呂氏春秋 / 不屈①
──察士以為得道則未也。雖然,其應物也,辭難窮矣。辭雖窮,其為禍福猶未可知。察而以達理明義,則察為福矣;察而以飾非惑愚,則察為禍矣。古者之貴善御也,以逐暴禁邪也。
新字:──察士以為得道則未也。雖然,其応物也,辞難窮矣。辞雖窮,其為禍福猶未可知。察而以達理明義,則察為福矣;察而以飾非惑愚,則察為禍矣。古者之貴善御也,以逐暴禁邪也。
書き下し
察士以て道を得たりと爲すは、則ち未だしきなり。然りと雖も、其の物に應ずるや、辭窮し難し。辭窮し難けれども、其の禍福爲る、猶ほ未だ知る可からず。察にして以て理に達し義を明らかにすれば、則ち察は福い爲り。察にして以て非を飾り愚を惑わせば、則ち察は禍い爲り。古者の善御を貴ぶは、暴を逐い邪を禁ずるを以てなり。
現代語訳
詮索に長けた弁士が道を体得したと思うのは、まだ及ばない。とはいえ、彼らが物事に応対するとき、言葉に詰まることはめったにない。言葉に詰まらないとはいえ、それが禍となるか福となるかは、まだ分からない。詮索の才が道理に達し義を明らかにするために使われれば、その才は福となる。詮索の才が非を飾り愚か者を惑わすために使われれば、その才は禍となる。いにしえの人が巧みな御者を尊んだのは、暴れ馬を御し邪悪を防ぐためであった。
解説
この段は不屈篇の総論で、弁の立つ論客への評価を示します。彼らは応対に窮しませんが、その才が福となるか禍となるかは、何のために使うかで決まると説きます。道理を明らかにするために使えば福、非を飾り人を惑わすために使えば禍だというのです。要点は、弁論の能力それ自体は善でも悪でもなく、目的次第だということです。優れた御者が暴れ馬を制するように、才は正しく用いてこそ価値があるという背景があります。現代でも、説得力や交渉力といった能力は、真実を伝えるためにも人を欺くためにも使えます。才能をどう用いるかという倫理が問われると教える、篇の視座を示す一段です。
この章句が説くこと
不屈察士弁論道理目的善御
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