呂氏春秋 / 勿躬①
──人之意苟善,雖不知可以為長。故李子曰:「非狗則不得兔,兔化而狗,則不為兔。」人君而好為人官,有似於此。其臣蔽之,人時禁之,君自蔽則莫之敢禁。夫自為人官,自蔽之精者也。祓篲日用而不藏於篋,故用則衰,動則暗,作則倦。衰、暗、倦三者非君道也。
新字:──人之意苟善,雖不知可以為長。故李子曰:「非狗則不得兔,兔化而狗,則不為兔。」人君而好為人官,有似於此。其臣蔽之,人時禁之,君自蔽則莫之敢禁。夫自為人官,自蔽之精者也。祓篲日用而不蔵於篋,故用則衰,動則暗,作則倦。衰、暗、倦三者非君道也。
書き下し
人の意苟くも善なれば、知らざると雖も以て長と為る可し。故に李子曰く、「狗に非ざれば則ち兔を得ず。兔化して狗たれば、則ち兔を得ず。」人君にして人官を為すことを好むは、此に似たる有り。其の臣之を蔽うは、人時に之を禁ず。君自ら蔽えば則ち之を敢て禁ずるもの莫し。夫れ自ら人官を為すは、自ら蔽うの精なる者なり。祓篲日に用いて篋に藏めず。故に用うれば則ち衰え、動けば則ち暗く、作せば則ち倦む。衰・暗・倦の三者は君道に非ざるなり。
現代語訳
人の心根がもし善良であれば、たとえ専門の知識がなくとも人の長となることができる。だから李子は言った。猟犬でなければ兎は捕れない。だがその兎が姿を変えて犬になってしまえば、もはや兎は捕れない、と。君主でありながら役人の仕事を自分でやりたがるのは、これに似ている。臣下が君主の明察をおおい隠すのは、人が時にそれを禁じ止められる。だが君主が自分で自分をおおい隠してしまえば、あえてそれを止められる者はいない。そもそも自分から役人の仕事をするのは、自分で自分をおおい隠すことの最たるものだ。はらいのほうきは毎日使って箱にしまわなければ、使えばすり切れ、動かせば黒ずみ、働かせれば毛が抜ける。すり切れ、黒ずみ、疲れはてる——この三つは、君主の道ではない。
解説
勿躬篇のこの段は、君主が臣下の職務を自分でやりたがることを戒めます。猟犬すなわち臣下を使えば兎すなわち成果が捕れるのに、君主自身が兎を追う犬になってしまえば、本来捕るべき兎を失うという李子の比喩が印象的です。臣下が君主の目をふさぐのは他者が止められるが、君主が自ら実務に埋没して判断力をふさぐのは誰も止められない、と論じます。毎日使ってしまい込まないほうきがすり切れるように、君主が働きづめでは衰え・混濁・疲弊を招くだけだというのです。トップが実務に没入するほど大局を見る力を損なうという指摘は、経営者が現場作業を手放すことの重要性として現代にも通じます。
この章句が説くこと
勿躬李子君主無為自蔽祓篲実務への埋没
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