呂氏春秋 / 順說③
田贊衣補衣而見荊王。荊王曰:“先生之衣何其惡也?”田贊對曰:“衣又有惡於此者也。”荊王曰:“可得而聞乎?”對曰:“甲惡於此。”王曰:“何謂也?”對曰:“冬日則寒,夏日則暑,衣無惡乎甲者。贊也貧,故衣惡也。今大王,萬乘之主也,富貴無敵,而好衣民以甲,臣弗得也。意者為其義邪?甲之事,兵之事也,刈人之頸,刳人之腹,隳人之城郭,刑人之父子也,其名又甚不榮。意者為其實邪?苟慮害人,人亦必慮害之;苟慮危人,人亦必慮危之。其實人則甚不安。之二者,臣為大王無取焉。”荊王無以應。說雖未大行,田贊可謂能立其方矣。若夫偃息之義,則未之識也。
新字:田賛衣補衣而見荊王。荊王曰:“先生之衣何其悪也?”田賛対曰:“衣又有悪於此者也。”荊王曰:“可得而聞乎?”対曰:“甲悪於此。”王曰:“何謂也?”対曰:“冬日則寒,夏日則暑,衣無悪乎甲者。賛也貧,故衣悪也。今大王,万乗之主也,富貴無敵,而好衣民以甲,臣弗得也。意者為其義邪?甲之事,兵之事也,刈人之頸,刳人之腹,隳人之城郭,刑人之父子也,其名又甚不栄。意者為其実邪?苟慮害人,人亦必慮害之;苟慮危人,人亦必慮危之。其実人則甚不安。之二者,臣為大王無取焉。”荊王無以応。説雖未大行,田賛可謂能立其方矣。若夫偃息之義,則未之識也。
書き下し
田贊、補衣を衣て荊王に見ゆ。荊王曰く、「先生の衣、何ぞ其れ惡しきや。」田贊對えて曰く、「衣に又此れより惡しき者有るなり。」荊王曰く、「得て聞く可きか。」對えて曰く、「甲は此れより惡し。」王曰く、「何の謂ぞや。」對えて曰く、「冬日は則ち寒く、夏日は則ち暑し。衣は甲より惡しき者無し。贊や貧なり、故に衣惡しきなり。今大王は、萬乘の主なり。富貴敵無し。而るに好みて民に衣するに甲を以てするは、臣得ざるなり。意うに其の義なるが為か。甲の事は、兵の事なり。人の頸を刈り、人の腹を刳き、人の城郭を隳り、人の父子を刑すなり。其の名又甚だ榮ならず。意うに其の實なるが為か。苟しくも人を害せんことを慮れば、人も亦た必ず之を害せんことを慮る。苟しくも人を危うくせんことを慮れば、人も亦た必ず之を危うくせんことを慮る。其れ人に實なれば則ち甚だ安からず。之の二つの者は、臣、大王の為に取る無し。」荊王以て應うる無し。説未だ大いには行われずと雖も、田贊は能く其の方を立てたりと謂う可し。若し夫れ偃息の義は、則ち未だ之れ識らざるなり。
現代語訳
田贊がつぎはぎの粗末な着物を着て楚王に謁見した。楚王が「先生の着物は、何とみすぼらしいことか」と言うと、田贊は「着物にはこれよりもっとみすぼらしいものがあります」と答えた。王が「聞かせてもらえるか」と言うと、「鎧はこれよりみすぼらしいものです」と答えた。王が「どういうことか」と問うと、田贊は「鎧は冬は寒く夏は暑く、着物として鎧よりみすぼらしいものはありません。私は貧しいから着物が粗末なのです。ところで王は万乗の君主で富貴に並ぶ者がない。それなのに好んで民に鎧を着せています。その理由が分かりません。大義のためでしょうか。しかし鎧のことは戦のことで、人の首を刈り腹を切り裂き、城郭を壊し、人の親子を殺すもので、その名は少しも栄えあるものではありません。では実利のためでしょうか。人を害しようとすれば、相手も必ずこちらを害そうとし、人を危うくしようとすれば、相手も必ずこちらを危うくしようとします。実際には身がはなはだ安らかでなくなります。大義にも実利にも、私は王のために鎧を取りません」と言った。