呂氏春秋 / 貴直③
狐援說齊湣王曰:「殷之鼎陳於周之廷,其社蓋於周之屏,其干戚之音,在人之游。亡國之音,不得至於廟;亡國之社,不得見於天;亡國之器陳於廷,所以為戒。王必勉之。其無使齊之大呂陳之廷,無使太公之社蓋之屏,無使齊音,充人之游。」齊王不受。狐援出而哭國三日,其辭曰:「先出也,衣絺紵;後出也,滿囹圄。吾今見民之洋洋然東走而不知所處。」齊王問吏曰:「哭國之法若何?」吏曰:「斮。」王曰:「行法。」吏陳斧質於東閭,不欲殺之,而欲去之。狐援聞而蹶往過之。吏曰:「哭國之法斮。先生之老歟昏歟?」狐援曰:「曷為昏哉?」於是乃言曰:「有人自南方來,鮒入而鯢居,使人之朝為草而國為墟。殷有比干,吳有子胥,齊有狐援。已不用若言,又斮之東閭。每斮者以吾參夫二子者乎!」狐援非樂斮也,國已亂矣,上已悖矣,哀社稷與民人,故出若言。出若言非平論也,將以救敗也,固嫌於危。此觸子之所以去之也,達子之所以死之也。
新字:狐援説斉湣王曰:「殷之鼎陳於周之廷,其社蓋於周之屏,其干戚之音,在人之游。亡国之音,不得至於廟;亡国之社,不得見於天;亡国之器陳於廷,所以為戒。王必勉之。其無使斉之大呂陳之廷,無使太公之社蓋之屏,無使斉音,充人之游。」斉王不受。狐援出而哭国三日,其辞曰:「先出也,衣絺紵;後出也,満囹圄。吾今見民之洋洋然東走而不知所処。」斉王問吏曰:「哭国之法若何?」吏曰:「斮。」王曰:「行法。」吏陳斧質於東閭,不欲殺之,而欲去之。狐援聞而蹶往過之。吏曰:「哭国之法斮。先生之老歟昏歟?」狐援曰:「曷為昏哉?」於是乃言曰:「有人自南方来,鮒入而鯢居,使人之朝為草而国為墟。殷有比干,呉有子胥,斉有狐援。已不用若言,又斮之東閭。毎斮者以吾参夫二子者乎!」狐援非楽斮也,国已乱矣,上已悖矣,哀社稷与民人,故出若言。出若言非平論也,将以救敗也,固嫌於危。此触子之所以去之也,達子之所以死之也。
書き下し
狐援、齊の湣王に説きて曰く、「殷の鼎は周の廷に陳ねられ、其の社は周の屏に蓋われ、其の干戚の音は、人の游に在り。亡國の音は、廟に至ることを得ず。亡國の社は、天に見わるることを得ず。亡國の器、廷に陳ぬるは、戒めと為す所以なり。王必ず之に勉めよ。其れ齊の大呂をして之を廷に陳ねしむること無く、太公の社をして之を屏に蓋われしむること無く、齊の音をして人の游に充てしむること無かれ。」齊王受けず。狐援出でて國に哭すること三日、其の辭に曰く、「先づ出づるや、絺紵を衣、後れて出づるや、囹圄に満たされん。吾今、民の洋洋然として東に走りて處る所を知らず。」齊王、吏に問いて曰く、「國に哭するの法は若何。」吏曰く、「斮らん。」王曰く、「法を行え。」吏、斧質を東閭に陳ね、之を殺すことを欲せずして、之を去らしめんと欲す。狐援聞きて、蹶往して之に過る。吏曰く、「國に哭するの法斮らる。先生の老たるか昏せるか。」狐援曰く、「曷為れぞ昏せんや。」是に於て乃ち言いて曰く、「人有り、南方自り來たり、鮒入して鯢居す。人の朝をして草と為り、國をして墟と為らしむ。殷に比干有り、呉に子胥有り、齊に狐援有り。已に若き言を用いず、又之を東閭に斮らんとす。斮るに毎る者は、吾を以て夫の二子に參せしむる者か。」狐援は斮らるることを樂しむに非ざるなり。國已に亂れ、上已に悖る。社稷と民人を哀しみ、故に若き言を出だせり。若き言を出だすは平論に非ざるなり。將に以て敗を救わんとするなり。固より危うきに嫌し。此れ觸子の之を去る所以なり、達子の之に死する所以なり。
現代語訳
