呂氏春秋 / 別類③
相劍者曰:「白所以為堅也,黃所以為牣也,黃白雜則堅且牣,良劍也。」難者曰:「白所以為不牣也,黃所以為不堅也,黃白雜則不堅且不牣也。又柔則錈,堅則折。劍折且錈,焉得為利劍?」劍之情未革,而或以為良,或以為惡,說使之也。故有以聰明聽說則妄說者止,無以聰明聽說則堯、桀無別矣。此忠臣之所患也,賢者之所以廢也。
新字:相剣者曰:「白所以為堅也,黄所以為牣也,黄白雑則堅且牣,良剣也。」難者曰:「白所以為不牣也,黄所以為不堅也,黄白雑則不堅且不牣也。又柔則錈,堅則折。剣折且錈,焉得為利剣?」剣之情未革,而或以為良,或以為悪,説使之也。故有以聰明聴説則妄説者止,無以聰明聴説則堯、桀無別矣。此忠臣之所患也,賢者之所以廃也。
書き下し
劍を相する者曰く、「白は堅と為す所以なり、黃は牣と為す所以なり。黃白雜われば則ち堅且つ牣、良劍なり。」難ずる者曰く、「白は牣ならずと為す所以なり。黃は堅ならずと為す所以なり。黃白雜われば則ち堅ならず且つ牣ならざるなり。又柔なれば則ち錈り、堅なれば則ち折る。劍折れ且つ錈れば、焉んぞ利劍と為すことを得ん。」劍の情未だ革まらずして、或いは以て良と為し、或いは以て惡と為すは、說、之を使しむるなり。故に聰明を以て說を聽くこと有れば、則ち妄說する者止み、聰明を以て說を聽くこと無ければ、則ち堯・桀も別無し。此れ忠臣の患うる所なり。賢者の廢せらるる所以なり。
現代語訳
剣を鑑定する者が言った。「白い部分は堅さのもと、黄の部分はしなやかさのもと。黄と白が交じれば堅くてしなやか、これが良剣だ」。反論する者が言った。「白はしなやかでないもと、黄は堅くないもと。黄と白が交じれば堅くもなくしなやかでもない。さらに柔らかければ曲がり、堅ければ折れる。曲がって折れる剣が、どうして良剣であろうか」。剣の実体は変わらないのに、あるいは良いとされ、あるいは悪いとされるのは、弁舌がそうさせるのだ。だから聡明さをもって説を聴けば、でたらめな説は止むが、聡明さなく説を聴けば、堯と桀の区別もつかなくなる。これこそ忠臣が憂えるところ、賢者が退けられる原因である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・疑似①人をして大いに迷惑せしむる者は、必ず物の相似たるものなり。玉人の患うる所は、石の玉に似たる者を患う。劍を相する者の患うる所は、劍の呉干に似たる者を患う。賢主の患うる所は、人の博聞辯言にして通ずるに似たる者を患う。亡國の主は智に似、亡國の臣は忠に似る。相似るの物は、此れ愚者の大いに惑う所にして、聖人の慮を加うる所なり。故に墨子、歧道を見て之を哭す。
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呂氏春秋・別類①知らざることを知るは上なり。過つ者の患は、知らずして自ら以て知ると為すなり。物、然るに類て然らざるもの多し。故に亡國僇民已むこと無し。夫れ草には莘有り藟有り、獨り之を食えば則ち人を殺し、合して之を食えば則ち壽を益す。萬堇は殺さず。漆は淖、水も淖なり、兩淖を合すれば則ち蹇と為り、之を溼せば則ち乾と為る。金は柔に、錫も柔なり。兩柔を合すれば則ち剛と為り、之を燔けば則ち淖と為る。或いは溼して乾き、或いは燔きて淖す。類は固より必ならず、推して知る可けんや。小方は大方の類なり。小馬は大馬の類なり。小智は大智の類に非ざるなり。
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呂氏春秋・察今③夫れ敢て法を議せざる者は、衆庶なり。死を以て守る者は、有司なり。時に因り法を變ずる者は、賢主なり。是の故に天下を有てる七十一聖の、其の法は皆同じからざるは、務めて相反するに非ざるなり。時勢の異なればなり。故に曰く、「良劍は斷ずるを期して、鏌邪を期せず。良馬は千里を期して、驥驁を期せず。」夫れ功名を成す者は、此れ先王の千里なり。楚人に江を渉る者有り。其の劍、舟中自り水に墜ち、遽に其の舟に契みて曰く、「是れ吾が劍の從りて墜つる所なり。」舟止まり、其の契みし所の者に從り、水に入りて之を求む。舟は已に行けども、劍は行かず。劍を求むること此くの若きは、亦た惑わずや。故法を以て其の國を為むるは此と同じ。時已に徙れども、法は徙らず。此を以て治を為すは、豈に難からずや。江上を過ぐる者有り。人方に嬰兒を引きて之を江中に投ぜんと欲して、嬰兒の啼くを見る。人其の故を問う。曰く、「此れ其の父善く游ぐ。」其の父善く游ぐと雖も、其の子豈に遽に善く游がんや。此れ物を任うるも亦た必ず悖れり。荊國の政を為すや、此に似たる有り。
