呂氏春秋 / 至忠②
荊莊哀王獵於雲夢,射隨兕,中之。申公子培劫王而奪之。王曰:“何其暴而不敬也?”命吏誅之。左右大夫皆進諫曰:“子培,賢者也,又為王百倍之臣,此必有故,願察之也。”不出三月,子培疾而死。荊興師,戰於兩棠,大勝晉,歸而賞有功者。申公子培之弟進請賞於吏曰:“人之有功也於軍旅,臣兄之有功也於車下。”王曰:“何謂也?”對曰:“臣之兄犯暴不敬之名,觸死亡之罪於王之側,其愚心將以忠於君王之身,而持千歲之壽也。臣之兄嘗讀故記曰:‘殺隨兕者,不出三月。’是以臣之兄驚懼而爭之,故伏其罪而死。”王令人發平府而視之,於故記果有,乃厚賞之。申公子培,其忠也可謂穆行矣。穆行之意,人知之不為勸,人不知不為沮,行無高乎此矣。
新字:荊荘哀王猟於雲夢,射随兕,中之。申公子培劫王而奪之。王曰:“何其暴而不敬也?”命吏誅之。左右大夫皆進諫曰:“子培,賢者也,又為王百倍之臣,此必有故,願察之也。”不出三月,子培疾而死。荊興師,戦於両棠,大勝晋,帰而賞有功者。申公子培之弟進請賞於吏曰:“人之有功也於軍旅,臣兄之有功也於車下。”王曰:“何謂也?”対曰:“臣之兄犯暴不敬之名,触死亡之罪於王之側,其愚心将以忠於君王之身,而持千歳之寿也。臣之兄嘗読故記曰:‘殺随兕者,不出三月。’是以臣之兄驚懼而争之,故伏其罪而死。”王令人発平府而視之,於故記果有,乃厚賞之。申公子培,其忠也可謂穆行矣。穆行之意,人知之不為勧,人不知不為沮,行無高乎此矣。
書き下し
荊の莊哀王、雲夢に獵し、隨兕を射て、之に中つ。申公子培、王を劫やかして之を奪う。王曰く、「何ぞ其れ暴にして不敬なるや。」吏に命じて之を誅せしめんとす。左右大夫皆進みて諫めて曰く、「子培は賢者なり。又王の百倍の臣為り。此れ必ず故有らん。願わくは之を察せよ。」三月出でずして、子培疾みて死す。荊、師を興し、兩棠に戰い、大いに晉に勝ち、歸りて功有る者を賞す。申公子培の弟、進みて賞を吏に請いて曰く、「人の功有るや、軍旅に於いてす。臣の兄の功有るや、車下に於いてす。」王曰く、「何の謂ぞや。」對えて曰く、「臣の兄は暴不敬の名を犯し、死亡の罪に王の側に觸れたり。其の愚心は、將に以て君王の身に忠にして、千歲の壽を持たしめんとせしなり。臣の兄嘗て故記を讀みて曰く、『隨兕を殺す者は、三月を出でず。』是を以て臣の兄驚懼して之を爭う。故に其の罪に伏して死せり。」王人をして平府に發して之を視しむるに、故記に於いて果して有り。乃ち厚く之を賞す。申公子培、其の忠なるや、穆行と謂う可し。穆行の意は、人之を知りて勸むるを為さず、人知らずして沮むを為さず。行い此より高きは無し。
現代語訳
楚の荘哀王が雲夢の沢で狩りをし、隨兕という凶獣を射当てました。すると申公子培が王を脅すようにしてその獲物を奪い取りました。王は「なんと乱暴で無礼なことか」と言い、役人に命じて彼を処刑させようとしました。側近の大夫たちはみな進み出て諫め、「子培は賢者です。しかも王の百倍にも値する臣下です。これには必ずわけがあるはずです。どうかよくお調べください」と言いました。三か月とたたぬうちに、子培は病んで死にました。楚は軍を起こし、兩棠で戦って晋に大勝し、帰還して功のあった者を賞しました。申公子培の弟が進み出て役人に恩賞を願い、「人の功は戦場で立てるものですが、私の兄の功は王の車のそばで立てたのです」と言いました。王が「どういう意味か」と問うと、弟は答えました、「私の兄は乱暴無礼という汚名をおかし、王のおそばで死罪にあたる罪に触れました。その一途な心は、君王の御身に忠を尽くし、千年の寿命を保たせようとしたのです。兄はかつて古い記録を読んで、『隨兕を殺した者は三か月ともたない』と知っていました。