呂氏春秋 / 過理④
宋王築為櫱帝,鴟夷血,高懸之,射著甲冑,從下,血墜流地。左右皆賀曰:「王之賢過湯、武矣。湯、武勝人,今王勝天,賢不可以加矣。」宋王大說,飲酒。室中有呼萬歲者,堂上盡應,堂上已應,堂下盡應,門外庭中聞之,莫敢不應,不適也。
新字:宋王築為櫱帝,鴟夷血,高懸之,射著甲冑,従下,血墜流地。左右皆賀曰:「王之賢過湯、武矣。湯、武勝人,今王勝天,賢不可以加矣。」宋王大説,飲酒。室中有呼万歳者,堂上尽応,堂上已応,堂下尽応,門外庭中聞之,莫敢不応,不適也。
書き下し
宋王、櫱帝を築為し、鴟夷の血、高く之を懸け、射るに甲冑を著て、下從りす。血墜ちて地に流る。左右皆賀して曰く、「王の賢、湯・武に過ぎたり。湯・武は人に勝ち、今、王は天に勝つ。賢なること以て加う可からず。」宋王大いに說び、酒を飲む。室中に萬歲と呼ぶ者有り、堂上盡く應ず。堂上已に應じ、堂下盡く應ず。門外庭中之を聞き、敢て應ぜざる莫きは、不適なり。
現代語訳
宋王は高い台を築き、皮袋に血を入れて高く懸け、甲冑を着けて下から射た。血が落ちて地に流れた。側近たちは皆祝って言った。「王の賢明さは湯王・武王を超えています。湯王・武王は人に勝ちましたが、今、王は天に勝ちました。賢明さはこれ以上加えようがありません。」宋王は大いに喜んで酒を飲んだ。室内で万歳と叫ぶ者があると、堂の上の者が皆唱和し、堂の上が唱和すると堂の下の者が皆唱和し、門の外や庭の者もこれを聞いて、あえて唱和しない者はなかったのは、度を越したことだ。
解説
宋王は血を入れた皮袋を空に懸けて射落とし、天に勝ったと側近に称えられて有頂天になります。万歳の声は室内から堂上・堂下、門外へと連鎖し、誰一人唱和を拒めない異様な熱狂が広がりました。人間の分を超えた驕りと、逆らえない追従の空気が、度を越した状態として描かれます。現代の組織でも、トップの誇大な自己像に周囲が同調し、異論を口にできない空気が生まれれば、判断は歪みます。称賛の合唱に酔わず、誰かが冷静に度を越していると言える健全さが必要だと、この物語は警告しています。
この章句が説くこと
宋王射天おごり同調圧力阿諛過理
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