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呂氏春秋・聽言①言を聽くは察せざる可からず。察せざれば則ち善不善分たず。善不善分たざれば、亂焉より大なるは莫し。三代は善不善を分かつ、故に王たり。今天下彌々衰え、聖王の道廢絕し、世主多く其の歡樂を盛んにす。其の鐘鼓を大にし、其の臺榭苑囿を侈にし、以て人の財を奪い、輕々しく民の死を用いて、以て其の忿りを行う。老弱は凍餒し夭膌し、壯狡は汔盡窮屈し、加うるに死虜を以てす。無辜の國を攻めて以て地を索め、不辜の民を誅して以て利を求め、而して宗廟の安き、社稷の危うからざるを欲するは、亦た難からずや。今人、某氏貨多く、其の室の培は濕し、守狗死せり、其の勢い穴す可きなり、と曰わば、則ち必ず之を非とせん。某國饑え、其の城郭は庳く、其の守具は寡し、襲いて之を篡う可し、と曰わば、則ち之を非とせざらん。乃ち類を知らざるなり。周書に曰く、「往く者は及ぶ可からず、來たる者は待つ可からず。其の世に賢明なる、之を天子と謂う。」故に當今の世、能く善不善を分かつ者有れば、其の王たること難からず。善不善は義に本づき、愛に本づく。愛利の道為るや大なり。夫れ海に流るる者は、之を行くこと旬月にして、人に似たる者を見て喜ぶ。其の期年に及ぶや、其の嘗て物を中國に見たる所の者を見て喜ぶ。夫れ人を去ること滋々久しければ、人を思うこと滋々深きか。亂世の民は其の聖王を去ること亦た久し。其の之を見んことを願うこと、日夜間無し。故に賢王秀士の黔首を憂えんと欲する者は、務めざる可からざるなり。
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呂氏春秋・謹聽②夫れ堯は惡くんぞ賢を天下に得て舜を試いたる、舜惡くんぞ賢を天下に得て禹を試いたる。之を耳に斷ずるのみ。耳の以て斷ず可きや、性命の情に反るなり。今夫の惑う者は、生命の情に反るを知るに非ず、其の次は五帝・三王の成る所以を觀るを知るに非ざるなり。則ち奚ぞ自ら其の世の可ならざるを知らんや。奚ぞ自ら其の身の逮ばざるを知らんや。太上は之を知り、其の次は其の知らざることを知る。知らざれば則ち問い、能わざれば則ち學ぶ。周の箴に曰く、「夫れ自ら斯を念えば、徳に學ぶこと未だ暮からず。」賢に學び問うは、三代の昌えたる所以なり。知らずして自ら以て知ると為すは、百禍の宗なり。名は徒らには立たず、功は自らには成らず、國は虚しくは存せず、必ず賢者有り。賢者の道は、牟として知り難く、妙にして見難し。故に賢者を見て聳まざれば則ち心に惕かず、心に惕かざれば、則ち之を知ること深からず。深くは賢者の言う所を知らず、不祥焉より大なるは莫し。
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荀子・非十二子篇信を信とするは信なり、疑を疑とするも亦(また)信なり。賢を貴ぶは仁なり、不肖を賤しむも亦仁なり。言いて當(あた)るは知なり、默して當るも亦知なり。故に默を知るは猶(な)お言を知るがごとし。故に多く言いて類(るい)するは聖人なり、少なく言いて法あるは君子なり。多少法無くして流湎然(りゅうめんぜん)たるは、辯なりと雖(いえど)も小人なり。故に力を勞して民の務めに當らざる、之を姦事と謂う。知を勞して先王に律(のっと)らざる、之を姦心と謂う。辯説譬諭(へんせつひゆ)、齊給便利にして禮義に順(したが)わざる、之を姦説と謂う。此の三姦は、聖王の禁ずる所なり。知にして險、賊にして神、詐(いつわり)を為して巧み、言用無くして辯、辯惠ならずして察なるは、治の大殃(たいおう)なり。行(おこな)い辟(よこしま)にして堅く、非を飾りて好(よ)しとし、姦を玩(もてあそ)びて澤(たく)あり、言辯にして逆なるは、古の大禁なり。知ありて法無く、勇にして憚(はばか)る無く、察辯にして僻(へき)を操り、淫大にして之を用い、姦を好みて衆と與(とも)にし、利足にして迷い、石を負いて墜つるは、是れ天下の棄つる所なり。