呂氏春秋 / 權勳⑤
昌國君將五國之兵以攻齊。齊使觸子將,以迎天下之兵於濟上。齊王欲戰,使人赴觸子,恥而訾之曰:“不戰,必(戔刀)若類,掘若壟。”觸子苦之,欲齊軍之敗。於是以天下兵戰,戰合,擊金而卻之,卒北,天下兵乘之,觸子因以一乘去,莫知其所,不聞其聲。達子又帥其餘卒,以軍於秦周,無以賞,使人請金於齊王。齊王怒曰:“若殘豎子之類,惡能給若金?”與燕人戰,大敗,達子死,齊王走莒。燕人逐北入國,相與爭金於美唐甚多。此貪於小利以失大利者也。
新字:昌国君将五国之兵以攻斉。斉使触子将,以迎天下之兵於済上。斉王欲戦,使人赴触子,恥而訾之曰:“不戦,必(戔刀)若類,掘若壟。”触子苦之,欲斉軍之敗。於是以天下兵戦,戦合,擊金而却之,卒北,天下兵乗之,触子因以一乗去,莫知其所,不聞其声。達子又帥其余卒,以軍於秦周,無以賞,使人請金於斉王。斉王怒曰:“若残豎子之類,悪能給若金?”与燕人戦,大敗,達子死,斉王走莒。燕人逐北入国,相与争金於美唐甚多。此貪於小利以失大利者也。
書き下し
昌國君、五國の兵を将いて以て齊を攻む。齊、觸子をして將として、以て天下の兵を濟上に迎えしむ。齊王、戰わんことを欲して、人をして觸子に赴かしめ、恥めんとして之を訾りて曰く、「戰わずんば、必ず若の類を剗し、若の壟を掘らん。」觸子、之を苦み、齊軍の敗れんことを欲す。是に於て天下の兵と戰い、戰い合いて、金を撃ちて之を卻く。卒北げ、天下の兵之に乘ず。觸子因りて一乘を以て去り、其の所を知るもの莫く、其の聲を聞かず。達子又其の餘卒を帥いて、以て秦周に軍す。以て賞する無し。人をして金を齊王に請わしむ。齊王怒りて曰く、「若殘豎子の類、惡くんぞ能く若に金を給せん。」燕人と戰い、大いに敗れ、達子死し、齊王莒に走る。燕人、北ぐるを逐い國に入り、相與に金を美唐に争うこと甚だ多し。此れ小利を貪りて以て大利を失う者なり。
現代語訳
昌国君(楽毅)が五か国の軍を率いて斉を攻めた。斉は触子を将として天下の連合軍を済水のほとりに迎え撃たせた。斉王は決戦を望み、使者を触子のもとに送って辱め、「戦わなければ必ずお前の一族を根絶やしにし、墓を暴くぞ」と罵らせた。触子は苦しんで、いっそ斉軍が負けることを願うようになった。そこで連合軍と戦端を開くと、すぐに銅鑼を打って退却させた。兵は総崩れになり、連合軍がこれに乗じた。触子は一台の車で去り、その行方は誰も知らず消息も絶えた。達子が残兵を率いて秦周に陣取ったが、恩賞に充てるものがなく、使者を送って斉王に軍資金を求めた。斉王は怒って「お前ら役立たずどもに、どうして金など与えられるか」と言った。こうして燕軍と戦って大敗し、達子は戦死、斉王は莒に逃げた。燕軍は敗走兵を追って都に攻め入り、美唐で財宝をわれ先にと奪い合った。これこそ小さな利を貪って大きな利を失った例である。
解説
この章句が説くこと
