呂氏春秋 / 察今②
荊人欲襲宋,使人先表澭水。澭水暴益,荊人弗知,循表而夜涉,溺死者千有餘人,軍驚而壞都舍。嚮其先表之時可導也,今水已變而益多矣,荊人尚猶循表而導之,此其所以敗也。今世之主,法先王之法也,有似於此。其時已與先王之法虧矣,而曰“此先王之法也”而法之以為治,豈不悲哉?故治國無法則亂,守法而弗變則悖,悖亂不可以持國。世易時移,變法宜矣。譬之若良醫,病萬變,藥亦萬變。病變而藥不變,嚮之壽民,今為殤子矣。故凡舉事必循法以動,變法者因時而化。若此論則無過務矣。
新字:荊人欲襲宋,使人先表澭水。澭水暴益,荊人弗知,循表而夜渉,溺死者千有余人,軍驚而壊都舎。嚮其先表之時可導也,今水已変而益多矣,荊人尚猶循表而導之,此其所以敗也。今世之主,法先王之法也,有似於此。其時已与先王之法虧矣,而曰“此先王之法也”而法之以為治,豈不悲哉?故治国無法則乱,守法而弗変則悖,悖乱不可以持国。世易時移,変法宜矣。譬之若良医,病万変,薬亦万変。病変而薬不変,嚮之寿民,今為殤子矣。故凡舉事必循法以動,変法者因時而化。若此論則無過務矣。
書き下し
荊人、宋を襲わんと欲し、人をして先づ澭水を表せしむ。澭水暴かに益す。荊人知らず。表に循いて夜涉り、溺死する者千有餘人。軍驚きて都ての舍を壊る。嚮に其の先づ之を表せし時は導きとす可きなり。今水已に變じて益々多し。荊人尚猶ほ表に循いて之を導きとす、此れ其の敗れし所以なり。今、世の主、先王の法に法れるや、此に似たる有り。其の時已に先王の法と虧けたり。而るに、此れ先王の法なりと曰いて、之に法り、以て治を為す。豈に悲しからずや。故に國を治むるに法無ければ則ち亂れ、法を守りて變ぜざれば則ち悖り、悖亂すれば以て國を持す可からず。世易わり時移らば、法を變ずること宜なり。之を譬うれば良醫の、病萬變すれば、藥も亦た萬變するが若し。病變じて藥變ぜざれば、嚮の壽民は、今は殤子と為らん。故に凡そ事を舉ぐるには必ず法に循いて以て動き、法を變ずる者は時に因りて化す。此の論の若くなれば則ち過務無し。
現代語訳
楚人が宋を襲おうとして、まず澭水に渡渉の目印を立てさせた。ところが澭水が急に増水した。楚人はそれを知らず、以前の目印に従って夜に川を渡ったので、溺死する者が千余人も出た。軍は大混乱し、まるで建物が崩れるように総崩れになった。以前、目印を立てたときはそれで渡れたのだが、今は水が増えて量が変わってしまった。それなのに楚人はなお古い目印に従って渡ろうとした。これが敗れた原因である。今の世の君主が先王の法をそのまま手本にするのも、これに似ている。時代はすでに先王の時代とかけ離れているのに、「これが先王の法だ」と言ってそれに従い、政治を行う。何と悲しいことか。だから国を治めるのに法がなければ乱れ、法を守っても変えなければ道理に背き、道理に背いて乱れれば国を保てない。世が移り時が変われば、法を変えるのが当然である。たとえば名医が、病が千変万化すれば薬もそれに応じて千変万化させるようなものだ。病が変わったのに薬を変えなければ、以前なら長生きできた者も、今は若死にしてしまう。だから事を起こすには必ず法に従って動き、しかも法を変える者は時に応じて変化させる。この考え方どおりにすれば、過ちある務めはなくなる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・察今③夫れ敢て法を議せざる者は、衆庶なり。死を以て守る者は、有司なり。時に因り法を變ずる者は、賢主なり。是の故に天下を有てる七十一聖の、其の法は皆同じからざるは、務めて相反するに非ざるなり。時勢の異なればなり。故に曰く、「良劍は斷ずるを期して、鏌邪を期せず。良馬は千里を期して、驥驁を期せず。」夫れ功名を成す者は、此れ先王の千里なり。楚人に江を渉る者有り。其の劍、舟中自り水に墜ち、遽に其の舟に契みて曰く、「是れ吾が劍の從りて墜つる所なり。」舟止まり、其の契みし所の者に從り、水に入りて之を求む。舟は已に行けども、劍は行かず。劍を求むること此くの若きは、亦た惑わずや。故法を以て其の國を為むるは此と同じ。時已に徙れども、法は徙らず。此を以て治を為すは、豈に難からずや。江上を過ぐる者有り。人方に嬰兒を引きて之を江中に投ぜんと欲して、嬰兒の啼くを見る。人其の故を問う。曰く、「此れ其の父善く游ぐ。」其の父善く游ぐと雖も、其の子豈に遽に善く游がんや。此れ物を任うるも亦た必ず悖れり。荊國の政を為すや、此に似たる有り。