それゆえ兄は驚き恐れて獲物を奪い争ったのです。だから罪に服して死んだのです」と。王が人をやって書庫を開いて調べさせると、古記録に果たしてその通りありました。そこで手厚く彼を賞しました。申公子培の忠は、まことに穆行(黙して行う徳)と言えます。穆行の心とは、人に知られても励みとせず、人に知られなくても屈しないもので、行いとしてこれより高いものはありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・立節楚の荘王雲夢に猟す。科雉を射て之を得たり。申公子倍攻めて之を奪う。王将に之を殺さんとす。大夫諫めて曰わく、「子倍自ら好むなり、王の雉を争うに必ず説有らん、王姑く之を察せよ」と。三月を出でずして、子倍病みて死す。邲の戦い、楚大いに晋に勝つ。帰りて功を賞するに、申公子倍の弟王に賞を請いて曰わく、「人の功有るや、車下に賞せらる」と。王曰わく、「奚をか謂うや」と。対えて曰わく、「臣の兄故記を読みて曰わく、科雉を射る者は三月を出でずして必ず死すと。臣の兄争いて之を得たり、故に夭死せり」と。王命じて府より発きて之を視るに、記に果たして焉れ有り。乃ち厚く之を賞す。
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『春秋左氏伝』文公元年 商臣、成王を弑す初め、楚子將に商臣を以って大子と為さんとし、諸を令尹子上に訪ふ。子上曰く、「君の齒未だし。而も又愛多し。黜(しりぞ)くるは乃ち亂なり。楚國の舉は、恒に少者に在り。且つ是の人や、蜂目にして豺聲、忍人なり。立つ可からざるなり」と。聽かず。既にして又王子職を立てて大子商臣を黜けんと欲す。商臣之を聞きて未だ察せず。其の師潘崇に告げて曰く、「之を若何にして之を察せん」と。潘崇曰く、「江芊を享して敬すること勿かれ」と。之に從ふ。江芊怒りて曰く、「呼、役夫。宜なるかな君王の女を殺して職を立てんと欲するや」と。潘崇に告げて曰く、「信なり」と。潘崇曰く、「能く諸に事へんか」と。曰く、「能はず」と。「能く行らんか」と。曰く、「能はず」と。「能く大事を行はんか」と。曰く、「能くす」と。冬、十月、宮甲を以って成王を圍む。王熊蹯(ゆうはん)を食らひて死せんことを請ふ。聽かず。丁未、王縊る。之に謚して「靈」と曰ふ。瞑せず。「成」と曰ふ。乃ち瞑す。穆王立つ。其の大子為りし時の室を以って潘崇に與へ、大師と為し、且つ環列の尹を掌らしむ。穆伯齊に如く、始めて聘す、禮なり。凡そ君位に即けば、卿出でて並びに聘し、舊好を踐脩し、外援を要結し、鄰國に好事して、以って社稷を衛る。忠信卑讓の道なり。忠は、德の正なり。信は、德の固なり。卑讓は、德の基なり。
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説苑・立節晋の驪姫太子申生を献公に譖す。献公将に之を殺さんとす。公子重耳申生に謂いて曰わく、「此を為す者は子の罪に非ざるなり、子胡ぞ辞を進めざる、之を辞せば必ず罪を免れん」と。申生曰わく、「不可なり。我之を辞せば、驪姫必ず罪有らん。吾が君老いたり、驪姫微くんば寝ねて席に安んぜず、食して味を甘しとせず、如何ぞ吾が君をして恨みを以て終わらしめんや」と。重耳曰わく、「辞せずんば則ち速やかに去るに若かず」と。申生曰わく、「不可なり。去りて此を免るるは、是れ吾が君を悪しむなり。夫れ父の過を彰らかにして美を諸侯に取るは、孰か肯えて之を納れんや。入りては宗に困しみ、出でては逃に困しむ、是れ吾が悪を重ぬるなり。吾之を聞く、忠は君を暴かず、智は悪を重ねず、勇は死を逃れずと。是くの如き者は、吾身を以て之に当たらん」と。遂に剣に伏して死す。君子之を聞きて曰わく、「天命なるかな世子」と。詩に曰わく、「萋として斐たり、是の貝錦を成す。彼の人を譖る者、亦已に太甚し」と。
