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呂氏春秋 / 召類③

兵所自來者久矣:堯戰於丹水之浦,以服南蠻;舜卻苗民,更易其俗;禹攻曹魏,屈驁有扈,以行其教;三王以上,固皆用兵也。亂則用,治則止。治而攻之,不祥莫大焉;亂而弗討,害民莫長焉。此治亂之化也,文武之所由起也。文者愛之徵也,武者惡之表也。愛惡循義,文武有常,聖人之元也。譬之若寒暑之序,時至而事生之。聖人不能為時,而能以事適時。事適於時者其功大。

新字:兵所自来者久矣:堯戦於丹水之浦,以服南蠻;舜卻苗民,更易其俗;禹攻曹魏,屈驁有扈,以行其教;三王以上,固皆用兵也。乱則用,治則止。治而攻之,不祥莫大焉;乱而弗討,害民莫長焉。此治乱之化也,文武之所由起也。文者愛之徴也,武者悪之表也。愛悪循義,文武有常,聖人之元也。譬之若寒暑之序,時至而事生之。聖人不能為時,而能以事適時。事適於時者其功大。

書き下し

兵自りて來たる所の者久し。堯、丹水の浦に戰い、以て南蠻を服す。舜は苗民を卻けて、更に其の俗を易う。禹、曹魏・屈驁・有扈を攻めて、以て其の教えを行う。三王以上、固より皆兵を用うるなり。亂るれば則ち用い、治まれば則ち止む。治まりて之を攻むれば、不祥焉より大なるは莫し。亂れて討たざれば、民を害すること焉より長なるは莫し。此れ治亂の化なり。文武の由りて起こる所なり。文なる者は愛の徴なり、武なる者は惡の表なり。愛惡、義に循い、文武、常有るは、聖人の元なり。之を譬うれば、寒暑の序、時至りて事之を生ずるが若し。聖人は時を為ること能わざれども、能く事を以て時に適せしむ。事の時に適する者は其の功大なり。

現代語訳

兵(戦争)の起こりは古い。堯は丹水のほとりで戦って南蛮を服従させ、舜は苗民を退けてその風俗を改めさせ、禹は曹・魏・屈驁・有扈を攻めてその教えを行った。三王より前も、みな兵を用いたのだ。乱れれば用い、治まれば止める。治まっているのに攻めれば、これほど不吉なことはない。乱れているのに討たなければ、民を害することこれほど大きなことはない。これが治乱の変化であり、文(徳治)と武(武力)が起こる由来である。文は愛のしるし、武は憎しみの表れだ。愛憎が義にかない、文武に常道があるのが、聖人の根本である。たとえば寒暑の順序のように、時が至って事がそれを生む。聖人は時を作ることはできないが、事を時に適応させることはできる。事が時に適う者は、その功が大きい。

解説

戦争の歴史をたどり、文(徳)と武(力)の使い分けを論じる段です。要点は、乱れには武を用い治まれば止めるという時宜が肝心で、治世を攻めるのは不吉、乱世を討たぬのは害だという二重の戒めにあります。背景に、堯舜禹以来、聖王すら兵を用いた事実があります。文は愛、武は憎しみの表れとし、両者を義に従わせるのが聖人の道だと説きます。時勢は作れないが、事を時に適応させることはできるという結びは、状況判断とタイミングの重要性を語り、現代の戦略や意思決定にも通じます。

この章句が説くこと

召類文武堯舜禹治乱時宜

この一句を、あなたの毎日に。

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