呂氏春秋 / 審爲④
中山公子牟謂詹子曰:「身在江海之上,心居乎魏闕之下,奈何?」詹子曰:「重生。重生則輕利。」中山公子牟曰:「雖知之,猶不能自勝也。」詹子曰:「不能自勝則縱之,神無惡乎。不能自勝而強不縱者,此之謂重傷。重傷之人無壽類矣。」
新字:中山公子牟謂詹子曰:「身在江海之上,心居乎魏闕之下,奈何?」詹子曰:「重生。重生則軽利。」中山公子牟曰:「雖知之,猶不能自勝也。」詹子曰:「不能自勝則縦之,神無悪乎。不能自勝而強不縦者,此之謂重傷。重傷之人無寿類矣。」
書き下し
中山の公子牟、詹子に謂いて曰く、「身は江海の上に在り、心は魏闕の下に居る。奈何にすべき。」詹子曰く、「生を重んぜよ。生を重んずれば則ち利を輕んず。」中山の公子牟曰く、「之を知ると雖も、猶ほ自ら勝うること能わざるなり。」詹子曰く、「自ら勝うること能わざれば、則ち之を縱て。神も惡むこと無からん。自ら勝うること能わずして、強いて縱たざる者は、此を之れ重ねて傷うと謂う。重ねて傷うの人は、壽類無し。」
現代語訳
中山の公子牟が詹子(詹何)に言った。「身は江海のほとりにありながら、心は宮廷(魏闕の下)にある。どうすればよいか。」詹子は「生を重んじよ。生を重んじれば利を軽んじる」と答えた。公子牟は「それは分かっていても、なお自分に打ち克てないのだ」と言った。詹子は「自分に打ち克てないなら、心のままに放っておけ。そうすれば精神も嫌がるまい。打ち克てないのに無理に放たずこらえるのは、これを『重ねて傷つける』という。重ねて傷つける者に長生きした例はない」と言った。
解説
隠遁の身でありながら栄達への未練を断てない公子牟に、詹子が答える問答です。詹子はまず「生を重んじれば利は軽くなる」と説きますが、公子牟は頭で分かっても情欲に勝てないと打ち明けます。すると詹子は、無理に抑え込まず心のままに放て、抑えきれないのに強いてこらえるのは心身を二重に傷つける、と説きます。理性で欲を封じ込めるより、自然に委ねるほうが心身を損なわないのです。過度な自己抑圧の害を突く、道家的な養生観であり、現代のストレスや我慢の問題にも通じる示唆を含みます。
この章句が説くこと
詹子公子牟貴生養生道家自己抑圧
関連する章句
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荘子・譲王中山の公子牟(こうしぼう)瞻子(せんし)に謂いて曰く、「身は江海の上に在り、心は魏闕(ぎけつ)の下に居る。奈何(いかん)せん」と。瞻子曰く、「生を重んぜよ。生を重んずれば則ち利軽し」と。中山の公子牟曰く、「之を知ると雖も、未だ自ら勝つ能わず」と。瞻子曰く、「自ら勝つ能わずんば則ち従え。神に悪(にく)むこと無からんか。自ら勝つ能わずして強いて従わざる者、此を之れ重傷と謂う。重傷の人は、寿類(じゅるい)無し」と。魏牟は、万乗の公子なり。其の巌穴に隠るるや、布衣の士より為し難し。未だ道に至らずと雖も、其の意有りと謂うべし。
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呂氏春秋・審爲①身は為す所なり。天下は為す所以なり。為す所以を審らかにすれば、而ち輕重得。今人此に有り、首を斷ちて以て冠を易え、身を殺ぎて以て衣を易うれば、世必ず之を惑いとせん。是れ何ぞや。冠は首を飾る所以なり。衣は身を飾る所以なり。飾る所を殺ぎて、飾る所以を要むるは、則ち為す所を知らず。世の利に走るは、此に似たる有り。身を危うくし生を傷い、頸を刈り頭を斷て以て利に徇ずるは、則ち亦た為す所を知らざるなり。