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戦国策・昌國君樂毅為燕昭王合五國之兵而攻齊昌国君楽毅、燕の昭王の為に五国の兵を合して斉を攻め、七十余城を下し、尽く之を郡県として以て燕に属せしむ。三城未だ下らざるに、燕の昭王死す。恵王位に即き、斉人の反間を用い、楽毅を疑いて騎劫をして之に代わりて将たらしむ。楽毅趙に奔る、趙封じて以て望諸君と為す。斉の田単騎劫を欺詐し、卒に燕軍を敗り、復た七十城を収めて以て斉を復す。燕王悔い、趙の楽毅を用いて燕の弊に乗じて以て燕を伐たんことを懼る。燕王乃ち人をして楽毅を譲めしめ、且つ之に謝して曰く、「先王国を挙げて将軍に委ね、将軍燕の為に斉を破り、先王の讎に報い、天下振動せざる莫し、寡人豈敢えて一日も将軍の功を忘れんや。会たま先王群臣を棄て、寡人新たに位に即き、左右寡人を誤れり。寡人の騎劫をして将軍に代わらしめし所以は、将軍の久しく外に暴露するが為、故に将軍を召して且く事を計るを休めしめんとすればなり。将軍過ちて聴き、以て寡人と郄有りとし、遂に燕を捐てて趙に帰す。将軍自ら計を為すは則ち可なり、而も亦何を以て先王の将軍を遇する所以の意に報いんや」と。 望諸君乃ち人をして書を献じて燕王に報ぜしめて曰く、「臣不佞にして、先王の教えを奉承し、以て左右の心に順う能わず、斧質の罪に抵れて以て先王の明を傷い、而も又足下の義を害せんことを恐れ、故に遁逃して趙に奔る。自ら不肖の罪を負う、故に敢えて辞説を為さず。今王使者をして之を数めしむ、臣侍御者の先王の臣を畜幸せし所以の理を察せずして、而も又臣の先王に事えし所以の心を白かにせざらんことを恐る、故に敢えて書を以て対う。 「臣聞く、賢聖の君は、禄を以て其の親を私せず、功多き者之を授く。官を以て其の愛に随わず、能く当たる者之に処る。故に能を察して官を授くる者は、成功の君なり。行いを論じて交わりを結ぶ者は、名を立つるの士なり。臣学ぶ所を以て之を観るに、先王の挙錯、世に高きの心有り、故に節を魏王に仮り、身を以て燕に察せらるるを得たり。先王過ちて挙げ、之を賓客の中より擢んで、之を群臣の上に立て、父兄に謀らずして、臣をして亜卿為らしめたり。臣自ら以為えらく、令を奉じ教えを承くれば、以て幸いに罪無かるべし、と、故に命を受けて辞せず。 「先王之に命じて曰く、『我斉に積怨深怒有り、軽弱を量らずして、斉を以て事と為さんと欲す』と。臣対えて曰く、『夫れ斉は霸国の余教にして、驟勝の遺事なり、兵甲に閑にして、戦攻に習う。王若し之を攻めんと欲せば、則ち必ず天下を挙げて之を図らん。天下を挙げて之を図るは、趙に結ぶより径なるは莫し。且つ又淮北・宋地は、楚・魏の同じく願う所なり。趙若し許さば、楚・魏を約し、宋力を尽くさば、四国之を攻め、斉大いに破るべし』と。先王曰く、『善し』と。臣乃ち口に令を受け、符節を具え、南のかた臣を趙に使わす。顧みて命に反り、兵を起こして隨いて斉を攻む。天の道、先王の霊を以て、河北の地、先王の挙に隨いて之を済上に有てり。済上の軍、令を奉じて斉を撃ち、大いに之に勝つ。軽卒鋭兵、長駆して国に至る。斉王逃遁して莒に走り、僅かに身を以て免る。珠玉財宝、車甲珍器、尽く収めて燕に入る。大呂は元英に陳ね、故鼎は暦室に反り、斉器は寧台に設く。薊丘の植は、汶皇に植う。五伯自り以来、功未だ先王に及ぶ者有らざるなり。先王以て其の志に愜うと為し、臣を以て命を頓かずと為し、故に地を裂きて之を封じ、小国の諸侯に比するを得しめたり。臣不佞にして、自ら以為えらく、令を奉じ教えを承くれば、以て幸いに罪無かるべし、と、故に命を受けて辞せず。 