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呂氏春秋 / 務大②

孔子曰:「燕爵爭善處於一屋之下,母子相哺也,區區焉相樂也,自以為安矣。灶突決,上棟焚,燕爵顏色不變,是何也?不知禍之將及之也,不亦愚乎!為人臣而免於燕爵之智者寡矣。夫為人臣者,進其爵祿富貴,父子兄弟相與比周於一國,區區焉相樂也,而以危其社稷,其為灶突近矣,而終不知也,其與燕爵之智不異。故曰:『天下大亂,無有安國;一國盡亂,無有安家;一家盡亂,無有安身』,此之謂也。故細之安,必待大;大之安,必待小。細大賤貴,交相為贊,然後皆得其所樂。」

新字:孔子曰:「燕爵争善処於一屋之下,母子相哺也,区区焉相楽也,自以為安矣。灶突決,上棟焚,燕爵顏色不変,是何也?不知禍之将及之也,不亦愚乎!為人臣而免於燕爵之智者寡矣。夫為人臣者,進其爵祿富貴,父子兄弟相与比周於一国,区区焉相楽也,而以危其社稷,其為灶突近矣,而終不知也,其与燕爵之智不異。故曰:『天下大乱,無有安国;一国尽乱,無有安家;一家尽乱,無有安身』,此之謂也。故細之安,必待大;大之安,必待小。細大賤貴,交相為賛,然後皆得其所楽。」

書き下し

孔子曰く、「燕爵、善處を一屋の下に爭い、母子相哺し、區區焉として相樂しみ、自ら以て安しと為す。竈突決し、火上り棟を焚くも、燕爵、顏色變ぜざるは、是れ何ぞや。禍いの將に之に及ばんとするを知らざればなり。亦た愚かならずや。人臣と為りて、燕爵の智を免るる者寡し」。夫れ人臣為る者は、其れ爵祿富貴を進め、父子兄弟相與に一國に比周し、區區焉として相樂しみ、而して以て其の社稷を危うくす。其の竈突為るや近し。而れども終に知らざるなり、其れ燕爵の智と異ならず。故に曰く、「天下大いに亂るれば、安國有る無く、一國盡く亂るれば、安家有る無く、一家盡く亂るれば、安身有る無し。」此を之れ謂うなり。故に細の安きは、必ず大を待ち、大の安きは、必ず小を待つ。細大賤貴、交々贊くるを相為し、然る後皆其の樂しむ所を得。

現代語訳

孔子が言った。『ツバメやスズメは一軒の家の下で良い巣場所を争い、母鳥と子が餌を与え合い、ささやかに楽しみ合って、自分たちは安全だと思い込んでいる。だが煙突が壊れ、火が燃え上がって棟木を焼いても、ツバメやスズメは顔色一つ変えない。これはなぜか。災いが自分たちに及ぼうとしているのを知らないからだ。何と愚かではないか。臣下となってこのツバメやスズメの知恵(の程度)を免れる者は少ない』と。そもそも臣下たる者は、爵位や俸禄・富貴を進んで求め、父子兄弟がこぞって一国内で徒党を組み、ささやかに楽しみ合いながら、その国家(社稷)を危うくする。それは燃える煙突のそばにいるようなものなのに、ついに気づかない。まさにツバメやスズメの知恵と変わらない。だから『天下が大乱すれば安泰な国はなく、一国が乱れきれば安泰な家はなく、一家が乱れきれば安泰な身はない』というのは、このことを指す。ゆえに小さきものの安泰は必ず大きなものにより、大きなものの安泰は必ず小さなものによる。小と大、賤と貴とが互いに助け合ってこそ、みなその楽しむところを得られるのである。

解説

孔子のことばを引き、目先の安楽に安住して大局の危機に気づかない愚かさを、燃える家の中で楽しむツバメ・スズメにたとえて戒めます。臣下が私腹を肥やし身内で徒党を組んで国家を危うくする姿は、まさにこの鳥と同じだというのです。呂氏春秋は個と全体が不可分だという政治観を持ち、天下が乱れれば国も家も身も安泰でありえないと説きます。小と大、賤と貴が互いに支え合ってこそ全体が安んじるという発想は、部分最適に陥る危うさを鋭く突いています。全体の健全さなくして個人の幸福はないというこの視点は、組織や社会と個人の関係を考える現代にも、そのまま当てはまる警句です。

この章句が説くこと

孔子燕雀社稷比周細大全体と個

この一句を、あなたの毎日に。

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