呂氏春秋 / 古樂⑬
武王即位,以六師伐殷,六師未至,以銳兵克之於牧野。歸,乃薦俘馘于京太室,乃命周公為作《大武》。
新字:武王即位,以六師伐殷,六師未至,以鋭兵克之於牧野。帰,乃薦俘馘于京太室,乃命周公為作《大武》。
書き下し
武王位に即くや、六師を以て殷を伐つ。六師未だ至らざるに、銳兵を以て之に牧野に克つ。歸りて乃ち俘馘を京の太室に薦め、乃ち周公に命じて大武を為作せしむ。
現代語訳
武王が位につくと、六軍を率いて殷を討った。全軍が到着する前に、精鋭の兵によって牧野で殷を打ち破った。凱旋して、捕虜と討ち取った敵の左耳を都の太廟に献じ、周公に命じて『大武』を作らせた。
解説
武王が殷を討ち滅ぼした牧野の戦いと、それを記念する楽『大武』の由来を語る段です。武王は六軍を率い、精鋭の兵によって牧野で殷を破り、凱旋して捕虜や戦果を都の太廟に献じ、周公に命じて『大武』を作らせました。父の文王が慎んで討たなかった殷を、子の武王が武力で滅ぼして周王朝を開くという物語で、『大武』はその武功を舞楽として讃えるものです。戦いの勝利を祖先に報告し、音楽に刻んで後世に伝えるという営みに、武の徳をも礼楽の枠組みに収めようとする周の思想が表れています。『大武』は後に周の代表的な舞楽として重んじられ、武力の記憶を秩序ある文化へと昇華させた例として知られます。
この章句が説くこと
武王牧野大武周公殷武功
関連する章句
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史記 楽書且つ夫れ武は、始めて北に出で、再成して商を滅ぼし、三成して南し、四成して南国是れ疆し、五成して陜を分かち、周公は左し、召公は右し、六成して綴に復り、以て天子を崇ぶ。夾みて之を振ひて四たび伐ち、威を中国に盛(振)るふなり。分夾して進むは、事の蚤く済るなり。久しく綴に立つは、以て諸侯の至るを待つなり。且つ夫れ女独り未だ牧野の語を聞かざるか。武王殷に克ちて商に反り、未だ車を下るに及ばずして、黄帝の後を薊に封じ、帝堯の後を祝に封じ、帝舜の後を陳に封ず。車を下りて夏后氏の後を杞に封じ、殷の後を宋に封じ、王子比干の墓を封じ、箕子の囚を釈き、之をして商容を行はしめて其の位に復す。庶民は政を弛め、庶士は禄を倍す。河を済りて西し、馬は華山の陽に散じて復た乗らず、牛は桃林の野に散じて復た服せず、車甲は弢みて之を府庫に蔵して復た用ひず、干戈を倒載し、之を苞むに虎皮を以てし、将率の士は、諸侯と為さしめ、之に名づけて建櫜と曰ふ。然る後に天下武王の復た兵を用ひざるを知るなり。軍を散じて郊射し、左は貍首を射、右は騶虞を射て、革を貫くの射息む。裨冕して笏を搢みて、虎賁の士は剣を税く。明堂に祀りて、民孝を知る。朝覲して、然る後に諸侯臣たる所以を知る。藉を耕して、然る後に諸侯敬する所以を知る。五者は天下の大教なり。三老五更を太学に食はしめ、天子袒ぎて牲を割き、醤を執りて饋り、爵を執りて酳め、冕して干を総ぶ、諸侯に悌を教ふる所以なり。此くの若くなれば、則ち周道四達し、礼楽交々通ず、則ち夫の武の遅久なること、亦宜ならずや」と。子貢、師乙に見えて問ひて曰く、「賜聞く、声歌には各々宜しき有りと。賜の如き者は何を歌ふに宜しきや」と。師乙曰く、「乙は賤工なり、何ぞ以て宜しき所を問ふに足らん。
