呂氏春秋 / 愼小③
衛獻公戒孫林父、甯殖食。鴻集于囿,虞人以告,公如囿射鴻。二子待君,日晏,公不來至,來不釋皮冠而見二子。二子不說,逐獻公,立公子黚。衛莊公立,欲逐石圃,登臺以望,見戎州而問之曰:「是何為者也?」侍者曰:「戎州也。」莊公曰:「我姬姓也。戎人安敢居國?」使奪之宅,殘其州。晉人適攻衛,戎州人因與石圃殺莊公,立公子起。此小物不審也。人之情不蹙於山,而蹙於垤。
新字:衛献公戒孫林父、甯殖食。鴻集于囿,虞人以告,公如囿射鴻。二子待君,日晏,公不来至,来不釈皮冠而見二子。二子不説,逐献公,立公子黚。衛荘公立,欲逐石圃,登台以望,見戎州而問之曰:「是何為者也?」侍者曰:「戎州也。」荘公曰:「我姫姓也。戎人安敢居国?」使奪之宅,残其州。晋人適攻衛,戎州人因与石圃殺荘公,立公子起。此小物不審也。人之情不蹙於山,而蹙於垤。
書き下し
衛の獻公、孫林父・甯殖に食を戒む。鴻、囿に集まる。虞人以て告ぐ。公囿に如きて鴻を射る。二子君を待ちて、日晏るるも、公來たり至らず。來たり皮冠を釋かずして二子を見る。二子說ばず。獻公を逐いて、公子黚を立つ。衛の莊公立ち、石圃を逐わんと欲す。臺に登りて以て望み、戎の州を見て之を問いて曰く、「是れ何為る者ぞ。」侍者曰く、「戎の州なり。」莊公曰く、「我は姬姓なり。戎人安くんぞ敢て國に居らん。」之が宅を奪い、其の州を殘わしむ。晉人適々衛を攻む。戎の州の人、因りて石圃と與に莊公を殺し、公子起を立つ。此れ小物審まざればなり。人の情は山に蹙かずして、垤に蹙く。
現代語訳
衛の献公が孫林父・甯殖に食事を約束して招いた。鴻(おおとり)が囿(狩り場)に集まり、虞人(狩り場番)が告げると、公は囿に行って鴻を射た。二人は君を待ったが日が暮れても公は来ず、来ても皮の狩り冠を脱がずに二人に会った。二人は不快になり、献公を追放して公子黚を立てた。衛の荘公が立ち、石圃を追放しようとした。台に登って眺め、戎の集落を見て問うた。「あれは何者か」。侍者が「戎の集落です」と答えた。荘公は「私は姫姓だ。戎人がどうして国内に住めようか」と言い、その宅地を奪ってその集落を破壊させた。晋人がちょうど衛を攻めると、戎の集落の人が石圃と共に荘公を殺し、公子起を立てた。これは小さな物事を慎まなかったからだ。人の心情は、山にはつまずかず、蟻塚につまずく。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』哀公十七年 衛の荘公の最期十一月、衛侯、鄄より入る。般師出づ。初め、公、城に登りて以て望み、戎州を見る。之を問ふ。以て告ぐ。公曰く、「我は姬姓なり。何の戎か焉に有らん」と。之を翦る。公、匠を使ふこと久し。公、石圃を逐はんと欲す。未だ及ばずして難作る。辛巳、石圃、匠氏に因りて公を攻む。公、門を闔ぢて請ふ。許さず。北方に踰えて隊ち、股を折る。戎州の人之を攻む。大子疾・公子青、踰えて公に從ふ。戎州の人之を殺す。公、戎州の己氏に入る。初め、公、城上より己氏の妻の髮の美なるを見、之を髡らしめて、以て呂姜の鬄と為す。既に焉に入りて、之に璧を示して曰く、「我を活かさば、吾、女に璧を與へん」と。己氏曰く、「女を殺さば、璧其れ焉くにか往かん」と。遂に之を殺して、其の璧を取る。衛人、公孫般師を復して之を立つ。
