける姿勢こそが、真の成長と賢明な意思決定に繋がります。
この章句が説くこと
独坐観心既覚真現而妄難逃又於此中得大慚忸悟りの次の段階成長自己認識自省
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