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呂氏春秋・貴生⑤故に曰く、「道の真、以て身を持し、其の緒餘、以て國家を為め、其の土苴、以て天下を治む。」此に由りて之を觀れば、帝王の功は、聖人の餘事なり。身を完くし生を養う所以の道に非ざるなり。今、世俗の君子は、身を危うくし生を棄てて、以て物に徇う。彼且た奚にか此を以て之かんとするや、彼且た奚にか此を以て為さんとするや。
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呂氏春秋・情欲③古人の道を得る者、生は以て壽長く、聲色滋味、能く久しく之を樂しむは、奚の故ぞ。論早く定まればなり。論早く定まれば、則ち早く嗇しむことを知る。早く嗇しむことを知れば、則ち精竭きず。秋早く寒ければ、則ち冬必ず煖かく、春多く雨ふれば則ち夏必ず旱す。天地すら兩つながらする能わず。而るを況んや人類に於いてをや。人と天地とは同じなり。萬物の形異なると雖も、其の情は一體なり。故に古の身と天下とを治むる者は、必ず天地に法るなり。尊、酌む者衆ければ則ち速く盡く。萬物の、大貴の生を酌む者衆し。故に大貴の生は常に速やかに盡く。徒に萬物之を酌むのみに非ず。又其の生を損して以て天下の人に資え、而も終に自ら知らず。功、外に成ると雖も、生、内に虧き、耳は以て聽く可からず、目は以て視る可からず、口は以て食らう可からず、胸中大いに擾れ、妄言想見す。死に臨むの上、顛倒驚懼して、為す所を知らず。心を用うること此くの如し。豈に悲しからずや。
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呂氏春秋・重己①垂は至巧なり。人、垂の指を愛せずして己の指を愛するは、之を有するの利なるが故なり。人、崑山の玉・江漢の珠を愛せずして己の一蒼璧・小璣を愛するは、之を有するの利なるが故なり。今、吾が生の我が有為りて、我を利するは亦た大なり。其の貴賤を論ずるに、爵は天子と為るも、以て焉に比ぶるに足らず。其の輕重を論ずるに、富は天下を有するも、以て之に易う可からず。其の安危を論ずるに、一曙に之を失わば、身を終うるまで復びは得ず。此の三者は道有る者の慎む所なり。之を慎みて反って之を害する者有るは、性命の情に達せざればなり。性命の情に達せざれば、之を慎むも何の益かあらん。是れ師者の子を愛するや、之に枕せしむるに糠を以てするを免れず。是れ聾者の嬰児を養うや、雷に方りて之を堂に窺わしむ。殊に慎むを知らざる者有り。夫の慎むを知らざる者は、是れ死生存亡・可不可の、未だ始めより別有らざるなり。未だ始めより別有らざる者は、其の謂う所の是とは未だ嘗て是にあらず、其の謂う所の非とは未だ嘗て非にあらず。是とは其の謂う所の非なり、非とは其の謂う所の是なり。此を之れ大惑と謂う。此くの若き人は、天の禍いする所なり。此を以て身を治むれば、必ず死し必ず殃いす。此を以て國を治むれば、必ず殘い必ず亡びん。夫の死殃殘亡は、自ら至るに非ざるなり、惑いの之を召すなり。壽の長きに至るも常に亦た然り。故に道有る者は、召す所を察せずして、其の之を召す者を察す。則ち其の至るは禁ず可からず。此の論は熟せざる可からず。
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呂氏春秋・本生②夫れ水の性は清し。土は之を抇す。故に清きを得ず。人の性は壽し。物は之を抇す。故に壽きを得ず。物なる者は、性を養う所以にして、性を以て養う所に非ざるなり。今の世の人、惑う者、多く性を以て物を養う。則ち輕重を知らざるなり。輕重を知らざれば、則ち重き者を輕しと為し、輕き者を重しと為す。此の若ければ、則ち動く毎に敗れざる無し。此を以て君と為れば悖り、此を以て臣と為れば亂り、此を以て子と為れば狂う。三者、國に一も有れば、幸い無くして必ず亡びん。