-
『春秋左氏伝』襄公十四年 巧言の卒章衛の獻公、孫文子・甯惠子を戒めて食せしむ。皆服して朝す。日旰るるまで召さずして、鴻を囿に射る。二子之に從ふ。皮冠を釋かずして之と言ふ。二子怒る。孫文子、戚に如く。孫蒯入りて使ひす。公之に酒を飲ましめ、大師をして巧言の卒章を歌はしむ。大師辭す。師曹請ひて之を為す。初め、公に嬖妾有り、師曹をして之に琴を誨へしむ。師曹之を鞭うつ。公怒りて、師曹を鞭うつこと三百。故に師曹之を歌ひ、以って孫子を怒らせ、以って公に報いんと欲す。公之を歌はしむ。遂に之を誦す。蒯懼れて文子に告ぐ。文子曰く、「君我を忌めり。先んぜずんば、必ず死せん」と。帑を戚に并せて、入りて蘧伯玉に見えて曰く、「君の暴虐は、子の知る所なり。大いに社稷の傾覆を懼る。將に之を若何せんとする」と。對へて曰く、「君其の國を制す。臣敢へて之を奸さんや。之を奸すと雖も、庸ぞ愈れるを知らんや」と。遂に行き、近關より出づ。公、子蟜・子伯・子皮をして孫子と丘宮に盟はしむ。孫子皆之を殺す。
-
『春秋左氏伝』襄公七年 臣と為りて君たり衛の孫文子來聘す。且つ武子の言を拜して、孫桓子の盟を尋(あたた)む。公登れば亦た登る。叔孫穆子相たり。趨り進みて曰く、「諸侯の會に、寡君未だ嘗て衛君に後れず。今、吾子寡君に後れず。寡君未だ過つ所を知らず。吾子其れ少しく安んぜよ」と。孫子辭無く、亦た悛(あらた)むる容無し。穆叔曰く、「孫子必ず亡びん。臣と爲りて君たり、過ちて悛めず、亡の本なり。詩に曰く、『退食して公よりす、委蛇(いい)たり委蛇たり』と。從ふ者を謂ふなり。衡にして委蛇たらば必ず折れん」と。楚の子囊、陳を圍む。鄬(い)に會して以て之を救ふ。鄭の僖公の大子たるや、成の十六年に於て、子罕と晉に適き、焉を禮せず。又子豐と楚に適き、亦た焉を禮せず。其の元年に及び、晉に朝す。子豐、諸を晉に愬へて之を廢せんと欲す。子罕之を止む。將に鄬に會せんとするに及び、子駟相たり。又焉を禮せず。侍者諫む。聽かず。又諫む。之を殺す。鄵(そう)に及び、子駟、賊をして夜に僖公を弒せしめて、瘧疾を以て諸侯に赴す。簡公生まれて五年なり。奉じて之を立つ。陳人、楚を患ふ。慶虎・慶寅、楚人に謂ひて曰く、「吾、公子黃をして往かしめん。而(なんぢ)之を執へよ」と。楚人之に從ふ。二慶、使をして陳侯に會に告げしめて曰く、「楚人、公子黃を執へたり。君若し來らずんば、群臣社稷宗廟に忍びず、二圖有らんことを懼る」と。陳侯逃れ歸る。
-
『新書』春秋衛の懿公は鶴を喜び、鶴に飾るに文繡を以てする者有り。賦斂繁多にして其の民を顧みず、優を貴びて大臣を軽んず。群臣或いは諫むれば、則ち面して之を叱る。翟の衛を伐つに及び、寇城堞を挟むに、衛君涙を垂れて其の臣民に拝して曰く、「寇迫れり、士民其れ之を勉めよ」と。士民曰く、「君亦た君の貴ぶ優をして、君の愛する鶴を将いて、以て君が為に戦わしめよ。我が儕は棄てられし人なり、安んぞ能く守戦せん」と。乃ち門を潰して出で走る。翟寇遂に入り、衛君奔りて死し、遂に其の国を喪う。故に賢主は、草木禽獣を以て人民を妨害せず、忠正を進め邪偽を遠ざく。故に民は順い附きて臣下は用を為す。今人民を釈きて鳥獣を愛し、忠道を遠ざけて優笑を貴ぶは、反ること甚だし。人主の人主たるや、挙錯して僨れざるは、賢に杖ればなり。今其の主とする所に倍き、其の杖る所を棄つ。其の僨仆するや、亦た宜ならずや。語に曰く、「禍出づる者は禍反り、人を悪む者は人も亦た之を悪む」と。管子曰く、「其の野を行かずんば、其の馬に違わず」と。此れ其の馬に違う者なり。