「臣聞く、賢明の君は、功立ちて廃せず、故に春秋に著る。蚤知の士は、名成りて毀れず、故に後世に称せらる。先王の怨に報い恥を雪ぎ、万乗の強国を夷らげ、八百年の蓄積を収め、群臣を棄つるの日に至りて、余令後嗣に詔ぐの遺義、政を執り事に任ずるの臣、能く法令に循い庶孽に順う所以の者、施して萌隸に及ぶが若きは、皆以て後世に教うべし。 「臣聞く、善く作す者は、必ずしも善く成さず。善く始むる者は、必ずしも善く終えず。昔者伍子胥説かれて闔閭に聴かれ、故に呉王遠く跡して郢に至る。夫差是とせず、之に鴟夷を賜いて江に浮かべたり。故に呉王夫差先論の以て功を立つべきを悟らず、故に子胥を沈めて悔いず。子胥主の量を同じくせざるを蚤く見ざりし、故に江に入りて改めず。夫れ身を免れ功を全うし、以て先王の跡を明らかにするは、臣の上計なり。毀辱の非に離れ、先王の名を堕とすは、臣の大いに恐るる所なり。不測の罪に臨みて、幸いを以て利と為すは、義の敢えて出ださざる所なり。 「臣聞く、古の君子は、交わり絶つとも悪声を出ださず。忠臣の去るや、其の名を潔くせず。臣不佞と雖も、数々君子に教えを奉れり。侍御者の左右の説に親しみて、疏遠の行いを察せざらんことを恐る。故に敢えて書を以て報ず、唯だ君の留意せんことを」と。
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呂氏春秋・行論④齊、宋を攻む。燕王、張魁をして燕の兵を将いて以て從わしむ。齊王之を殺す。燕王之を聞き、泣數行にして下り、有司を召して之に告げて曰く、「余、事を興して、齊、我が使いを殺せり。請う、令して兵を舉げて以て齊を攻めん。」使い命を受く。凡繇進み見え、之を爭いて曰く、「王を賢とす、故に臣為らんことを願えり。今、王、賢主に非ざるなり。願わくは辭して臣為らざらん。」昭王曰く、「是れ何ぞや。」對えて曰く、「松下の亂に、先君以て安んぜず、群臣を棄つるなり。王之を苦しみ痛みて齊に事うるは、力足らざればなり。今魁死して王、齊を攻むるは、是れ魁を視ること先君に賢る。」王曰く、「諾。」王に請いて兵を止めしむ。王曰く、「然らば則ち若何せん。」凡繇對えて曰く、「請う王、縞素して辟けて郊に舎し、使いを齊に遣わし、客みて謝し、此れ盡く寡人の罪なり。大王は賢主なり。豈に盡く諸侯の使者を殺さんや。然るに燕の使者獨り死するは、此れ弊邑の人を擇ぶこと謹まざればなり。願わくは變更して罪を請うを得ん、と曰しめよ。」使者行きて齊に至る。齊王方に大いに飲し、左右の官實、御者甚だ衆し。因りて使者をして進みて報ぜしむ。使者報じて、燕王の甚だ恐懼して罪を請うことを言う。畢りて、又之を復せしめ、以て左右の官實に矜る。因りて乃ち小使を發して以て反って燕王をして舎に復せしむ。此れ濟上の敗るる所以、齊國以て虚するなり。七十城、田單微かりせば固より反らざるに幾し。湣王は大齊を以て驕りて殘せられ、田單は即ち墨城を以て功を立つ。詩に曰く、「將に之を毀たんと欲せば、必ず重ねて之を累ね、將に之を踣さんと欲せば、必ず高く之を舉げよ。」其れ此の謂か。累なりて毀たれず、舉がりて踣れざるは、其れ唯だ道有る者のみか。
