呂氏春秋 / 尊師③
凡學,必務進業,心則無營,疾諷誦,謹司聞,觀驩愉,問書意,順耳目,不逆志,退思慮,求所謂,時辨說,以論道,不苟辨,必中法,得之無矜,失之無慚,必反其本。
新字:凡学,必務進業,心則無営,疾諷誦,謹司聞,観驩愉,問書意,順耳目,不逆志,退思慮,求所謂,時弁説,以論道,不苟弁,必中法,得之無矜,失之無慚,必反其本。
書き下し
凡そ學は、必ず業を進むることを務め、心は則ち營うこと無かれ。諷誦を疾めて、司聞を謹み、驩愉を觀て、書意を問い、耳目に順いて、志に逆わず、退きて思慮し、謂う所を求め、時に辨説して、以て道を論じ、辨ずることを苟にせずして、必ず法に中て、之を得て矜ること無く、之を失いて慚づること無く、必ず其の本に反る。
現代語訳
およそ学問においては、必ず学業を進めることに努め、心はよそ事に惑わされてはならない。暗誦に励み、師の言に耳を傾けることを慎み、師の喜びの表情をよく見て、書物の意味を問い、師の耳目に従って、その志にそむかず、退いてからよく思索し、教えの意味するところを求め、折にふれて論じ合って道を論究し、議論をいい加減にせず、必ず道理にかなうようにし、正しさを得ても得意にならず、誤って失っても恥じ入りすぎず、必ずその根本に立ち返るのである。
解説
この段は、学ぶ者が守るべき具体的な心構えと作法を列挙します。学業を進めることに専心し心を散らさないこと、暗誦に励み師の言葉や表情に注意を払うこと、書物の意味を問い、退いて思索し、折にふれ議論して道理を究めることが要点です。とりわけ、正しさを得ても慢心せず、誤っても恥じすぎず、常に根本に立ち返るという姿勢が印象的です。背景には、学問を暗記だけでなく師との対話と自己の反省を通じた全人的な営みと見る考えがあります。現代でも、集中して基礎を積み、他者と議論しながら自分で考え、成否に一喜一憂せず本質に立ち返るという、学びの普遍的な作法として読むことができます。
この章句が説くこと
尊師学問の作法諷誦思慮論道反本
関連する章句
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呂氏春秋・尊師④生くれば則ち養を謹む。養を謹しむの道、心を養うことを貴しと為す。死すれば則ち祭りを敬む。祭りを敬するの術は、時節に務めを為す。此れ師を尊ぶ所以なり。唐圃を治め、灌寖を疾め、種樹を務む。葩屨を織り、罝網を結び、蒲葦を捆つ。田野に之き、耕耘に力め、五穀を事む。山林に如き、川澤に入り、魚鱉を取り、鳥獸を求む。此れ師を尊ぶ所以なり。輿馬を視、駕御を慎み、衣服を適にし、輕煗を務め、飲食に臨めば、必ず蠲絜にして、調和を善くし、甘肥を務め、必ず恭敬にして、顏色を和らぐ。辭令を審らかにし、趨翔に疾め、必ず嚴肅にす。此れ師を尊ぶ所以なり。
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呂氏春秋・勸學①先王の教えは、孝より榮なるは莫く、忠より顯なるは莫し。忠孝は、人君人親の甚だ欲する所なり。顯榮は、人子人臣の甚だ願う所なり。然れども人君人親、其の欲する所を得ず、人子人臣、其の願う所を得ず。此れ理義を知らざるより生ず。理義を知らざるは、學ばざるより生ず。學ぶ者、師達して材有れば、吾未だ其の聖人為らざるを知らず。聖人の在る所は、則ち天下理る。右に在れば則ち右重く、左に在れば則ち左重し、是の故に古の聖王、未だ師を尊ばざる者有らざるなり。師を尊ぶには則ち其の貴賤貧富を論ぜず。此くの若くなれば則ち名號顯われ、德行彰わる。故に師の教えたるや、輕重尊卑貧富を争わずして、道を爭う。