呂氏春秋 / 簡選④
齊桓公良車三百乘,教卒萬人,以為兵首,橫行海內,天下莫之能禁,南至石梁,西至酆(郭)〔鄗〕,北至令支。中山亡邢,狄人滅衛,桓公更立邢于夷儀,更立衛于楚丘。
新字:斉桓公良車三百乗,教卒万人,以為兵首,横行海内,天下莫之能禁,南至石梁,西至酆(郭)〔鄗〕,北至令支。中山亡邢,狄人滅衛,桓公更立邢于夷儀,更立衛于楚丘。
書き下し
齊の桓公は、良車三百乘、教卒萬人、以て兵首と為し、海內を横行す。天下之を能く禁ずるもの莫し。南のかた石梁に至り、西のかた酆郭に至り、北のかた令支に至る。中山、邢を亡ぼし、狄人、衛を滅ぼすや、桓公更に邢を夷儀に立て、更に衛を楚丘に立つ。
現代語訳
斉の桓公は、良い戦車三百乗、訓練された兵一万人を軍の先頭とし、天下を縦横に進み、これを止められる者はいなかった。南は石梁に至り、西は酆郭に至り、北は令支に至った。中山が邢を滅ぼし、狄人が衛を滅ぼすと、桓公は邢を夷儀に、衛を楚丘に建て直した。
解説
この段は、斉の桓公が精選した戦力で天下を制し、滅ぼされた邢や衛を再興させた覇業を語ります。三百乗と訓練兵一万という選び抜いた軍で各地に威を及ぼし、異民族に滅ぼされた小国を復興させました。単なる武力の誇示ではなく、力を弱者の救済に用いた点が、覇者の義として高く評価されます。実力で優位に立ちつつ、弱い者を助けて秩序を保つというこの姿勢は、強い立場にある者が担う責任や、リーダーの秩序維持の役割という現代的な主題にも通じます。
この章句が説くこと
斉桓公邢衛覇者存亡継絶簡選
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