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礼記・楽記子曰く、「居(お)れ。吾汝に語らん。夫れ楽なる者は、成れるを象(かたど)る者なり。干(たて)を総(と)りて山立するは、武王の事なり。発揚蹈厲(とうれい)するは、大公の志なり。武の乱に皆坐するは、周・召の治なり。且つ夫れ武は、始めて北に出で、再成して商を滅ぼす。三成して南し、四成して南国是れ疆(さかい)し、五成して分かちて周公は左し召公は右し、六成して綴(てい)に復して以て崇ぶ。天子これを夾みて振い、駟伐(しばつ)するは、威を中国に盛んにするなり。分かち夾みて進むは、事早く済(な)るなり。久しく綴に立つは、以て諸侯の至るを待つなり。且つ女(なんじ)独り未だ牧野の語を聞かざるか。武王殷に克ちて商に反(およ)ぶ。未だ車を下るに及ばずして黄帝の後を薊(けい)に封じ、帝堯の後を祝に封じ、帝舜の後を陳に封ず。車を下りて夏后氏の後を杞に封じ、殷の後を宋に投ず。王子比干の墓を封じ、箕子の囚を釈き、これをして商容に行かしめてその位に復す。庶民は政を弛(ゆる)め、庶士は禄を倍す。河を済(わた)りて西し、馬はこれを華山の陽に散じて、復た乗らず。牛はこれを桃林の野に散じて、復た服せず。車甲は釁(ちぬ)りてこれを府庫に蔵して、復た用いず。干戈を倒(さかしま)に載せ、これを包むに虎皮を以てす。将帥の士は、諸侯と為さしむ。これを名づけて建櫜(けんこう)と曰う。然る後に武王の復た兵を用いざるを知るなり。軍を散じて郊射し、左に貍首(りしゅ)を射、右に騶虞(すうぐ)を射て、革を貫くの射息む。裨冕(ひべん)して笏を搢(はさ)みて、虎賁(こほん)の士剣を説(と)く。明堂に祀りて民孝を知る。朝覲して然る後に諸侯臣たる所以を知り、藉を耕して然る後に諸侯敬する所以を知る。五者は、天下の大教なり。三老五更に大学に食(し)せしめ、天子袒(はだぬ)ぎて牲を割き、醤を執りて饋(すす)め、爵を執りて酳(いん)し、冕して干を総るは、諸侯の弟(てい)を教うる所以なり。此くの若くなれば則ち周道四達し、礼楽交通す。則ち夫れ武の遅久なる、亦宜ならずや」と。
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詩経・周頌・臣工之什・武武(ぶ)は、大武(たいぶ)を奏するなり。 於(ああ)皇(おお)いなる武王、競(つよ)きこと無きは維れ烈(いさお)なり。允(まこと)に文なる文王、克(よ)く厥(そ)の後を開く。嗣(つ)ぎて武これを受け、殷に勝ちて劉(ころ)すを遏(とど)め、爾(なんじ)の功を耆(いた)し定む。
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呂氏春秋・簡選③武王は、虎賁三千人、簡車三百乘、以て甲子の事を牧野に要して、紂、禽と為る。賢者の位を顯かにし、殷の遺老を進めて、民の欲する所を問い、賞を行うこと禽獸に及び、罰を行うこと天子を辟けず。殷を親しむこと周の如く、人を視ること己の如し。天下、其の德を美し、萬民其の義を説ぶ。故に立ちて天子と為る。
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史記 周本紀誓ひ已はり、諸侯の兵の会する者車四千乗、師を牧野に陳ぬ。帝紂武王の来たるを聞き、亦兵七十万人を発して武王を距ぐ。武王師尚父をして百夫と師を致さしめ、大卒を以て帝紂の師に馳す。紂の師衆しと雖も、皆戦ふの心無く、心に武王の亟やかに入らんことを欲す。紂の師皆兵を倒にして以て戦ひ、以て武王を開く。武王之に馳す。紂の兵皆崩れて紂に畔く。