呂氏春秋 / 髙義⑤
荊昭王之時,有士焉,曰石渚。其為人也,公直無私,王使為政廷。有殺人者,石渚追之,則其父也。還車而返,立於廷曰:「殺人者,僕之父也。以父行法,不忍;阿有罪,廢國法,不可。失法伏罪,人臣之義也。」於是乎伏斧鑕,請死於王。王曰:「追而不及,豈必伏罪哉?子復事矣。」石渚辭曰:「不私其親,不可謂孝子。事君枉法,不可謂忠臣。君令赦之,上之惠也。不敢廢法,臣之行也。」不去斧鑕,歿頭乎王廷。正法枉必死,父犯法而不忍,王赦之而不肯,石渚之為人臣也,可謂忠且孝矣。
新字:荊昭王之時,有士焉,曰石渚。其為人也,公直無私,王使為政廷。有殺人者,石渚追之,則其父也。還車而返,立於廷曰:「殺人者,僕之父也。以父行法,不忍;阿有罪,廃国法,不可。失法伏罪,人臣之義也。」於是乎伏斧鑕,請死於王。王曰:「追而不及,豈必伏罪哉?子復事矣。」石渚辞曰:「不私其親,不可謂孝子。事君枉法,不可謂忠臣。君令赦之,上之恵也。不敢廃法,臣之行也。」不去斧鑕,歿頭乎王廷。正法枉必死,父犯法而不忍,王赦之而不肯,石渚之為人臣也,可謂忠且孝矣。
書き下し
荊の昭王の時、士有り、石渚と曰う。其の人と為りや、公直にして私無し。王、政を為さしむ。人を殺す者有り。石渚之を追えば、則ち其の父なり。車を還らして返り、廷に立ちて曰く、「人を殺せる者は、僕の父なり。父を以て法を行うは、忍びず。有罪に阿り、國法を廢するは、不可なり。法を失わば罪に伏するは、人臣の義なり。」是に於てか斧鑕に伏し、死を王に請う。王曰く、「追えども及ばず、豈に必ずしも罪に伏せんや。子、事に復せよ。」石渚辭して曰く、「其の親に私せざるは、孝子と謂う可からず。君に事えて法を枉ぐるは、忠臣と謂う可からず。君令して之を赦すは、上の惠なり。敢て法を廢せざるは、臣の行いなり。」斧鑕を去らず、頭を王廷に歿ねたり。法の枉ぐるを正さんとして死を必し、父法を犯して忍びず、王之を赦して肯ぜず。石渚の人臣為るや、忠且つ孝なりと謂う可し。
現代語訳
荊の昭王の時代、石渚という士がいた。その人柄は公正率直で私心がなかった。王は彼に政務をとらせた。ある殺人犯がいて、石渚が追いかけると、それは自分の父であった。彼は車を引き返し、朝廷に立って言った。「殺人を犯したのは私の父です。父に対して法を執行するのは忍びない。しかし罪ある者にへつらい国法を廃するのは許されない。法を執行できなかった以上、その罪に服するのが臣下の義です」。そこで刑台に伏し、王に死を願い出た。王は「追ったが及ばなかったのだ。必ずしも罪に服する必要はない。おまえは職務に戻れ」と言った。石渚は辞退して言った。「親をひいきしないのでは孝子とは言えず、君に仕えて法を曲げるのでは忠臣とは言えません。王が命じて赦すのは上の恩恵ですが、あえて法を廃さないのが臣下の務めです」。そして刑台を離れず、王庭で自ら首をはねた。法の乱れを正そうとして死を貫き、父が法を犯したことに忍びず、王が赦しても応じなかった。臣下としての石渚は、忠にして孝であったといえる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 循吏列伝石奢は、楚昭王の相なり。堅直廉正、阿避する所無し。県を行くに、道に殺人する者有り、相之を追ふに、乃ち其の父なり。其の父を縦して還りて自ら系ぐ。王に言はしめて曰く、「殺人する者は、臣の父なり。臣の罪当に死すべし」と。王曰く、「追ひて及ばず、罪に伏すに当たらず、子其れ事を治めよ」と。石奢曰く、「其の父を私せざるは、孝子に非ざるなり。主の法を奉ぜざるは、忠臣に非ざるなり」と。遂に令を受けず、自刎して死す。李離は、晉文公の理なり。過りて聴き人を殺し、自ら拘へて死に当たる。文公曰く、「下吏に過有り、子の罪に非ざるなり」と。李離曰く、「官に居りて長為り、祿を受くること多く、下と利を分たず。今過りて聴きて人を殺し、其の罪を下吏に傅するは、聞く所に非ざるなり」と。遂に令を受けず、剣に伏して死す。
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説苑・立節楚に士有り申鳴なる者、家に在りて其の父を養い、孝楚国に聞こゆ。王之に相を授けんと欲す。申鳴辞して受けず。其の父曰わく、「王汝を相とせんと欲す、汝何為れぞ受けざる」と。申鳴対えて曰わく、「父の孝子を舎てて王の忠臣と為るは、何ぞや」と。其の父曰わく、「国に禄有らしめ、庭に義を立て、汝楽しみて吾憂い無からしめよ。吾汝の相たらんことを欲するなり」と。申鳴曰わく、「諾」と。遂に朝に入り、楚王因りて之に相を授く。居ること三年、白公乱を為し、司馬子期を殺す。申鳴将に往きて之に死せんとす。父之を止めて曰わく、「父を棄てて死す、其れ可ならんや」と。