楚王は返す言葉がなかった。田贊の進言は大きく実行はされなかったが、その方策をよく立てたといえる。ただし兵を止め民を休ませる具体的な道までは、まだ論じ及んでいなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・反質晉の平公馳逐の車を為る、龍旌象色、之に挂くるに犀象を以てし、之に錯うるに羽芝を以てす、車成りて金千鎰を題す、之を殿下に立て、群臣をして觀るを得しむ。田差三たび過ぎて一たびも顧みず、平公色を作して大いに怒り、田差に問う「爾三たび過ぎて一たびも顧みざるは、何を為すや?」と。田差對えて曰く、「臣聞く天子を說く者は天下を以てし、諸侯を說く者は國を以てし、大夫を說く者は官を以てし、士を說く者は事を以てし、農夫を說く者は食を以てし、婦姑を說く者は織を以てすと。桀は奢を以て亡び、紂は淫を以て敗る、是を以て敢えて顧みざるなり。」と。平公曰く、「善し。」と。乃ち左右に命じて曰く、「車を去れ!」と。
-
戦国策・鄭同北見趙王鄭同北のかた趙王に見ゆ。趙王曰く、「子は南方の伝士なり、何を以て之を教えんとするか」と。鄭同曰く、「臣は南方草鄙の人なり、何ぞ問うに足らんや。然りと雖も、王之を前に致せば、安んぞ敢えて対えざらんや。臣少きの時、親嘗て教うるに兵を以てせり」と。趙王曰く、「寡人兵を好まず」と。鄭同因りて手を撫し天を仰ぎて之を笑いて曰く、「兵は固より天下の狙喜なり、臣故に大王の好まざるを意えり。臣も亦た嘗て兵を以て魏の昭王に説けり、昭王も亦た曰く、『寡人喜ばず』と。臣曰く、『王の行いは能く許由の若くならんや。許由は天下の累無し、故に受けざるなり。今王既に先王の伝を受け、宗廟の安きを欲し、壌地削られず、社稷の血食せんことを欲するか』と。王曰く、『然り』と。今人有りて随侯の珠を操り、丘の環を持ち、万金の財あり、時に野に宿らば、内に孟賁の威、荊慶の断無く、外に弓弩の禦無くんば、宿夕を出でずして、人必ず之を危うくせん。今強貪の国有り、王の境に臨みて、王の地を索む、告ぐるに理を以てすれば則ち不可、説くに義を以てすれば則ち聴かず。王戦国守圉の具に非ずんば、其れ将に何を以て之に当たらんとするか。王若し兵無くんば、鄰国志を得ん」と。趙王曰く、「寡人請う教えを奉ぜん」と。
-
呂氏春秋・似順③田成子の國を有ちて今に至るを得る所以の者は、兄有り完子と曰い、仁にして且つ勇有ればなり。越人、師を興し田成子を誅せんとして曰く、「奚の故に君を殺して國を取る。」田成子、之を患う。完子、士大夫を率いて以て越の師を逆えんことを請う。必ず戰わんことを請い、戰えば必ず敗れんことを請い、敗るれば必ず死せんことを請う。田成子曰く、「夫れ必ず越と戰うは可なり。戰えば必ず敗れ、敗るれば必ず死せんとは、寡人疑う。」完子曰く、「君の國を有つや、百姓、上を怨み、賢良にして又死有るの臣恥を蒙る。完を以て之を觀れば、國已に懼れり。今、越人師を起こし、臣之と戰い、戰いて敗るれば、賢良盡く死し、死せざる者も敢て國に入らず。君、諸孤と國に處らば、臣を以て之を觀るに、國必ず安からん。」完子行き、田成子泣きて之を遣る。夫れ死敗は、人の惡む所なり。而るに反って以て安しと為す。豈に一道ならんや。故に人主の聽く者と士の學ぶ者とは、博からざる可からず。
-
