呂氏春秋 / 報更④
孟嘗君前在於薛,荊人攻之。淳于髡為齊使於荊,還反,過於薛。孟嘗君令人禮貌而親郊送之,謂淳于髡曰:“荊人攻薛,夫子弗為憂,文無以復待矣。”淳于髡曰:“敬聞命矣。”至於齊,畢報。王曰:“何見於荊?”對曰:“荊甚固,而薛亦不量其力。”王曰:“何謂也?”對曰:“薛不量其力,而為先王立清廟,荊固而攻薛,薛清廟必危,故曰薛不量其力,而荊亦甚固。”齊王知顏色,曰:“嘻!先君之廟在焉。”疾舉兵救之,由是薛遂全。顛蹙之請,坐拜之謁,雖得則薄矣。故善說者,陳其勢,言其方,見人之急也,若自在危厄之中,豈用彊力哉?彊力則鄙矣。說之不聽也,任不獨在所說,亦在說者。
新字:孟嘗君前在於薛,荊人攻之。淳于髡為斉使於荊,還反,過於薛。孟嘗君令人礼貌而親郊送之,謂淳于髡曰:“荊人攻薛,夫子弗為憂,文無以復待矣。”淳于髡曰:“敬聞命矣。”至於斉,畢報。王曰:“何見於荊?”対曰:“荊甚固,而薛亦不量其力。”王曰:“何謂也?”対曰:“薛不量其力,而為先王立清廟,荊固而攻薛,薛清廟必危,故曰薛不量其力,而荊亦甚固。”斉王知顏色,曰:“嘻!先君之廟在焉。”疾舉兵救之,由是薛遂全。顛蹙之請,坐拝之謁,雖得則薄矣。故善説者,陳其勢,言其方,見人之急也,若自在危厄之中,豈用彊力哉?彊力則鄙矣。説之不聴也,任不独在所説,亦在説者。
書き下し
孟嘗君前に薛に在りしとき、荊人、之を攻む。淳于髡、齊の為に荊に使いし、還反りて、薛を過る。孟嘗君、人をして禮貌せしめて、親ら之を郊送し、淳于髡に謂いて曰く、「荊人、薛を攻む。夫子為に憂えずんば、文以て復た待すること無けん。」淳于髡曰く、「敬みて命を聞けり。」齊に至り、報を畢う。王曰く、「何をか荊に見たる。」對えて曰く、「荊は甚だ固なり、而して薛も亦た其の力を量らず。」王曰く、「何の謂ぞや。」對えて曰く、「薛は其の力を量らずして、先王の為に清廟を立て、荊は固にして薛を攻む。薛の清廟必ず危うからん。故に曰く、薛、其の力を量らずして、而して荊も亦た甚だ固なり。」齊王、顏色を知して曰く、「嘻、先君の廟焉に在り。」疾やかに兵を舉げて之を救う。是に由りて薛遂に全し。顛蹙の請、坐拜の謁、得ると雖も則ち薄し。故に善く説く者は、其の勢を陳べ、其の方を言い、人の急を見ること、自ら危厄の中に在るが若し。豈に彊力を用いんや。彊力は則ち鄙し。説の聽かれざるは、任獨り説く所に在るのみならず、亦た説く者に在り。
現代語訳
孟嘗君がかつて薛にいたとき、楚人がこれを攻めた。淳于髡が斉のために楚へ使いし、帰る途中で薛を通りかかった。孟嘗君は人に丁重にもてなさせ、自ら郊外まで見送って、淳于髡に「楚人が薛を攻めています。あなたが心配してくださらなければ、私はもう二度とお目にかかれないでしょう」と言った。淳于髡は「謹んで承りました」と答えた。斉に帰って復命を終えると、王が「楚で何を見たか」と問うた。淳于髡は「楚はきわめて頑強で、薛もまた自分の力量をわきまえていません」と答えた。王が「どういうことか」と問うと、「薛は力量もわきまえず先王のために清廟を建てています。頑強な楚がその薛を攻めれば、薛の清廟は必ず危うくなります。だから薛は力量をわきまえず、楚もまた甚だ頑強だと申したのです」と答えた。斉王は顔色を変えて「ああ、先君の廟があそこにあるのだ」と言い、急いで兵を挙げて薛を救った。こうして薛は無事に保たれた。ころがり込むような哀願や、ひざまずいての嘆願は、たとえ通っても効果は薄い。だから巧みに説く者は、情勢を述べ方策を語り、相手の危急をまるで自分がその危難の只中にいるかのように示す。どうして力ずくを用いようか。力ずくは下品である。進言が聞き入れられないのは、責任がひとり説かれる側だけにあるのではなく、説く側にもあるのだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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戦国策・孟嘗君在薛孟嘗君薛に在り、荊人之を攻む。淳于髡齊の爲に荊に使ひし、還反して薛を過ぐ。而して孟嘗人をして體貌せしめて親ら之を郊迎す。淳于髡に謂ひて曰く、「荊人薛を攻む、夫子憂へずんば、文以て復た侍する無からん。」淳于髡曰く、「敬んで命を聞かん。」齊に至り、畢く報ず。王曰く、「何をか荊に見る。」對へて曰く、「荊甚だ固く、而して薛も亦た其の力を量らず。」王曰く、「何の謂ひぞや。」對へて曰く、「薛其の力を量らずして、先王の爲に清廟を立つ。荊固くして之を攻む、清廟必ず危からん。故に薛力を量らずと曰ひ、荊も亦た甚だ固しと曰ふ。」齊王其の顏色を和らげて曰く、「譆(ああ)、先君の廟焉に在り。」疾く兵を興して之を救ふ。顛蹶の請、望拜の謁、得ると雖も則ち薄し。善く説く者は、其の勢を陳べ、其の方を言ふ、人の急なる、自ら隘窘の中に在るが若し、豈に強力を用ひんや。