-
史記 衛康叔世家二子之に従ふ。公射服を釈かずして之と言ふ。二子怒り、宿に如く。孫文子の子数々公に侍りて飲む。師曹をして巧言の卒章を歌はしむ。師曹又公の嘗て笞うつこと三百なりしを怒り、乃ち之を歌ひ、以て孫文子を怒らしめ、衛の献公に報いんと欲す。文子蘧伯玉に語る。伯玉曰く、「臣知らざるなり」と。遂に攻めて献公を出す。献公斉に奔る。斉衛の献公を聚邑に置く。孫文子・甯恵子共に定公の弟秋を立てて衛君と為す。是を殤公と為す。殤公秋立ち、孫文子林父を宿に封ず。十二年、甯喜孫林父と寵を争ひて相悪む。殤公甯喜をして孫林父を攻めしむ。林父晋に奔り、復た故の衛の献公を入れんことを求む。献公斉に在り、斉の景公之を聞き、衛の献公と晋に如きて入らんことを求む。晋為に衛を伐ち、誘ひて与に盟ふ。衛の殤公晋の平公に会す。平公殤公と甯喜とを執へて復た衛の献公を入る。献公亡げて外に在ること十二年にして入る。献公の後の元年、甯喜を誅す。三年、呉の延陵季子使ひして衛を過ぎ、蘧伯玉・史(史鰌)を見て曰く、「衛は君子多し。其の国故無からん」と。宿を過ぐ。孫林父為に磬を撃つ。曰く、「楽しからず。音大いに悲し。衛をして乱れしむるは乃ち此なり」と。是の年、献公卒し、子の襄公悪立つ。襄公の六年、楚の霊王諸侯を会す。襄公病と称して往かず。九年、襄公卒す。初め、襄公に賤妾有り、之を幸し、身有り。夢に人有りて謂ひて曰く、「我は康叔なり。若が子をして必ず衛を有たしめん。而の子に名づけて元と曰へ」と。妾之を怪しみ、孔成子に問ふ。成子曰く、「康叔は衛の祖なり」と。子を生むに及びて、男なり。以て襄公に告ぐ。襄公曰く、「天の置く所なり」と。之に名づけて元と曰ふ。襄公の夫人子無し。是に於て乃ち元を立てて嗣と為す。是を霊公と為す。四十二年春、霊公郊に游び、子郢をして仆たらしむ。郢は霊公の少子なり。字は子南。
-
呂氏春秋・期賢②趙簡子晝居し、喟然として太息して曰く、「異なるかな。吾、衛を伐たんと欲すること十年、而るに衛伐たず。」侍者曰く、「趙の大を以て、而して衛の細を伐つ、君若し欲せずんば則ち可なり。君若し之を欲せば、請う令して之を伐たんことを。」簡子曰く、「而の言の如からざるなり。衛に士十人有り、吾が所に於り。吾乃ち且に之を伐たんとすれば、十人の者、其の不義を言うなり。而して我之を伐たば、是れ我不義を為すなり。」故に簡子の時、衛十人の者を以て趙の兵を按じ、簡子の身を歿せしめたり。衛は人を用うることを知れりと謂う可し。十士を遊ばして、國家安きを得たり。簡子は好く諫に從えりと謂う可し。十士に聽きて小を侵し弱を奪うの名無し。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る