狐援が斉の湣王に説いて言った。「殷の鼎は周の朝廷に並べられ、その社は周の塀で覆われ、その干戚の舞の音楽は人々の遊興の場にある。滅んだ国の音楽は宗廟に用いられず、滅んだ国の社は天に対して祭られず、滅んだ国の器物が朝廷に並べられるのは、戒めとするためです。王はどうかこれに努めてください。斉の大呂の鐘を他国の朝廷に並べさせず、太公の社を塀で覆わせず、斉の音楽を他国の人々の遊興に供させないように。」斉王は聞き入れなかった。狐援は退出して国のために三日間哭し、その言葉に言った。「先に去る者は粗末な布を着る身分ですむが、後れて去る者は牢獄に満ちることになる。私は今、民が茫然として東へ逃げ、身の置き所を知らぬのを見る。」斉王が役人に「国のために哭する罪の刑罰はどうか」と問うと、役人は「斬罪です」と答えた。王は「法を執行せよ」と言った。役人は斧と台を東の門に据えたが、彼を殺したくなく、立ち去らせようとした。狐援はそれを聞き、つまずきながら行ってそこを通った。役人は「国のために哭する罪は斬罪です。先生は老いたのか、耄碌したのか」と言った。狐援は「なぜ耄碌などしようか」と言い、そこで言った。「南方から来た人があり、小魚のような低い身分で入り込んで大魚のように高位に居座り、人の朝廷を草むらとし、国を廃墟とさせた。殷には比干があり、呉には子胥があり、斉には狐援がある。すでにこの言葉を用いず、また私を東の門で斬ろうとする。斬るたびに、私を彼ら二人に並べさせることになろう。」狐援は斬られるのを楽しんだのではない。国はすでに乱れ、君主はすでに道に背いていた。国家と民を哀れみ、それゆえこの言葉を発したのだ。この言葉を発したのは平生の議論ではなく、破滅を救おうとしたのであり、もとより危険に近いものであった。これが触子が斉を去った理由であり、達子が斉のために死んだ理由である。
解説
この章句が説くこと
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戦国策・齊負郭之民有孤狐咺者齊の負郭の民に孤狐咺という者有り、閔王を正議するに、之を檀衢に斮り、百姓附かず。齊の孫室子陳挙直言するに、之を東閭に殺し、宗族心を離す。司馬穰苴は政を為す者なるも、之を殺し、大臣親しまず。故を以て燕兵を挙げ、昌国君をして将として之を撃たしむ。齊は向子をして将として之に応ぜしむ。齊軍破れ、向子は輿一乘を以て亡ぐ。達子余卒を収め、復た振るい、燕と戦い、償う所以を求むるも、閔王与うるを肯ぜず、軍破れて走る。王莒に奔り、淖歯之を数えて曰く、「夫れ千乘・博昌の間、方数百里、血雨りて衣を沾す、王之を知るか」と。王曰く、「知らず」と。「嬴・博の間、地坼けて泉に至る、王之を知るか」と。王曰く、「知らず」と。「人有り闕に当りて哭する者、之を求むれば則ち得ず、之を去れば則ち其の声を聞く、王之を知るか」と。王曰く、「知らず」と。淖歯曰く、「天の血雨りて衣を沾す者は、天以て告ぐるなり。地の坼けて泉に至る者は、地以て告ぐるなり。人有り闕に当りて哭する者は、人以て告ぐるなり。天地人皆以て告げたるに、王戒むるを知らず、何ぞ誅無きを得んや」と。是に於て閔王を鼓里に殺す。太子乃ち衣を解き服を免れ、太史の家に逃れて園に溉ぐ。君王后は、太史氏の女なり、其の貴人なるを知り、善く之に事う。田単即墨の城を以て、破亡の余卒もて、燕兵を破り、騎劫を紿き、遂に以て齊を復し、遽かに太子を莒に迎え、之を立てて王と為す。襄王位に即くや、君王后以て后と為し、齊王建を生む。
