呂氏春秋 / 異用⑤
古之人貴能射也,以長幼養老也。今之人貴能射也,以攻戰侵奪也。其細者以劫弱暴寡也,以遏奪為務也。仁人之得飴,以養疾侍老也。跖與企足得飴,以開閉取楗也。
新字:古之人貴能射也,以長幼養老也。今之人貴能射也,以攻戦侵奪也。其細者以劫弱暴寡也,以遏奪為務也。仁人之得飴,以養疾侍老也。跖与企足得飴,以開閉取楗也。
書き下し
古の人の射を能くするを貴びしは、以て幼を長じ老を養えばなり。今の人の能く射を貴びしは、以て攻戰侵奪すればなり。其の細なる者は以て弱を劫やかし寡を暴するなり。遏奪するを以て務と為すなり。仁人の飴を得るや、以て疾を養い老を侍うなり。跖と企足と飴を得るや、以て閉じたるを開き楗を取るなり。
現代語訳
昔の人が弓射を得意とすることを尊んだのは、それで年長者を敬い老人を養うためであった。今の人が弓射を得意とすることを尊ぶのは、それで攻め戦い侵し奪うためである。その卑小な者は、それで弱い者をおどし少数の者を虐げ、掠奪することを事とする。仁者が飴(水あめ)を手に入れれば、それで病人を養い老人を養う。盗跖や企足(荘蹻)のような大盗が飴を手に入れれば、それで閉じた戸を開き、錠前の差し込みを滑らかにして抜き取り、盗みに使う。
解説
同じ弓射の技も、昔は敬老養老のために尊ばれたが、今は攻戦侵奪の手段とされ、同じ水あめも、仁者は病人や老人を養うのに使い、盗跖のような大盗は錠前を外して盗みに使う、と対比します。物や技術それ自体は善でも悪でもなく、用いる人の心と目的によって正反対の働きをする、という異用篇の主題を最も明快に締めくくる一段です。現代でも、技術は中立であり、その使い手の倫理が善悪を決するという洞察は、科学技術や道具の両義性を考える普遍的な問いとして響きます。
この章句が説くこと
弓射養老盗跖企足異用道具の両義性