其の人苟くも可なれば、其の事、可ならざる無く、求むる所盡く得、欲する所盡く成る。此れ聖人を得るより生ず。聖人は學に疾むるより生ず。學に疾めずして、能く魁士名人と為る者は、未だ之れ嘗て有らざるなり。學に疾むるは師を尊ぶに在り。師尊ぶるれば則ち言信ぜられ、道論ぜらる。故に往きて教うる者は化せず、師を召す者は化せられず。自ら卑くする者は聽かれず、師を卑しむ者は聽かず。師、化せず聽かれざるの術を操りて、以て彊いて之を教え、道の行われ、身の尊ばるることを欲するも、亦た遠からずや。學ぶ者、化せられず聽かざるの勢に處りて、以て自ら行い、名の顯われ、身の安からんことを欲するや、是れ腐を懐きて香を欲するなり。是れ水に入りて濡るることを惡むなり。
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呂氏春秋・尊師⑤君子の學は、義を説くに必ず師を稱して以て道を論じ、聽從するに必ず力を盡くして以て光明にす。聽從するに力を盡くさざる、之を命けて背と曰い、義を説くに師を稱せざる、之を命けて叛と曰う。背叛の人、賢主は之を朝に內れず、君子は與に交友せず。故に教えなる者は、義の大なる者なり。學なる者は、知の盛なる者なり。義の大なる者は、人を利するより大なるは莫く、人を利するは教えより大なるは莫し。知の盛なる者は、身を成すより大なるは莫く、身を成すは學より大なるは莫し。身成なれば、則ち人の子と為りては使せずして孝に、人臣と為りては令せずして忠に、人に君と為りては彊いずして平らかなり。大勢を有すれば、以て天下の正と為す可し。故に子貢、孔子に問いて曰く、「後世將に何を以て夫子を稱せん。」孔子曰く、「吾何ぞ以て稱するに足らんや。已むこと勿くんば、則ち學を好みて厭かず、教えを好みて倦まず。其れ惟だ此れのみか。」天子、太學に入りて先聖を祭れば、則ち嘗て師為る者を齒べて臣とせず。學を敬すると師を尊ぶとを見わす所以なり。
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呂氏春秋・誣徒③善く教うる者は則ち然らず。徒を視ること己の如く、己に反して以て教うれば、則ち教えの情を得るなり。人に加うる所、必ず己に行う可し。此くの若くなれば則ち師徒體を同じくす。人の情は、己に同じき者を愛し、己に同じき者を譽め、己に同じき者を助く。學業の章明なるや、道術の大行なるや、此れ從り生ず。
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呂氏春秋・尊師②且つ天の人を生ずるや、而ち其の耳をして以て聞く可からしむるも、學ばざれば、其の聞くこと聾に若かず。其の目をして以て見る可からしむるも、學ばざれば、其の見ること盲に若かず。其の口をして以て言う可からしむるも、學ばざれば、其の言うこと爽に若かず。其の心をして以て知る可からしむるも、學ばざれば、其の知ること狂に若ず。故に凡そ學は、能く益するに非ざるなり。天性に達するなり。能く天の生ずる所を全うして、之を敗ること勿き、是を學を善くすと謂う。子張は、魯の鄙家なり。顏涿聚は、梁父の大盜なり、孔子に學ぶ。段干木は、晉國の大駔なり、子夏に學ぶ。高何・縣子石は、齊國の暴者なり、郷曲に指ささるも、子墨子に學ぶ。索盧參は、東方の鉅狡なり、禽滑黎に學ぶ。此の六人、刑戮死辱の人なり、今、徒だに刑戮死辱を免るるのみに非ず、此に由りて天下の名士顯人と為り、以て其の壽を終え、王公大人も從いて之を禮す。此れ之を學に得ればなり。
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