呂氏春秋 / 安死①
世之為丘壟也,其高大若山,其樹之若林,其設闕庭、為宮室、造賓阼也若都邑,以此觀世示富則可矣,以此為死則不可也。夫死,其視萬歲猶一瞚也。人之壽,久之不過百,中壽不過六十。以百與六十為無窮者之慮,其情必不相當矣。以無窮為死者之慮則得之矣。
新字:世之為丘壟也,其高大若山,其樹之若林,其設闕庭、為宮室、造賓阼也若都邑,以此観世示富則可矣,以此為死則不可也。夫死,其視万歲猶一瞚也。人之寿,久之不過百,中寿不過六十。以百与六十為無窮者之慮,其情必不相当矣。以無窮為死者之慮則得之矣。
書き下し
世の丘壟を為るや、其の高大なること山の若く、其の之に樹うること林の若く、其の闕庭を設け、宮室を為り、賓阼を造るや都邑の若し。此を以て世に觀し、富を示すは則ち可なり。此を以て死の為にするは、則ち不可なり。夫れ死は、其の萬歲を視ること猶ほ一瞚のごときなり。人の壽は、之を久しくするも百を過ぎず、中壽は六十を過ぎず。百と六十とを以て無窮なる者の慮りを為せば、其の情は必ず相當らず。無窮を以て死者の慮りを為せば、則ち之を得ん。
現代語訳
世間で墓を造るのに、その高大さは山のようで、植えた木は林のようで、宮門や庭を設け、宮殿を造り、来客用の階段まで設けるさまは都邑のようだ。これで世間に見せて富を誇示するならよいが、これを死者のためにするなら、よくない。そもそも死は、万年の時も一瞬のようなものだ。人の寿命は、長くても百年を越えず、中くらいの寿命は六十を越えない。百年や六十年という生者の尺度で、無窮(永遠)である死者のために考えれば、その実情は必ず食い違う。無窮の視点で死者のために考えれば、正しい配慮が得られる。
解説
世の墓は山のように高大で都邑のように壮麗だが、それは富の誇示であって死者のためにはならないと説きます。死者にとって万年は一瞬に等しく、百年に満たぬ生者の尺度で永遠の死を測れば、配慮は必ず的を外すと論じます。有限の生者の見栄ではなく、無窮の時間軸に立ってこそ死者への正しい配慮が得られる、という視点の転換が核心です。豪華な墓ほど長い年月のうちに必ず暴かれるという後段の論への布石でもあります。現代でも、短期の見栄えと長期の帰結を分けて考える発想は、意思決定の質を高める普遍的な視座として通じます。
この章句が説くこと
丘壟厚葬批判無窮中寿死者の慮り誇富