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呂氏春秋 / 任數②

且夫耳目知巧,固不足恃,惟脩其數、行其理為可。韓昭釐侯視所以祠廟之牲,其豕小,昭釐侯令官更之。官以是豕來也,昭釐侯曰:「是非嚮者之豕邪?」官無以對。命吏罪之。從者曰:「君王何以知之?」君曰:「吾以其耳也。」申不害聞之,曰:「何以知其聾?以其耳之聰也。何以知其盲?以其目之明也。何以知其狂?以其言之當也。故曰去聽無以聞則聰,去視無以見則明,去智無以知則公。去三者不任則治,三者任則亂。」以此言耳目心智之不足恃也。耳目心智,其所以知識甚闕,其所以聞見甚淺。以淺闕博居天下、安殊俗、治萬民,其說固不行。十里之間而耳不能聞,帷牆之外而目不能見,三畝之宮而心不能知。其以東至開梧、南撫多𩖍、西服壽靡、北懷儋耳,若之何哉?故君人者,不可不察此言也。治亂安危存亡,其道固無二也。故至智棄智,至仁忘仁,至德不德。無言無思,靜以待時,時至而應,心暇者勝。凡應之理,清淨公素,而正始卒;焉此治紀,無唱有和,無先有隨。古之王者,其所為少,其所因多。因者,君術也;為者,臣道也。為則擾矣,因則靜矣。因冬為寒,因夏為暑,君奚事哉?故曰君道無知無為,而賢於有知有為,則得之矣。

新字:且夫耳目知巧,固不足恃,惟脩其数、行其理為可。韓昭釐侯視所以祠廟之牲,其豕小,昭釐侯令官更之。官以是豕来也,昭釐侯曰:「是非嚮者之豕邪?」官無以対。命吏罪之。従者曰:「君王何以知之?」君曰:「吾以其耳也。」申不害聞之,曰:「何以知其聾?以其耳之聰也。何以知其盲?以其目之明也。何以知其狂?以其言之当也。故曰去聴無以聞則聰,去視無以見則明,去智無以知則公。去三者不任則治,三者任則乱。」以此言耳目心智之不足恃也。耳目心智,其所以知識甚闕,其所以聞見甚浅。以浅闕博居天下、安殊俗、治万民,其説固不行。十里之間而耳不能聞,帷牆之外而目不能見,三畝之宮而心不能知。其以東至開梧、南撫多𩖍、西服寿靡、北懐儋耳,若之何哉?故君人者,不可不察此言也。治乱安危存亡,其道固無二也。故至智棄智,至仁忘仁,至徳不徳。無言無思,静以待時,時至而応,心暇者勝。凡応之理,清浄公素,而正始卒;焉此治紀,無唱有和,無先有随。古之王者,其所為少,其所因多。因者,君術也;為者,臣道也。為則擾矣,因則静矣。因冬為寒,因夏為暑,君奚事哉?故曰君道無知無為,而賢於有知有為,則得之矣。

書き下し

且つ夫れ耳目知巧は、固より恃むに足らず。惟だ其の數を脩め、其の理を行うを可と為すのみ。韓の昭釐侯、以て廟に祠る所の牲を視るに、其の豕小なり。昭釐侯、官をして之を更えしむ。官、是の豕を以て來たるや、昭釐侯曰く、「是れ嚮者の豕に非ずや。」官以て對うる無し。吏に命じて之を罪す。從者曰く、「君王は何を以て之を知る。」君曰く、「吾、其の耳を以てなり。」申不害、之を聞きて曰く、「何を以て其の聾を知るか。其の耳の聰を以てなり。何を以て其の盲を知るか。其の目の明を以てなり。何を以て其の狂を知るか。其の言の當るを以てなり。故に曰く、「聽を去りて以て聞くこと無ければ則ち聰なり。視を去りて以て見ること無ければ則ち明なり、智を去りて以て知ること無ければ則ち公なり。三者を去りて任ぜざれば則ち治まり、三者任ずれば則ち亂る。」此を以て耳目心智の恃むに足らざるを言うなり。耳目心智は、其の以て知識する所甚だ闕け、其の以て聞見する所甚だ淺し。淺闕を以て博く天下に居り、殊俗を安んじ、萬民を治むるも、其の說は固より行われず。十里の間にして耳は聞くこと能わず、帷牆の外にして目は見ること能わず、三畝の宮にして心は知ること能わず。其れ以て東は開梧に至り、南は多𩖍を撫し、西は壽靡を服し、北は儋耳を懷くれば、之を若何せん。故に人に君たる者は、此の言を察せざる可からず。治亂安危存亡、其の道は固より二無きなり。故に至智は智を棄て、至仁は仁を忘れ、至德は德ならず。言うこと無く思うこと無く、靜以て時を待ち、時至りて應ず。心の暇ある者は勝つ。凡そ應ずるの理は、清淨公素にして、始卒を正しくす。此れ治紀なり。唱すること無くして和すること有り、先んずること無くして隨うこと有り。古の王者は、其の為す所は少くして、其の因る所は多し。因るは君術なり。為すは臣道なり。為せば則ち擾れ、因れば則ち靜なり。冬に因りて寒を為し、夏に因りて暑を為す。君奚ぞ事とせんや。故に曰く、「君道は無知無為にして、有知有為より賢れば、則ち之を得。」