申鳴曰わく、「夫れ仕うる者は身君に帰して禄親に帰すと聞く。今既に子を去りて君に事う、死其の難を得ること無からんや」と。遂に辞して往き、因りて兵を以て之を囲む。白公石乞に謂いて曰わく、「申鳴は、天下の勇士なり。今兵を以て我を囲む、吾之を奈何せん」と。石乞曰わく、「申鳴は、天下の孝子なり。往きて其の父を兵を以て劫かせば、申鳴之を聞きて必ず来たらん、因りて之と語らん」と。白公曰わく、「善し」と。則ち往きて其の父を取り、之を持するに兵を以てし、申鳴に告げて曰わく、「子吾に与すれば、吾子と楚国を分かたん。子吾に与せずんば、子の父則ち死せん」と。申鳴涕を流して之に応えて曰わく、「始め吾父の孝子たりしも、今吾君の忠臣たり。吾之を聞く、其の食を食む者は其の事に死し、其の禄を受くる者は其の能を畢くすと。今吾已に父の孝子たるを得ずして、乃ち君の忠臣たり、吾何ぞ身を全うするを得んや」と。桴を援りて之を鼓し、遂に白公を殺す。其の父も亦死す。王之に金百斤を賞す。申鳴曰わく、「君の食を食みて君の難を避くるは、忠臣に非ざるなり。君の国を定めて臣の父を殺すは、孝子に非ざるなり。名両つながら立つ可からず、行い両つながら全うす可からず。是くの如くにして生く、何の面目ありて天下に立たん」と。遂に自殺す。
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呂氏春秋・去私⑤墨者に鉅子腹𪏆有り、秦に居る。其の子、人を殺す。秦の惠王曰く、「先生の年長ぜり、它子有るに非ず。寡人已に吏をして誅せざらしむ。先生之れ此を以て寡人に聽け。」腹𪏆對えて曰く、「墨者の法に曰く、『人を殺す者は死し、人を傷つくる者は刑す。』此れ人を殺傷するを禁ずる所以なり。夫れ人を殺傷するを禁ずるは、天下の大義なり。王之が為に賜いて、吏をして誅せざらしむと雖も、腹𪏆は墨者の法を行わざる可からず。」惠王に許さずして、遂に之を殺せり。子は人の私する所なり。私する所に忍びて以て大義を行う。鉅子は公なりと謂う可し。
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呂氏春秋・當務③楚に直躬なる者有り。其の父羊を竊みて之を上に謁ぐ。上執えて將に之を誅せんとす。直躬なる者之に代らんことを請う。將に誅せんとして、吏に告げて曰く、「父羊を竊みて之を謁ぐ、亦た信ならずや。父誅せられんとして之に代る、亦た孝ならずや。信且つ孝にして之を誅せば、國將た誅せられざる者有らんや。」荊王之を聞き、乃ち誅せざるなり。孔子之を聞きて曰く、「異なるかな直躬の信為るや。一父にして載び名を取る。」故に直躬の信は、信無きに若かず。
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呂氏春秋・至忠②荊の莊哀王、雲夢に獵し、隨兕を射て、之に中つ。申公子培、王を劫やかして之を奪う。王曰く、「何ぞ其れ暴にして不敬なるや。」吏に命じて之を誅せしめんとす。左右大夫皆進みて諫めて曰く、「子培は賢者なり。又王の百倍の臣為り。此れ必ず故有らん。願わくは之を察せよ。」三月出でずして、子培疾みて死す。荊、師を興し、兩棠に戰い、大いに晉に勝ち、歸りて功有る者を賞す。申公子培の弟、進みて賞を吏に請いて曰く、「人の功有るや、軍旅に於いてす。臣の兄の功有るや、車下に於いてす。」王曰く、「何の謂ぞや。」對えて曰く、「臣の兄は暴不敬の名を犯し、死亡の罪に王の側に觸れたり。其の愚心は、將に以て君王の身に忠にして、千歲の壽を持たしめんとせしなり。臣の兄嘗て故記を讀みて曰く、『隨兕を殺す者は、三月を出でず。』是を以て臣の兄驚懼して之を爭う。故に其の罪に伏して死せり。」王人をして平府に發して之を視しむるに、故記に於いて果して有り。乃ち厚く之を賞す。申公子培、其の忠なるや、穆行と謂う可し。穆行の意は、人之を知りて勸むるを為さず、人知らずして沮むを為さず。行い此より高きは無し。
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説苑・至公楚の莊王に茅門なる者の法有り曰く、「群臣大夫諸公子朝に入るに、馬蹄霤を蹂む者は其の輈を斬りて其の御を戮す」と。太子朝に入るに、馬蹄霤を蹂む。廷理其の輈を斬りて其の御を戮す。太子大いに怒り、入りて王の為に泣きて曰く、「我が為に廷理を誅せよ」と。王曰く、「法なる者は宗廟を敬い、社稷を尊ぶ所以なり、故に能く法を立て令に從いて社稷を尊敬する者は、社稷の臣なり、安んぞ以て誅を加うべけんや。夫れ法を犯し令を廢し、社稷を尊敬せざる、是れ臣君を棄て、下上を陵ぐなり。臣君を棄つれば則ち主威を失い、下上を陵げば則ち上位危うし、社稷守られず、吾何を以て子に遺さん」と。太子乃ち還り走りて舍を避け、再拜して死を請う。