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『淮南子』人間訓故に仁者は欲を以て生を傷らず、知者は利を以て義を害せず。聖人の思いは修く、愚人の思いは叕し。忠臣なる者は君の德を崇くするに務め、諂臣なる者は君の地を廣むるに務む。何を以て之を明らかにせん。陳の夏徵舒 其の君を弒す。楚の莊王 之を伐ち、陳人 令を聽く。莊王 有罪を討つを以て、卒を遣わして陳に戍らしむ。大夫 畢く賀す。申叔時 齊に使いし、反り還りて賀せず。莊王曰く「陳 無道を爲す。寡人 九軍を起こして以て之を討ち、暴亂を征し、罪人を誅す。群臣 皆な賀するに、子 獨り賀せざるは、何ぞや」と。申叔時曰く「牛を牽きて人の田を蹊る。田主 其の人を殺して其の牛を奪う。罪は則ち之れ有り、罰も亦た重し。今 君王 陳を以て無道と爲し、兵を興して攻め、因りて以て罪人を誅し、人を遣わして陳に戍らしむ。諸侯 之を聞かば、王を以て罪人を誅するに非ずして、陳國を貪ると爲さん。蓋し聞く、君子は義を棄てて以て利を取らずと」と。王曰く「善し」と。乃ち陳の戍を罷めて、陳の後を立つ。諸侯 之を聞き、皆な楚に朝す。此れ君の德を崇くするに務むる者なり。
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呂氏春秋・長見②荊の文王曰く、「莧譆數々我を犯すに義を以てし、我に違うに禮を以てす。與に處れば則ち安からざるも、之を曠しくすれば而ち不穀得。吾が身を以て之を爵せずんば、後世聖人有りて、將に以て不穀を非とせんとす。」是に於て之を五大夫に爵す。「申侯伯は善く吾が意を持養す、吾が欲する所は則ち我に先じて之を為す。與に處れば則ち安きも、之を曠しくすれば而ち不穀喪う。吾が身を以て之を遠ざけずんば、後世聖人有りて、將に以て不穀を非とせんとす。」是に於て送りて之を行らしむ。申侯伯、鄭に如き、鄭君の心に阿り、先づ其の欲する所を為す。三年にして、鄭國の政を知るも、五月にして鄭人之を殺せり。是れ後世の聖人、文王をして善を上世に為さしめしなり。
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『智囊』知微・穆生楚の元王、初め申公らを敬礼す。穆生は酒を嗜まず、元王、酒を置く毎に、常に穆生の為に醴を設く。王戊の位に即くに及び、常に設けしも、後に忘れて設けず。穆生退きて曰く、「以て逝くべし。醴酒設けられざるは、王の意怠れるなり。去らずんば、楚人将に我を市に鉗せんとす。」疾と称して臥す。申公・白生強いて之を起こして曰く、「独り先王の徳を念わざるか。今王一旦小礼を失うこと、何ぞ此に至るに足らんや。」穆生曰く、「『易』に称す、幾を知るは其れ神なりと。幾とは動の微にして、吉凶の先ず見るる者なり。君子は幾を見て作ち、終日を俟たず。先王の吾が三人を礼する所以は、道の存するが為なり。今にして之を忽せにするは、是れ道を忘るるなり。道を忘るる人と、胡ぞ与に久しく処るべけんや。吾豈に区区の礼の為ならんや。」遂に病と謝して去る。申公・白生は独り留まる。王戊は稍や淫暴にして、二十年、薄太后の為に服するに、私奸あり。東海・薛郡を削らる。乃ち呉と通謀す。二人諫むるも聴かれず、之を胥靡し、赭衣を之に衣せ、市に舂かしむ。

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