呂氏春秋 / 淫辭④
荊柱國莊伯令其父「視曰」,日「在天」;「視其奚如」?曰「正圓」;「視其時」,日「當今」。令謁者「駕」,曰「無馬」。令涓人「取冠」,「進上」。問「馬齒」,圉人曰「齒十二與牙三十」。
新字:荊柱国荘伯令其父「視曰」,日「在天」;「視其奚如」?曰「正円」;「視其時」,日「当今」。令謁者「駕」,曰「無馬」。令涓人「取冠」,「進上」。問「馬齒」,圉人曰「齒十二与牙三十」。
書き下し
荊の柱國莊伯、其の父をして日を視しむ。曰く、「天に在り。」其の奚如を視しむ。曰く、「正圓なり。」其の時を視しむ。曰く、「今に當たる。」謁者をして駕せしむ。曰く、「馬無し。」涓人をして冠を取らしむれば、進みて上る。馬齒を問う。圉人曰く、「齒十二と牙三十。」
現代語訳
楚の柱国である荘伯が、家人に太陽を見させた。「天にあります」と答えた。どんな様子かを見させると、「まん丸です」と答えた。時刻を見させると、「ちょうど今です」と答えた。取次役に車馬の支度をさせると、「馬がおりません」と答えた。近侍の者に冠を取らせると、進み出て捧げた。馬の年齢を問うと、馬係が「歯が十二本と牙が三十本です」と答えた。
解説
この短い段は、当たり前すぎて意味のない受け答えを列挙して、言葉と内容の空疎さを風刺します。太陽はどこかと問えば天にある、どんな形かと問えばまん丸、時刻はと問えば今、といった具合に、問いに対して情報のない答えが返ります。要点は、言葉として応じてはいても、何も伝えていない発言があるということです。言と実の対応を問う淫辞篇の主題を、極端な実例で示した背景があります。現代でも、会議や報告で言葉数は多いのに中身のない受け答えは珍しくありません。形だけ答えて実質を欠く言葉のむなしさに気づき、意味のある言葉を交わすことの大切さを、逆説的に教える一段です。
この章句が説くこと
荘伯柱国空疎な言葉問答言実風刺
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