呂氏春秋 / 上德②
三苗不服,禹請攻之。舜曰:「以德可也。」行德三年,而三苗服。孔子聞之曰:「通乎德之情,則孟門、太行不為險矣。故曰德之速,疾乎以郵傳命。」周明堂,金在其後,有以見先德後武也。舜其猶此乎?其臧武通於周矣。
新字:三苗不服,禹請攻之。舜曰:「以徳可也。」行徳三年,而三苗服。孔子聞之曰:「通乎徳之情,則孟門、太行不為険矣。故曰徳之速,疾乎以郵伝命。」周明堂,金在其後,有以見先徳後武也。舜其猶此乎?其臧武通於周矣。
書き下し
三苗服せず、禹之を攻めんことを請う。舜曰く、「德を以てすれば可なり。」徳を行うこと三年にして、三苗服す。孔子之を聞きて曰く、「德の情に通ずれば、則ち孟門太行も險と為さず。故に德の速やかなること、郵を以て命を傳うよりも疾かなり、と曰う。」周の明堂、金は其の後に在り、有た以て德を先にして武を後にすることを見すなり。舜は其れ猶ほ此くのごときか。其の武を臧すること周に通ず。
現代語訳
三苗が服従しないので、禹はこれを攻めたいと願い出た。舜は「徳によればよい」と言った。徳を行うこと三年で、三苗は服従した。孔子はこれを聞いて言った。「徳の本質に通じれば、孟門山や太行山の険しさも険しいとは感じない。だから、徳の速さは駅伝で命令を伝えるよりも速いというのだ」と。周の明堂では、武具が後方に置かれていた。これは徳を先にし武を後にすることを示している。舜もまたこのようであっただろうか。その武を後方に控えさせるあり方は、周と通じている。
解説
この段は、服従しない三苗を武力でなく徳で三年かけて帰服させた舜の逸話です。要点は、徳による感化は険しい地形の障害も越え、命令伝達より速く人心に届くという主張です。背景には、周の明堂で武具を後方に置いた「徳を先に武を後に」という理念があり、舜の統治もそれと一致すると論じます。孔子の言を引くことで儒家の権威づけもなされています。現代でも、力による強制より、信頼や納得に基づく働きかけの方が、抵抗を生まず深く浸透します。急がば回れで徳を優先する姿勢の有効性を示す一段です。
この章句が説くこと
徳治三苗舜感化徳先武後明堂
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