呂氏春秋 / 長攻⑤
此三君者,其有所自而得之。不備遵理,然而後世稱之,有功故也。有功於此而無其失,雖王可也。
書き下し
此の三君は、其の自りて之を得る所有るも、備くは理に遵わず。然れども後世之を稱するは、功有りし故なり。此に功有りて、其の失無ければ、王たりと雖も可なり。
現代語訳
この三人の君主は、それぞれ成功を得るよりどころはあったが、すべてが道理にかなっていたわけではない。それでも後世が彼らを称えるのは、功績があったからだ。ここに功績があってしかも過失がなければ、王となっても差し支えない。
解説
楚王・趙襄子ら、必ずしも道義的でない手段で領土を得た君主たちを総括し、それでも後世が称えるのは功があったからだと述べます。背景には、手段の是非よりも結果としての功業を評価する現実的な政治観があり、本篇長攻の締めくくりとして、巧みな攻略が功をなす限り認められるとします。ただし過失なきことを条件に加える点に一定の慎重さもうかがえます。現代でも、成果と手段の正当性をどう両立させるかという難問を提起し、結果偏重の評価が持つ利点と危うさの双方を考えさせます。
この章句が説くこと
長攻功業結果評価三君道理覇者