呂氏春秋 / 疑似②
周宅酆鎬近戎人,與諸侯約,為高葆禱於王路,置鼓其上,遠近相聞。即戎寇至,傳鼓相告,諸侯之兵皆至救天子。戎寇當至,幽王擊鼓,諸侯之兵皆至,褒姒大說,喜之。幽王欲褒姒之笑也,因數擊鼓,諸侯之兵數至而無寇。至於後戎寇真至,幽王擊鼓,諸侯兵不至。幽王之身,乃死於麗山之下,為天下笑。此夫以無寇失真寇者也。賢者有小惡以致大惡。褒姒之敗,乃令幽王好小說以致大滅。故形骸相離,三公九卿出走,此褒姒之所用死,而平王所以東徙也,秦襄、晉文之所以勞王勞而賜地也。
新字:周宅酆鎬近戎人,与諸侯約,為高葆禱於王路,置鼓其上,遠近相聞。即戎寇至,伝鼓相告,諸侯之兵皆至救天子。戎寇当至,幽王擊鼓,諸侯之兵皆至,褒姒大説,喜之。幽王欲褒姒之笑也,因数擊鼓,諸侯之兵数至而無寇。至於後戎寇真至,幽王擊鼓,諸侯兵不至。幽王之身,乃死於麗山之下,為天下笑。此夫以無寇失真寇者也。賢者有小悪以致大悪。褒姒之敗,乃令幽王好小説以致大滅。故形骸相離,三公九卿出走,此褒姒之所用死,而平王所以東徙也,秦襄、晉文之所以労王労而賜地也。
書き下し
周は酆・鎬に宅して戎人に近し。諸侯と約し、高葆禱を王路に為り、鼓を其の上に置き、遠近相聞く。即し戎の寇至れば、鼓を傳ちて相告げ、諸侯の兵皆至りて天子を救う。戎の寇當に至らんとし、幽王鼓を撃ち、諸侯の兵皆至れば、褒姒大いに說びて笑う。幽王、褒姒の笑を欲し、因りて數々鼓を撃ち、諸侯の兵數々至るも寇無し。後に至って戎の寇真に至り、幽王鼓を撃つも、諸侯の兵至らず。幽王の身は、乃ち麗山の下に死して、天下の笑いと為る。此れ夫の無寇を以て真の寇を失う者なり。賢者は小善以て大善を致すこと有り、不肖の者は小惡以て大惡を致すこと有り。褒姒の敗は、乃ち幽王をして小說を好みて以て大滅を致さしむ。故に形骸相離れ、三公九卿出で走る。此れ褒姒の死せし所用にして、平王の東徙せし所以なり。秦襄・晉文の王に勞して地を賜わりし所以なり。
現代語訳
周は酆・鎬に都を置き、戎の民に近かった。そこで諸侯と約束し、王への大道に高い物見のろしの櫓を作り、その上に太鼓を置いて遠近に響かせるようにした。もし戎の敵が攻めて来れば、太鼓を次々に打ち鳴らして知らせ、諸侯の兵が皆やって来て天子を救う仕組みである。あるとき戎の敵が攻めて来ようとして、幽王が太鼓を打つと諸侯の兵が皆集まった。それを見て褒姒は大いに喜んで笑った。幽王は褒姒の笑顔を見たさに、たびたび太鼓を打ち、諸侯の兵は何度も集まったが敵はいなかった。のちに本当に戎の敵が攻めて来て、幽王が太鼓を打っても、諸侯の兵は来なかった。幽王はついに麗山のふもとで殺され、天下の笑いものとなった。これは敵のいない時に太鼓を乱用して、本当の敵の時に救援を失った例である。賢者は小さな善を積んで大きな善をなすことがあり、愚かな者は小さな悪を重ねて大きな悪を招くことがある。褒姒による破滅は、幽王が小さな戯れを好んで大きな滅亡を招いたものである。こうして王朝は崩れ、三公九卿は逃げ散った。これが褒姒の死んだ原因であり、平王が東へ遷都した理由であり、秦の襄公や晋の文公が王に尽くして土地を賜わった理由でもある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 周本紀褒姒笑ふを好まず、幽王之をして万方に笑はしめんと欲するも、故に笑はず。幽王烽燧大鼓を為り、寇の至る有れば則ち烽火を挙ぐ。諸侯悉く至る、至りて寇無く、褒姒乃ち大いに笑ふ。幽王之を説び、数しば烽火を挙ぐ。其の後信ぜず、諸侯益ます亦た至らず。申侯怒り、犬戎と幽王を攻む。幽王烽火を挙げて兵を徴すも、兵至る莫し。遂に幽王を驪山の下に殺す。
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呂氏春秋・壅塞②秦の繆公の時、戎、彊大なり。秦の繆公、之に女樂二八と良宰とを遺る。戎王大いに喜び、其の故を以て、數々飲食し、日夜休まず。左右に秦の寇の至らんことを言う者有り、因りて弓を扞きて之を射る。秦の寇果して至る。戎王醉いて樽下に臥す。卒に生縛して之を擒にせり。未だ擒にせられざれば、則ち知る可からず。已に擒にせらるれば、則ち又知らず。善く說く者と雖も、猶ほ此を若何せん。
