呂氏春秋 / 應言⑤
魏令孟卬割絳、𥦋、安邑之地以與秦王。王喜,令起賈為孟卬求司徒於魏王。魏王不說,應起賈曰:「卬,寡人之臣也。寡人寧以臧為司徒,無用卬。願大王之更以他人詔之也。」起賈出,遇孟卬於廷,曰:「公之事何如?」起賈曰:「公甚賤於公之主。公之主曰『寧用臧為司徒,無用公』。」孟卬入見,謂魏王曰:「秦客何言?」王曰:「求以女為司徒。」孟卬曰:「王應之謂何?」王曰:「寧以臧,無用卬也。」孟卬太息曰:「宜矣王之制於秦也。王何疑秦之善臣也?以絳、𥦋、安邑令負牛書與秦,猶乃善牛也。卬雖不肖,獨不如牛乎?且王令三將軍為臣先曰『視卬如身』,是臣重也。令二輕臣也,令臣責,卬雖賢固能乎?」居三日,魏王乃聽起賈。凡人主之與其大官也,為有益也。今割國之錙錘矣,而因得大官,且何地以給之?大官,人臣之所欲也。孟卬令秦得其所欲,秦亦令孟卬得其所欲,責以償矣,尚有何責?魏雖彊猶不能責無責,又況於弱?魏王之令乎孟卬為司徒以棄其責則拙也。
新字:魏令孟卬割絳、𥦋、安邑之地以与秦王。王喜,令起賈為孟卬求司徒於魏王。魏王不説,応起賈曰:「卬,寡人之臣也。寡人寧以臧為司徒,無用卬。願大王之更以他人詔之也。」起賈出,遇孟卬於廷,曰:「公之事何如?」起賈曰:「公甚賤於公之主。公之主曰『寧用臧為司徒,無用公』。」孟卬入見,謂魏王曰:「秦客何言?」王曰:「求以女為司徒。」孟卬曰:「王応之謂何?」王曰:「寧以臧,無用卬也。」孟卬太息曰:「宜矣王之制於秦也。王何疑秦之善臣也?以絳、𥦋、安邑令負牛書与秦,猶乃善牛也。卬雖不肖,独不如牛乎?且王令三将軍為臣先曰『視卬如身』,是臣重也。令二軽臣也,令臣責,卬雖賢固能乎?」居三日,魏王乃聴起賈。凡人主之与其大官也,為有益也。今割国之錙錘矣,而因得大官,且何地以給之?大官,人臣之所欲也。孟卬令秦得其所欲,秦亦令孟卬得其所欲,責以償矣,尚有何責?魏雖彊猶不能責無責,又況於弱?魏王之令乎孟卬為司徒以棄其責則拙也。
書き下し
魏、孟卬をして絳・𥦋・安邑の地を割きて以て秦王に與えしむ。王喜ぶ。起賈をして孟卬の爲に司徒を魏王に求めしむ。魏王說ばず。起賈に應えて曰く、「卬は寡人の臣なり。寡人寧ろ臧を以て司徒と爲すも、卬を用うること無し。大王の更めて他人を以て之に詔げんことを願う。」起賈出づ。孟卬に廷に遇う。曰く、「公の事何如。」起賈曰く、「公甚だ公の主に賤しまる。公の主曰く、『寧ろ臧を用て司徒と爲すとも、公を用うること無し。』」孟卬入りて見え、魏王に謂いて曰く、「秦の客何をか言う。」王曰く、「女を以て司徒と爲さんことを求む。」孟卬曰く、「王、之に應うるに何をか謂える。」王曰く、「寧ろ臧を以てすとも、卬を用うること無きなり。」孟卬太息して曰く、「宜なり、王の秦に制せらるるや。王何ぞ秦の臣を善しとするを疑うか。絳・𥦋・安邑をもって、牛に書を負わしめて秦に與うるも、猶乃ほ牛を善しとするなり。卬不肖と雖も、獨り牛に如かざらんや。且つ王、三將軍をして臣の先だちと爲して、卬を視ること身の如くせよ、と曰しむ。是れ臣、重んぜらるるなり。今、王、臣を輕んずるなり。臣をして責めしむるに、卬賢なりと雖も固より能くせんや。」居ること三日、魏王乃ち起賈に聽く。凡そ人主の其の大官を與うるは、益有るが爲なり。今、國の錙錘を割く。而して因りて大官を得れども、且に何れの地か以て之に給せん。大官は、人臣の欲する所なり。孟卬、秦をして其の欲する所を得しめ、秦も亦た孟卬をして其の欲する所を得しむ。責以て償わる。尚ほ何の責か有らん。魏彊しと雖も、猶は責無きを責むる能わず。又況んや弱きに於いてをや。魏王の孟卬に令して司徒爲らしめ、以て其の責を棄つるは則ち拙なり。
現代語訳