現代語訳

そのうえ、耳・目・知恵・器用さは、もともと頼みにするには足りない。ただその役割の理法を修め、その道理を行うことこそがよいのだ。韓の昭釐侯が宗廟に供える犠牲の豚を見たところ、その豚が小さかったので、役人に取り替えさせた。役人が同じ豚を連れてくると、昭釐侯は、これは先ほどの豚ではないか、と言った。役人は答えようがなかった。そこで役人に命じてこれを罰した。おともの者が、君王はどうしてお分かりになったのですか、と問うと、君は、わしはその豚の耳によって見分けたのだ、と言った。申不害はこれを聞いて言った。どうして君主が耳ざといと知れるか。その耳がよく聞こえるからだ。どうして目ざといと知れるか。その目がよく見えるからだ。どうして君主の危うさが知れるか。その言葉が的中するからだ。だから言う——聴くのをやめて聞くところがなければかえって耳ざとく、見るのをやめて見るところがなければかえって目ざとく、知恵をやめて知るところがなければかえって公平だ。この三つをやめて頼らなければよく治まり、この三つに頼れば乱れる、と。これによって、耳・目・心・知恵は頼みにするに足りないというのである。耳・目・心・知恵は、それで知りうるところはひどく乏しく、聞き見るところもひどく浅い。その乏しく浅いもので広く天下に君臨し、異なる風俗の民を安んじ、万民を治めようとしても、その説はもとより通らない。十里も離れれば耳は聞こえず、とばりや塀の外は目に見えず、わずか三畝の御殿でさえ心は知り尽くせない。それでいて東は開梧に至り、南は多𩖍をなで、西は壽靡を従え、北は儋耳を包み込もうとすれば、いったいどうなるというのか。だから人の君主たる者は、この言葉をよくわきまえねばならない。治と乱、安と危、存と亡——その道理はもともと二つとはない。ゆえに至上の知は知恵をすて、至上の仁は仁を忘れ、至上の徳は徳めかない。言うことなく思うことなく、静かに時を待ち、時が来れば応じる。心にゆとりのある者が勝つ。応じ方の道理は、清らかで公平・素朴であって、始めから終わりまで正しくすることにある。これが治の要である。みずから唱えずに和し、みずから先んじずに従う。いにしえの王者は、みずから成すところは少なく、人に因り任せるところが多かった。因り任せるのは君主の術であり、みずから成すのは臣下の道である。みずから成せば乱れ、因り任せれば静まる。冬によって寒さとし、夏によって暑さとする。君主が何を構えることがあろう。だから、君主の道は、知ることも成すこともないのに、知り成す者よりまさっている、そうであれば道を得たのだ、という。

解説

この段は、君主が自分の耳目や知恵を頼りにする危うさを、韓の昭釐侯の逸話を軸に説きます。犠牲の豚を耳で見分けた聡明さを、申不害はむしろ危険な兆候として批判し、聴・視・智を去ってこそ聡明・公平になるという逆説を提示します。一人の感覚と知恵で広大な天下を治めることは物理的に不可能だからこそ、君主は無知無為に徹し、時に応じて臣下に因り任せるべきだというのです。トップの個人的能力への過信をいましめ、成り行きと人に委ねる因循を統治術とする発想は、情報も判断も分散させて組織で意思決定する現代のマネジメントに通じる洞察です。

この章句が説くこと

任数昭釐侯申不害無知無為因循君術

この一句を、あなたの毎日に。

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