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説苑・復恩楚魏晋陽に会し、将に以て斉を伐たんとす、斉王之を患ひ、人をして淳于髡を召さしめて曰く、「楚魏謀りて斉を伐たんと欲す、願はくは先生と寡人と共に之を憂へん」と。淳于髡大いに笑ひて応ぜず、王後に之に問ふも、又復た大いに笑ひて応ぜず、三たび問ふも応ぜず、王怫然として色を作して曰く、「先生寡人の国を以て戯と為すか」と。淳于髡対へて曰く、「臣敢へて王の国を以て戯と為さざるなり、臣鄰の田を祠るを笑ふ、奩飯を以て一鮒魚に与ふ、其の祝に曰く、下田洿邪なるも、穀百車を得ん、蟹堁の者は禾に宜しからん、と。臣其の祠る所以の者少くして求むる所の者多きを笑ふなり」と。王善しと曰ひ、之に千金、革車百乗を賜ひ、立てて上卿と為す。
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戦国策・薛公為魏謂魏冉薛公、魏の為に魏冉に謂ひて曰く、「文聞く、秦王呂禮を以て齊を收め、以て天下を濟(な)さんと欲すと。君必ず輕んぜられん。齊・秦相聚まりて以て三晉に臨まば、禮必ず并びに之に相たらん。是れ君齊を收めて以て呂禮を重んずるなり。齊天下の兵を免れなば、其の君を讎とすること必ず深からん。君は秦王を勸めて弊邑をして卒(つひ)に齊を攻むるの事あらしむるに如かず。齊破れなば、文請ふ得る所を以て君を封ぜん。齊破れて晉強くならば、秦王晉の強きを畏れ、必ず君を重んじて以て晉を取らん。齊晉に弊邑を予へて秦に支ふる能はずんば、晉必ず君を重んじて以て秦に事へん。是れ君齊を破りて以て功と為し、晉を操りて以て重と為すなり。齊を破りて封を定めなば、秦・晉皆君を重んぜん。若し齊破れずして呂禮復た用ゐられなば、子必ず大いに窮せん。」
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戦国策・齊欲伐魏齊魏を伐たんと欲す、魏人をして淳于髡(じゅんうこん)に謂わしめて曰く、「齊魏を伐たんと欲す、能く魏の患いを解く者は、唯だ先生のみなり。敝邑宝璧二双、文馬二駟有り、請う之を先生に致さん」と。淳于髡曰く、「諾」と。入りて齊王に説きて曰く、「楚は、齊の仇敵なり。魏は、齊の与国なり。夫れ与国を伐ちて、仇敵をして其の敝を制せしむるは、名醜くして実危うし、王の為に取らざるなり」と。齊王曰く、「善し」と。乃ち魏を伐たず。客齊王に謂いて曰く、「淳于髡魏を伐たずと言う者は、魏の璧・馬を受ければなり」と。王以て淳于髡に謂いて曰く、「先生魏の璧・馬を受くと聞く、諸(これ)有りや」と。曰く、「之有り」と。「然らば則ち先生の寡人の為に之を計るは何如(いかん)ぞ」と。淳于髡曰く、「魏を伐つの事便ならず、魏髡を刺すと雖も、王に於いて何の益あらん。若し誠に便ならずんば、魏髡を封ずと雖も、王に於いて何の損あらん。且つ夫れ王与国を伐つの誹り無く、魏亡ぼさるるを見るの危うき無く、百姓兵を被るの患い無く、髡璧・馬の宝有り、王に於いて何ぞ傷まんや」と。
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説苑・尊賢十三年、諸侯兵を挙げて以て斉を伐たんとす。斉王之を聞き、惕然として恐れ、其の群臣大夫を召して告げて曰く、「智有らば寡人の為に之を用いよ」と。是に於いて博士淳于髡天を仰ぎて大笑して応えず。王復た之を問うに、又大笑して応えず。三たび笑いて応えず。王艴然として色を作して悦ばず曰く、「先生寡人の語を以て戯れと為すか」と。対えて曰く、「臣敢えて大王の語を以て戯れと為すに非ざるなり。臣は臣の隣の田を祠るを笑うなり。一奩の飯、一壺の酒、三鮒魚を以て、祝いて曰く、『蟹堁なる者は禾に宜しく、洿邪なる者は百車、之を後世に伝えて、洋洋として余り有れ』と。臣は其の鬼に賜うこと薄くして之に請うこと厚きを笑うなり」と。是に於いて王乃ち淳于髡を立てて上卿と為し、之に千金、革車百乗を賜い、諸侯の事を平ぐるに与らしむ。諸侯之を聞き、立ちどころに其の兵を罷め、其の士卒を休め、遂に敢えて斉を攻めず。此れ淳于髡の力に非ざらんや。
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史記 滑稽列伝威王八年、楚大いに兵を発して齊に加ふ。齊王淳于髡をして趙に之きて救兵を請はしむ、金百斤、車馬十駟を齎す。淳于髡仰ぎて天を大笑し、冠纓索絶す。王曰く、「先生之を少しとするか」と。髡曰く、「今者臣東方より来たり、道傍に禳田する者を見る、一豚蹄・酒一盂を操りて、祝して曰く、『甌窶篝に満ち、汙邪車に満ち、五穀蕃熟し、穰穰家に満て』と。臣其の持つ所の者狹くして欲する所の者奢なるを見る、故に之を笑ふ」と。是に於て齊威王乃ち益す黄金千溢、車馬百駟を齎す。髡辞して行き、趙に至る。趙王之に精兵十萬、革車千乗を与ふ。