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呂氏春秋・離謂③洧水甚だ大にして、鄭の富人に溺るる者有り。人、其の死者を得たり。富人之を贖わんことを請う。其の人金を求むること甚だ多し。以て鄧析に告ぐ。鄧析曰く、「之を安んぜよ。人必ず之を賣ること莫からん。」死を得たる者之を患う。以て鄧析に告ぐ。鄧析又之に答えて曰く、「之を安んぜよ。此れ必ず更に買う所無からん。」夫れ忠臣を傷つくる者は、此に似たること有るなり。夫れ功無くして民を得ざれば、則ち其れ功無くして民を得ざるを以て之を傷つく。功有りて民を得れば、則ち又其の功有りて民を得るを以て之を傷つく。人主の度無き者、以て此を知ること無し。豈に悲しからずや。比干・萇弘は此を以て死し、箕子・商容は此を以て窮し、周公・召公は此を以て疑われ、范蠡・子胥は此を以て流さる。死生存亡安危は、此れ從り生ず。
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『新書』胎教紂王子比干を殺して箕子は髪を被りて佯狂す。陳の霊公泄冶を殺して鄧元は陳を去りて族を以て徙る。是れより後、殷は周に并され、陳は楚に亡ぶ。其の比干と泄冶とを殺して箕子と鄧元とを失えるを以てなり。燕の昭王郭隗を得て、鄒衍、楽毅斉魏より至る。是に於いて兵を挙げて斉を攻め、閔王を莒に棲ましむ。燕は地を度り衆を計るに、斉と均しからざるなり。然れども信意に此に至る所以の者は、士を得るに由るが故なり。故に常安の国無く、宜しく治まるべき民無し。賢者を得れば顕昌し、賢者を失えば危亡す。古より今に及ぶまで、然らざる者未だ有らざるなり。鑑は形を照らす所以なり、往古は今を知る所以なり。未だ古の危亡する所以を悪むを知らず、其の安存する所以に迹を襲うを務めざれば、則ち未だ却走して前人に及ぶを求むるに異なる有らざるなり。太公之を知る、故に微子の後を国し、比干の墓に封ず。夫れ聖人の聖者の死に於けるや、尚お此くの如く其れ厚し、況んや当世の存する者をや。其れ失う可からず。
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説苑・善說孟嘗君客を齊王に寄す。三年にして用いられず。故に客反りて孟嘗君に謂いて曰く、「君の臣を寄するや、三年にして用いられず。臣の罪を知らざるか、君の過ちか。」孟嘗君曰く、「寡人之を聞く、縷は針に因りて入り、針に因らずんば急ならず。女を嫁するは媒に因りて成り、媒に因らずんば親しまず。夫れ子の材必ず薄からん。尚お何ぞ寡人を怨まんや。」客曰く、「然らず。臣聞く、周氏の嚳、韓氏の盧は天下の疾狗なり。菟を見て指屬すれば、則ち菟を失う無し。望見して狗を放てば、則ち累世菟を得ること能わず。狗能くせざるに非ず、之を屬する者の罪なり。」孟嘗君曰く、「然らず。昔華舟杞梁戰いて死す。其の妻之を悲しみ、城に向いて哭す。隅之が爲に崩れ、城之が爲にす。君子誠に能く內に刑れば、則ち物外に應ず。夫れ土壤すら且つ忠を爲すべし、況んや穀を食む君有るをや。」客曰く、「然らず。臣鷦鷯の葦苕に巢くうを見る。之を髮毛に著け、之を女工に建つるも爲すこと能わず、完堅と謂うべし。大風至れば、則ち苕折れ卵破れ子死する者は何ぞや。其の託する所之をして然らしむるなり。且つ夫れ狐は人の攻むる所なり、鼠は人の燻ずる所なり。臣未だ嘗て稷の狐攻めらるるを見ず、社の鼠燻ぜらるるを見ざるなり。何となれば則ち託する所然るなり。」是に於て孟嘗君復た之を齊に屬す。齊王相と爲さしむ。

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