紂走り、反りて入りて鹿台の上に登り、其の殊玉を蒙衣し、自ら火に燔きて死す。武王大白旗を持ちて以て諸侯を麾く。諸侯畢く武王を拝す。武王乃ち諸侯に揖す。諸侯畢く従ふ。武王商国に至る。商国の百姓咸郊に待つ。是に於て武王群臣をして商の百姓に告語せしめて曰く、「上天休を降せり」と。商人皆再拝稽首す。武王も亦答拝す。遂に入りて、紂の死所に至る。武王自ら之を射、三たび発して而る後に車を下り、軽剣を以て之を撃ち、黄鉞を以て紂の頭を斬り、大白の旗に県く。已にして紂の嬖妾二女に至るに、二女皆経れて自殺す。武王又射ること三発、撃つに剣を以てし、斬るに玄鉞を以てし、其の頭を小白の旗に県く。武王已にして乃ち出でて軍に復る。其の明日、道を除き、社及び商紂の宮を修む。期に及びて、百夫罕旗を荷ひて以て先駆す。武王の弟叔振鐸は常車を奉陳し、周公旦は大鉞を把り、畢公は小鉞を把り、以て武王を夾む。散宜生・太顛・閎夭皆剣を執りて以て武王を衛る。既に入り、社の南、大卒の左に立ち、左右畢く従ふ。毛叔鄭は明水を奉じ、衛の康叔封は茲を布き、召公奭は采を賛け、師尚父は牲を牽く。尹佚筴祝して曰く、「殷の末孫季紂、先王の明徳を殄廃し、神祇を侮蔑して祀らず、商邑の百姓に昏暴なり。其の章顕上天皇上帝に聞こゆ」と。
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史記 周本紀是に於て武王遍く諸侯に告げて曰く、「殷重罪有り、以て畢く伐たざる可からず」と。乃ち文王に遵ひ、遂に戎車三百乗、虎賁三千人、甲士四万五千人を率ゐて、以て東のかた紂を伐つ。十一年十二月戊午、師畢く盟津を渡り、諸侯咸会す。曰く、「孳孳として怠ること無かれ」と。武王乃ち太誓を作り、衆庶に告ぐ。「今殷王紂乃ち其の婦人の言を用ゐ、自ら天に絶ち、其の三正を毀壊し、其の王父母弟を離逖し、乃ち其の先祖の楽を断棄し、乃ち淫声を為り、用て正声を変乱し、婦人を怡説せしむ。故に今予発維れ共に天罰を行ふ。勉めよや夫子、再びす可からず、三たびす可からず」と。二月甲子の昧爽、武王朝に商の郊の牧野に至り、乃ち誓ふ。武王左に黄鉞を杖き、右に白旄を秉りて、以て麾く。曰く、「遠きかな西土の人」と。武王曰く、「嗟、我が有国の冢君、司徒・司馬・司空、亜旅・師氏、千夫長・百夫長、及び庸・蜀・羌・髳・微・纑・彭・濮の人、爾の戈を称げ、爾の干を比べ、爾の矛を立てよ。予其れ誓はん」と。王曰く、「古人言へる有り、『牝雞は晨する無し。牝雞の晨するは、惟れ家の索くるなり』と。今殷王紂は維れ婦人の言を是れ用ゐ、自ら其の先祖の肆祀を棄てて答へず、昏くして其の家国を棄て、其の王父母弟を遺てて用ゐず、乃ち維れ四方の多罪の逋逃を、是れ崇び是れ長とし、是れ信じ是れ使ひ、百姓に暴虐し、以て商国に姦軌せしむ。今予発維れ共に天の罰を行ふ。今日の事は、六歩七歩を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。夫子勉めよや。四伐五伐六伐七伐を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。勉めよや夫子。尚はくは桓桓として、虎の如く羆の如く、豺の如く離の如く、商の郊に于いて、奔るを御ぐことなく、以て西土に役せしめよ。勉めよや夫子。爾勉めざる所あらば、其れ爾の身に于いて戮有らん」と。

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