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説苑・辨物周の幽王の二年、西周の三川皆震う。伯陽父曰わく、「周将に亡びんとす。夫れ天地の気は其の序を失わず、若し其の序を過ぐれば、民之を乱ればなり。陽伏して出づる能わず、陰迫りて烝(のぼ)る能わず、是に於いて地震有り。今三川震うは、是れ陽其の所を失いて陰を填(しず)むればなり。陽溢れて壮んなれば、陰源必ず塞がり、国必ず亡ぶ。夫れ水土演(の)びて民の用足るなり。土演ぶる所無ければ、民は財用に乏し、亡びざれば何をか待たん。昔伊雒竭れて夏亡び、河竭れて商亡ぶ。今周の徳は二代の季の如し。其の川源塞がれば、塞がれば必ず竭れ、夫れ国は必ず山川に依る。山崩れ川竭るるは、亡の徴なり。川竭るれば山必ず崩る。若し国の亡ぶこと十年を過ぎざれば、数の紀なり。天の棄つる所は紀を過ぎず。」是の歳や、三川竭れ、岐山崩れ、十一年にして幽王乃ち滅び、周乃ち東に遷る。
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呂氏春秋・制樂②周の文王、國に立つこと八年、歲の六月、文王疾に寝ぬ。五日にして地動き、東西南北、國郊を出でず。百吏皆請いて曰く、「臣聞く、地の動くは、人主の為なり、と。今王疾に寝ぬるに五日にして地動き、四面周郊を出でず。群臣皆恐れて、之を移さんことを請う。」文王曰く、「若何にして其れ之を移すや。」對えて曰く、「事を興して衆を動かし、以て國城を増し、其れ以て之を移す可きか。」文王曰く、「不可なり。夫れ天の妖を見すや、以て罪有るを罰するなり。我必ず罪有り。故に天は此を以て我を罰するなり。今故らに事を興し衆を動かして、以て國城を増すは、是れ吾が罪を重ぬるなり。以て之れ昌ゆ可からず。請う、行いを改め善を重ねて以て之を移さん。其れ以て免る可きか。」是に於て其の禮秩皮革を謹み、以て諸侯に交わり、其の辭令幣帛を飭し、以て豪士を禮し、其の爵列等級田疇を頒ち、以て功有るを賞し、遂に群臣に與う。此を行うこと幾何も無くして、疾乃ち止む。文王位に即きて八年にして地動き、已に動くの後四十三年、凡そ文王國に立ちて五十一年にして終わる。此れ文王の殃を止め妖を翦きし所以なり。
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呂氏春秋・貴因②武王、人をして殷を候わしむ。反りて岐周に報じて曰く、「殷は其れ亂れたり。」武王曰く、「其の亂るるや焉にか至る。」對えて曰く、「讒慝、良に勝つ。」武王曰く、「尚ほ未だしきなり。」又復た往きて、反りて報じて曰く、「其の亂るること加われり。」武王曰く、「焉にか至る。」對えて曰く、「賢者出でて走れり。」武王曰く、「尚ほ未だしきなり。」又往き、反りて報じて曰く、「其の亂るること甚だし。」武王曰く、「焉にか至る。」對えて曰く、「百姓敢て誹怨せず。」武王曰く、「嘻。」遽く太公に告ぐ。太公對えて曰く、「讒慝、良に勝つを、命づけて戮と曰い、賢者の出で走るを、命づけて崩と曰い、百姓敢て誹怨せざるを、命づけて刑勝と曰う。其の亂るること至れり。以て駕うる可からず。」故に選車三百・虎賁三千、朝に甲子の期を要して、紂禽と為る。則ち武王は固より其の與に敵為る無きを知るなり。其の用うる所に因らば、何の敵か之れ有らん。
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呂氏春秋・貴因④武王、殷に入り、殷に長者有りと聞く。武王往きて之を見て、殷の亡びし所以を問う。殷の長者對えて曰く、「王之を知らんと欲すれば、則ち請う日中を以て期と為さん。」武王、周公旦と明日早に期を要すれども、則ち得ざるなり。武王之を怪しむ。周公曰く、「吾已に之を知れり。此れ君子なり。其の主に能くせざるを取りて、有た其の惡を以て告ぐるは、為すに忍びざるなり。若し夫れ期して當たらず、言いて信ならざるは、此れ殷の亡びし所以なり、已に此を以て王に告げたり。」