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呂氏春秋・察今①上は胡ぞ先王の法に法らざる。賢とせざるには非ざるなり。其の得て法る可からざるが為なり。先王の法は、上世を經て來たれる者なり。人或いは之を益し、人或いは之を損う。胡ぞ得て法る可けんや。人損益せずと雖も、猶若ほ得て法る可からず。東夏の命、古今の法は、言異にして典殊なり。故に古の命は多く今の言に通ぜざる者なり。今の法は多く古の法に合わざる者なり。殊俗の民は、此に似たる有り。其の欲を為す所は同じくして、其の為す所は異なれり。口惛の命の愉られざるは、舟車衣冠・滋味聲色の同じからざるが若し。人は以て自ら是とし、反りて以て相誹る。天下の學者は多辯なれども、言は利に辭は倒にして、其の實を求めず、務めて以て相毀り、勝つを以て故と為す。先王の法、胡ぞ得て法る可き。得可しと雖も、猶若ほ法る可からず。凡そ先王の法は、時に要有るなり。時は法と俱に至らざれば、法は今にして至ると雖も、猶若ほ法る可からず。故に先王の成法を擇てて、其の法を為れる所以に法る。先王の法を為れる所以とは何ぞや。先王の法を為れる所以は人なり。而して己も亦た人なり。故に己を察すれば則ち以て人を知る可く、今を察すれば則ち以て古を知る可し。古今は一なり。人と我とは同じきのみ。有道の士は、近きを以て遠きを知り、今を以て古を知り、見る所を益すを以て、見ざる所を知るを貴ぶ。故に堂下の陰を審らかにして、日月の行、陰陽の變を知る。瓶水の冰を見て、天下の寒く、魚鱉の藏るるを知り、一脟の肉を嘗めて、一鑊の味、一鼎の調を知る。
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説苑・雜言今夫れ世異なれば則ち事変ず、事変ずれば則ち時移る、時移れば則ち俗易わる。是を以て君子は先ず其の土地を相て、其の器を裁し、其の俗を観て、其の風を和らげ、衆議を総べて其の教えを定む。愚人に遠射を学ぶ者有り、矢を参えて発つに、已に五歩の内を射れば、又復た矢を参えて発つ。世は以て易わりたるに、其の儀を更めず、譬えば愚人の遠射を学ぶが如し。目秋毫の末を察する者は、視ること太山を見る能わず。耳清濁の調を聴く者は、雷霆の声を聞かず。何ぞや。唯だ其の意の移る所有ればなり。百人觿を操るも、固結を為す可からず。千人獄を謗るも、直辞を為す可からず。万人非を比するも、顕士を為す可からず。
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説苑・君道宋大水す。魯人之を弔いて曰く、「天淫雨を降らし、谿谷満盈し、延いて君の地に及び、以て執政を憂えしむ、臣をして敬んで弔わしむ」と。宋人之に応えて曰く、「寡人不佞にして、斎戒謹まず、邑封修まらず、人を使うこと時ならず、天殃を加え、又君の憂いを遺す、命を拝するの辱を」と。君子之を聞きて曰く、「宋国其れ庶幾からんか」と。問いて曰く、「何の謂いぞや」と。曰く、「昔夏の桀殷の紂は其の過ちを任ぜず、其の亡ぶるや忽焉たり。成湯文武は其の過ちを任ずることを知り、其の興るや勃焉たり。夫れ過ちて之を改むるは、是れ猶お過たざるがごとし。故に曰く其れ庶幾からんかと」と。宋人之を聞き、夙に興き夜に寐ね、早に朝し晏に退き、死を弔い疾を問い、力を宇内に戮す。三年にして、歳豊かに政平らかなり。嚮に宋人をして君子の語を聞かざらしめば、則ち年穀未だ豊かならずして国未だ寧からず。詩に曰く、「時の仔肩を佛け、我に顕徳の行いを示す」と、此を之れ謂うなり。
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史記 趙世家王曰く、「齊民は俗と流れ、賢者は変と俱にす。故に諺に曰く、『書を以て御する者は馬の情を尽くさず、古を以て今を制する者は事の変に達せず』と。法に循ふの功は、以て世に高きに足らず、古に法るの学は、以て今を制するに足らず」と。
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呂氏春秋・髙義④荊人、吳人と將に戰わんとす。荊の師寡く、吳の師衆し。荊の將軍子囊曰く、「我、吳人と戰わば、必ず敗れん。王の師を敗り、王の名を辱しめ、壤土を虧くは、忠臣、為すに忍びざるなり。」王に復さずして遁れ、郊に至り、人をして王に復さしめて曰く、「臣請う死せん。」王曰く、「將軍の遁れたるは、其の利為るを以てなり。今誠に利ならば、將軍何ぞ死せん。」子囊曰く、「遁るる者罪無くんば、則ち後世の王の臣為る者、皆不利の名に依りて、臣の遁れたるに效わんとす。是きの若くなれば則ち荊國終に天下に撓められん。」遂に劍に伏して死す。王曰く、「請う將軍の義を成さん。」乃ち之に桐棺三寸を為り、斧鑕を其の上に加う。人主の患は存すれども、存する所以を知らず、亡ぶれども亡ぶる所以を知らず。此れ存亡の數々至る所以なり。郼・岐の廣さにして、萬國の順いしは、此れ從り生ず。荊の國を為すこと四十二世、嘗て乾谿・白公の亂有り、嘗て鄭襄・州侯の避有り、而も今も猶ほ萬乘の大國為るは、其の時臣に子囊の如きもの有ればなりしか。子囊の節は、獨り一世の人臣を厲ますのみに非ざるなり。