魏は孟卬に絳・𥦋・安邑の地を割いて秦王に与えさせた。秦王は喜んだ。使者の起賈に、孟卬のために司徒の位を魏王に求めさせた。魏王は喜ばず、起賈に答えて言った、「卬は私の臣だ。私はいっそ召使いの臧を司徒にしても、卬は用いない。大王には改めて他の人物を指名されたい。」起賈は退出し、朝廷で孟卬に出会った。「あなたの件はどうでしたか」と問うと、起賈は「あなたは主君にひどく軽んじられている。あなたの主君は『いっそ臧を司徒にしても、あなたは用いない』と言われた」と答えた。孟卬は参内して魏王に「秦の客は何と言いましたか」と問うた。王が「お前を司徒にと求めた」と言うと、孟卬は「王は何とお答えになったのですか」と問うた。王が「いっそ臧を用いても、卬は用いないと言った」と答えると、孟卬は嘆息して言った、「なるほど、王が秦に制せられるのも当然です。王はなぜ秦が私を評価するのを疑うのですか。絳・𥦋・安邑の地を、牛に文書を背負わせて秦に渡したとしても、なお牛を有能と評価するでしょう。私は不肖ですが、牛に劣りましょうか。しかも王は三人の将軍を私の先導とし、私を我が身のように見よと命じられた。これは私が重んじられていたということです。今、王は私を軽んじておられる。私に責めを負わせても、私がいかに賢くともどうしてやり遂げられましょう。」三日後、魏王はついに起賈の求めを聞き入れた。およそ君主が高位を与えるのは、利益があるからだ。今、国の領地をわずかとはいえ割いた。それで高位を得たが、いったいどの土地を秦に与えて償うのか。高位は臣下の望むところである。孟卬は秦にその望むもの(土地)を得させ、秦も孟卬にその望むもの(高位)を得させた。責務は償われたのだから、もう何の責めがあろうか。魏は強国でも、責めのない者を責めることはできない。まして弱国ではなおさらだ。魏王が孟卬に命じて司徒にしてその責めを免じたのは、拙いやり方であった。
解説
この章句が説くこと
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戦国策・芒卯謂秦王芒卯秦王に謂いて曰く、「王の士未だ之が中と為る者有らざるなり。臣聞く、明王は中に𦙃(したが)わずして行う、と。王の魏に欲する所の者は、長羊・王屋・洛林の地なり。王能く臣をして魏の司徒たらしめば、則ち臣能く魏をして之を献ぜしめん」と。秦王曰く、「善し」と。因りて之に任ずるに以て魏の司徒と為す。魏王に謂いて曰く、「王の患うる所の者は上地なり。秦の魏に欲する所の者は、長羊・王屋・洛林の地なり。王之を秦に献ぜば、則ち上地憂患無からん。因りて請う兵を以て東のかた齊を撃たば、地を攘(はら)うこと必ず遠からん」と。魏王曰く、「善し」と。因りて之を秦に献ず。地入りて数月、而して秦兵下らず。魏王芒卯に謂いて曰く、「地已に入りて数月、而して秦兵下らざるは、何ぞや」と。芒卯曰く、「臣死罪有り。然りと雖も、臣死せば、則ち契秦に折れ、王无以て秦を責むる無し。王因りて其の罪を赦せば、臣王の為に約を秦に責めん」と。乃ち秦に之(ゆ)き、秦王に謂いて曰く、「魏の長羊・王屋・洛林の地を献ずる所以の者は、意(こころ)大王の兵を下して東のかた齊を撃たしめんと欲する有ればなり。今地已に入りて、秦兵下す可からず、臣は則ち死人なり。然りと雖も、後山東の士、以て王に利事する無からん」と。秦王戄然(かくぜん)として曰く、「国に事有り、未だ兵を下すに澹(た)らず、今兵を以て従わん」と。後十日、秦兵下る。芒卯并(あわ)せて秦・魏の兵を将(ひき)い、以て東のかた齊を撃ち、地を啓(ひら)くこと廿二県なり。
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