呂氏春秋・順說②惠盎、宋の康王に見ゆ。康王、足を蹀みて謦欬し、疾言して曰く、「寡人の説ぶ所の者は、勇にして力有るなり。仁義を為す者を説ばず。客將に何を以て寡人に教えんとする。」惠盎對えて曰く、「臣此に道有り。人をして勇なりと雖も、之を刺して入らず、力有りと雖も、之を撃ちて中らざらしむ。大王獨り意無きか。」王曰く、「善し。此れ寡人の聞かんと欲する所なり。」惠盎曰く、「夫れ之を刺せども入らず、之を撃てども中らざるは、此れ猶ほ辱なり。臣此に道有り。人をして勇有りと雖も敢て刺さず、力有りと雖も敢て撃たざらしむ。大王獨り意無きか。」王曰く、「善し。此れ寡人の知らんと欲する所なり。」惠盎曰く、「夫れ敢て刺さず、敢て擊たざるは、其の志無きに非ざるなり。臣此に道有り。人をして本其の志を無からしむるなり。大王獨り意無きか。」王曰く、「善し。此れ寡人の願う所なり。」惠盎曰く、「夫れ其の志無きも、未だ愛利の心有らざるなり。臣此に道有り。天下の丈夫女子をして驩然として皆之を愛利せんと欲せざる莫からしむ。此れ其の勇にして力有るに賢るや、四累の上に居る。大王獨り意無きか。」王曰く、「此れ寡人の得んと欲する所なり。」惠盎對えて曰く、「孔・墨是れなり。孔丘・墨翟は、地無くして君為り、官無くして長為り。天下の丈夫女子、延頸を延べ踵を舉げて、之に安んじ利せんことを願わざるもの莫し。今大王は、萬乘の主なり。誠に其の志有らば、則ち四境の內皆其の利を得、其の孔・墨に賢ること遠からん。」宋王以て應うる無し。惠盎趨りて出づ。宋王左右に謂いて曰く、「辧なり。客の説を以て寡人を服すこと。」宋王は、俗主なり、而れども心猶ほ服す可きは、因ればなり。因れば則ち貧賤も以て富貴に勝つ可く、小弱も以て彊大を制す可し。
-
戦国策・秦一・田莘之為陳軫說秦惠王田莘、陳軫の為に秦の惠王に說きて曰わく、「臣王の郭君の如くならんことを恐る。夫れ晉の獻公郭を伐たんと欲するも、舟之僑の存するを憚る。荀息曰わく、『周書に言有り、美女は舌を破る』と。乃ち之に女樂を遺り、以て其の政を亂す。舟之僑諫めて聽かれず、遂に去る。因りて郭を伐ち、遂に之を破る。又虞を伐たんと欲するも、宮之奇の存するを憚る。荀息曰わく、『周書に言有り、美男は老を破る』と。乃ち之に美男を遺り、之に宮之奇を惡ましむることを教う。宮之奇諫むるを以て聽かれず、遂に亡ぐ。因りて虞を伐ち、遂に之を取る。今秦自ら王と為すも、能く王者の國を害する者は、楚なり。楚は橫君の兵を用うるに善きを智とし、兵を用うると陳軫の智とを、故に張儀を驕らしむるに五國を以てす。來らば、必ず是の二人を惡まん。願わくは王聽く勿かれ。」張儀果たして來りて辭し、因りて軫を言う、王怒りて聽かず。
-
荀子・議兵篇楚人は鮫革・犀兕を以て甲と為す。鞈堅きこと金石の如し。宛の鉅鉄の矛は、慘たること蜂蠆の如く、軽利僄遫にして、卒かなること飄風の如し。然り而して兵は垂沙に殆うくして、唐蔑死す。荘蹻起ちて、楚は分かれて三四と為る。是れ豈に堅甲利兵無からんや。其の之を統ぶる所以の者、其の道に非ざるが故なり。汝・潁を以て険と為し、江・漢を以て池と為し、之を限るに鄧林を以てし、之に縁るに方城を以てす。然り而して秦師至りて、鄢・郢挙がること、槁を振るうが若く然り。是れ豈に固塞隘阻無からんや。其の之を統ぶる所以の者、其の道に非ざるが故なり。紂は比干を刳き、箕子を囚え、炮烙の刑を為し、殺戮に時無し。臣下は懍然として其の命を必とする莫し。然り而して周師至りて、令は下に行われず、其の民を用うること能わず。是れ豈に令厳ならず、刑繁からざらんや。其の之を統ぶる所以の者、其の道に非ざるが故なり。