呂氏春秋 / 制樂①
欲觀至樂,必於至治。其治厚者其樂治厚,其治薄者其樂治薄,亂世則慢以樂矣。今室閉戶牖,動天地,一室也。故成湯之時,有榖生於庭,昏而生,比旦(其)〔而〕大拱,其(吏)〔史〕請卜其故。湯退卜者曰:「吾聞〔之〕祥者福之先者也,見祥而為不善則福不至;妖者禍之先者也,見妖而為善則禍不至。」於是〔乃〕早朝〔而〕晏退,問疾吊喪,務鎮撫百姓,三日而榖〔自〕(止)〔亡〕,故禍兮福之所倚,福兮禍之所伏,聖人所獨見,眾人焉知其極。
新字:欲観至楽,必於至治。其治厚者其楽治厚,其治薄者其楽治薄,乱世則慢以楽矣。今室閉戶牖,動天地,一室也。故成湯之時,有榖生於庭,昏而生,比旦(其)〔而〕大拱,其(吏)〔史〕請卜其故。湯退卜者曰:「吾聞〔之〕祥者福之先者也,見祥而為不善則福不至;妖者禍之先者也,見妖而為善則禍不至。」於是〔乃〕早朝〔而〕晏退,問疾吊喪,務鎮撫百姓,三日而榖〔自〕(止)〔亡〕,故禍兮福之所倚,福兮禍之所伏,聖人所独見,眾人焉知其極。
書き下し
至樂を觀んと欲すれば、必ず至治に於いてす。其の治厚ければ其の樂治厚く、其の治薄ければ其の樂治薄し。亂世なれば則ち慢りに樂を以う。今戶牖を窒閉し、天地を動かすは、一室なり。故に成湯の時、穀の庭に生ずる有り、昏にして生じ、旦に比びて大きさ拱なり。其の吏、其の故を卜せんことを請う。湯、卜者を退けて曰く、「吾聞く、祥は福の先なる者なり、祥を見て不善を為せば則ち福は至らず。妖は禍の先なる者なり、妖を見て善を為せば則ち禍は至らず、と。」是に於て早朝晏退、疾を問い喪を弔い、務めて百姓を鎮撫するに、三日にして穀亡ぶ。故に禍は福の倚る所、福は禍の伏す所、聖人獨り見る所にして、衆人焉くんぞ其の極を知らん。
現代語訳
至高の音楽を観ようとするなら、必ず至高の治においてである。その治が厚ければ音楽の調いも厚く、治が薄ければ音楽の調いも薄い。乱世ならばみだりに音楽を用いる。今、部屋の戸や窓を閉ざしたまま天地を知るというのは、一室にいながらのことである。かつて殷の湯王の時、庭に穀物が生え、夕方に生じて翌朝には両手で抱えるほどの大きさになった。その史官はその理由を占おうと願った。湯王は占い師を退けて言った、「私はこう聞いている。吉兆は福の前触れだが、吉兆を見て善からぬことをすれば福は至らない。凶兆は禍の前触れだが、凶兆を見て善を行えば禍は至らない」と。そこで朝早くから夜遅くまで政務に励み、病者を見舞い喪を弔い、努めて民を安んじたところ、三日で穀物は枯れ消えた。ゆえに禍は福の寄りかかるところ、福は禍の潜むところであり、聖人だけがこれを見抜く。凡人はどうしてその極まりを知ろうか。