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史記 楽毅列伝楽毅賢にして兵を好み、趙人之を挙ぐ。燕の昭王楽毅を以て亜卿と為す。燕の昭王悉く兵を起こし、楽毅を以て上将軍と為し、秦・楚・三晋と合謀して以て斉を伐つ。斉兵敗れ、湣王外に出亡す。楽毅独り追ひ、臨菑に至る。楽毅留まりて斉を徇ふること五歳、斉の七十余城を下し、皆郡県と為して以て燕に属せしめ、唯だ独り莒・即墨のみ未だ服せず。
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戦国策・齊破燕趙欲存之斉、燕を破る。趙之を存せんと欲す。楽毅、趙王に謂いて曰く、「今約無くして斉を攻むれば、斉必ず趙を讎とせん。如かず河東を以て燕の地に斉に易えんことを請わんには。趙に河北有り、斉に河東有らば、燕・趙必ず争わざらん。是れ二国の親しむなり。河東の地を以て斉を強くし、燕を以て趙を以て之を輔けしめば、天下之を憎み、必ず皆王に事えて以て斉を伐たん。是れ天下に因りて以て斉を破るなり」と。王曰く、「善し」と。乃ち河東を以て斉に易う。楚・魏之を憎み、淖滑・惠施をして趙に之かしめ、斉を伐ちて燕を存せんことを請わしむ。
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史記 楽毅列伝会々燕の昭王死し、子立ちて燕の恵王と為る。恵王太子為りし時より嘗て楽毅に快からず。斉の田単之を聞き、乃ち反間を燕に縦ちて曰く、「楽毅燕の新王と隙有り、兵を連ねて且く斉に留まり、南面して斉に王たらんと欲す」と。是に於いて燕の恵王固より已に楽毅を疑ひ、斉の反間を得、乃ち騎劫をして将に代へしめ、楽毅を召す。楽毅燕の恵王の善く之に代へざるを知り、誅を畏れ、遂に西のかた趙に降る。斉の田単後に騎劫と戦ひ、果たして詐を設けて燕軍を誑かし、遂に騎劫を即墨の下に破り、転戦して燕を逐ひ、尽く斉城を復た得たり。燕の恵王騎劫をして楽毅に代へしめ、故を以て軍を破り将を亡ひ斉を失ふを後悔す。乃ち人をして楽毅を讓め、且つ之に謝す。
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荀子・王覇篇国を絜げて以て功利を呼び、其の義を張り、其の信を斉しくするを務めず、唯だ利をのみ之れ求む。内は則ち其の民を詐るを憚らずして、小利を求む。外は則ち其の与を詐るを憚らずして、大利を求む。内は其の有つ所以を脩正せずして、然も常に人の有を欲す。是くの如くんば、則ち臣下百姓は詐心を以て其の上を待たざるは莫し。上は其の下を詐り、下は其の上を詐れば、則ち是れ上下析かるるなり。是くの如くんば、則ち敵国之を軽んじ、与国之を疑い、権謀日びに行われて、国は危削を免れず、之を綦めて亡ぶ。斉の閔王、薛公是れなり。故に彊斉を用うるに、礼義を修むるを以てするに非ず、政教を本とするを以てするに非ず、天下を一にするを以てするに非ず、綿綿として常に結引馳外を以て務と為す。故に彊く、南は以て楚を破るに足り、西は以て秦を詘するに足り、北は以て燕を敗るに足り、中は以て宋を挙ぐるに足る。燕・趙起ちて之を攻むるに及びては、槁を振うが若く然り。而して身は死し国は亡び、天下の大戮と為り、後世の悪を言うや、則ち必ず焉に稽う。是れ它の故無し、唯だ其の礼義に由らずして、権謀に由ればなり。