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呂氏春秋 / 用民⑦

宋人有取道者,其馬不進,倒而投之鸂水。又復取道,其馬不進,又倒而投之鸂水。如此者三。雖造父之所以威馬,不過此矣。不得造父之道,而徒得其威,無益於御。人主之不肖者,有似於此。不得其道,而徒多其威。威愈多,民愈不用。亡國之主,多以多威使其民矣。故威不可無有,而不足專恃。譬之若鹽之於味,凡鹽之用,有所託也,不適則敗託而不可食。威亦然,必有所託,然後可行。惡乎託?託於愛利。愛利之心諭,威乃可行。威太甚則愛利之心息,愛利之心息而徒疾行威,身必咎矣,此殷、夏之所以絕也。君,利勢也,次官也。處次官,執利勢,不可而不察於此。夫不禁而禁者,其唯深見此論邪。

新字:宋人有取道者,其馬不進,倒而投之鸂水。又復取道,其馬不進,又倒而投之鸂水。如此者三。雖造父之所以威馬,不過此矣。不得造父之道,而徒得其威,無益於御。人主之不肖者,有似於此。不得其道,而徒多其威。威愈多,民愈不用。亡国之主,多以多威使其民矣。故威不可無有,而不足専恃。譬之若塩之於味,凡塩之用,有所託也,不適則敗託而不可食。威亦然,必有所託,然後可行。悪乎託?託於愛利。愛利之心諭,威乃可行。威太甚則愛利之心息,愛利之心息而徒疾行威,身必咎矣,此殷、夏之所以絶也。君,利勢也,次官也。処次官,執利勢,不可而不察於此。夫不禁而禁者,其唯深見此論邪。

書き下し

宋人、道を取る者有り。其の馬進まず、倒して之を鸂水に投ず。又復た道を取る。其の馬進まず。又倒して之を鸂水に投ず。此の如き者三たび。造父の馬を威す所以と雖も、此に過ぎず。造父の道を得ずして、徒に其の威を得るも、御に益無し。人主の不肖なる者、此に似たる有り。其の道を得ずして、徒に其の威を多くす。威愈々多くして、民愈々用いられず。亡國の主は、多威を以て其の民を使うもの多し。故より威は有ること無かる可からざるも、專ら恃むに足らず。之を譬うれば、鹽の味いに於けるが若し。凡そ鹽の用は、託す所有ればなり。適せざれば則ち託を敗りて食らう可からず。威も亦た然り。必ず託す所有りて、然る後に行う可し。惡くにか託す。愛利に託す。愛利の心諭らるれば、威乃ち行う可し。威太甚だしければ則ち愛利の心息む。愛利の心息みて徒に疾く威を行えば、身必ず咎あり。此れ殷・夏の絕えし所以なり。君は、勢を利するものなり、次官なるものなり。次官に處り、勢を利するを執る。而て此を察せざる可からず。夫れ禁ぜられずして禁ずる者は、其れ唯だ深く此の論を見るものか。

現代語訳

宋の人で旅路を行く者がいた。その馬が進まないので、殺して鸂水に投げ込んだ。また旅を続けたが馬が進まないので、また殺して鸂水に投げ込んだ。このようなことを三度繰り返した。名御者の造父が馬を威嚇するやり方でも、これ以上ではあるまい。だが造父の御術を得ずに、ただ威嚇だけをまねても、馬を御するのに何の役にも立たない。愚かな君主にはこれと似たところがある。統治の道を得ないまま、ただ威圧ばかりを強める。威圧が増すほど、民はますます使えなくなる。亡国の君主には、威圧を多用して民を使う者が多い。もとより威は無くてはならないが、それだけに頼ってはいけない。たとえるなら塩が味に対する関係のようなものだ。塩が役立つのは、それを添える相手(食材)があるからだ。ふさわしくなければ、その相手を台無しにして食べられなくする。威も同じで、必ず添えるべき土台があってはじめて行える。何に託すのか。愛と利益に託すのである。愛と利益の心が民に伝われば、威ははじめて行える。威が甚だしすぎれば愛利の心は消える。愛利の心が消えたのに、ただ性急に威を振るえば、必ずわが身に災いが及ぶ。これが殷や夏が絶えた理由である。君主は権勢を握る地位にあり、その要職にある。要職に就いて権勢を握る以上、この道理を見きわめねばならない。禁令によらずして人を従わせられる者は、ただこの理論を深く見抜いた者だけであろう。

解説

この段は、威圧だけに頼る統治の危うさを、馬を殺す宋人や塩のたとえで説きます。要点は、威(威圧・強制)は必要だが単独では機能せず、必ず愛利(民への慈しみと利益)という土台に添えてこそ効く、という点です。背景には、御術なき威嚇が御者の役に立たぬように、統治の道を欠いた権力行使は民を離反させ、殷・夏の滅亡を招いたという歴史認識があります。塩は食材あってこそ活きるという比喩が印象的です。現代でも、規律や罰は組織に必要ですが、信頼や配慮という基盤なしに強めれば逆効果になります。強制と慈愛のバランスを教える一段です。

この章句が説くこと

用民威と愛利造父塩のたとえ強制と慈愛亡国の主

この一句を、あなたの毎日に。

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