論語と算盤 / 実業と士道・文明人の貪戻
総じて学術技芸には能ふ限りの保護と便利とを与へ、商工業は常に政治兵備と相聯絡し、中央銀行の如きも力を尽して商工業の便宜、資金の融通を計るといふやうに、如何に彼等上下一致して富国に従事して居るか〻゙窺知し得られる、又その学問に於ても化学、発明、技術、精妙、実に行届くことは一通りではない、それは今囘の戦乱の為に、遠き我国の如きをして、薬品染料等の欠乏に窮せしめたる事実に見るも、彼国の力が世界の隅々まで及んで居ることが分かる、故に自国の拡大のみを企図する貪戻心は実に厭ふべきであるが、官民一致その国の富強を勉むるの努力は感服の外はないのである。
書き下し
総じて学術技芸には能う限りの保護と便利とを与え、商工業は常に政治兵備と相聯絡し、中央銀行のごときも力を尽して商工業の便宜、資金の融通を計るというように、いかに彼ら上下一致して富国に従事しているかが窺知し得られる。またその学問においても化学、発明、技術、精妙、実に行き届くことは一通りではない。それは今回の戦乱のために、遠き我が国のごときをして、薬品染料等の欠乏に窮せしめたる事実に見るも、彼の国の力が世界の隅々まで及んでいることが分かる。ゆえに自国の拡大のみを企図する貪戻心は実に厭うべきであるが、官民一致その国の富強を勉むるの努力は感服の外はないのである。
現代語訳
総じて学術や技芸にはできる限りの保護と便宜を与え、商工業は常に政治や軍備と連携し、中央銀行も力を尽くして商工業の便宜と資金の融通を図る——いかに彼らが官民一体で国を富ませることに従事しているかが窺える。学問においても、化学、発明、技術、その精妙さは行き届くこと一通りではない。今回の戦乱によって、遠い我が国までが薬品や染料の欠乏に苦しんだ事実を見ても、彼の国の力が世界の隅々まで及んでいることが分かる。だから自国の拡大だけを企てる貪欲は実に厭うべきだが、官民一致してその国の富強に努める努力は、感服するほかないのである。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』実業と士道・文明人の貪戻全欧の事変について初め私の予想は全く外れた。すでにその観察を誤った私は、将来もまた見込み違いをするであろうと恐懼している。しかしながら私の観察の誤った所以は、私の予想以上に暴虐の人があったからである。いわゆる「一人貪戻なれば、一国乱をなす」という古訓が、事実として全欧州に現われて来たからである。文明の世にはあり得べからざるものとの想像が過誤の観察となったのである。はたして然らば、私の智の到らざりしがためでもあろうが、私はかえって文明人の貪戻なる結果ではなかろうかと、冷笑せざるを得ないのである。
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『論語と算盤』実業と士道・文明人の貪戻いずれの国家においても、自国の商工業を発達せしめんとするには、海外に我が国産の販路を求め、人口の増殖するにおいては領土を拡むることを講ずるのみならず、様々なる策略をもって自己の勢力の増大を図るのである。現に欧州列強が五大州に雄飛している所以は、全くこれらの事情によるものであって、優越なる地位を占むるものは、特に優越なる国家と称せらるるのである。かのドイツ皇帝今回の行動のごとき、この点より企図せられたものであると思われる。従来皇帝が内地の殖産に、海外の殖民に留意せらるることは容易ならざるものにて、もしも少しくその点について注意するならば、何人といえども、皇帝がなにゆえにかくまで仔細に心を労せられるかということを感ぜずにはいられまい。例えば、英仏に対する商工業の競争はもちろん、日露戦後、日本雑貨が各地に歓迎さるるを見れば、直ちにこれを模造する。
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『論語と算盤』実業と士道・文明人の貪戻吾人はすべからく進んで支那の富源を開発し、その産業を進め、その販路を拡めて、通商上の利益を増加するように心掛けねばならぬ。我が国民の今日まで支那に対する商工業経営の態度を見るに、とかく個々別々であって、その間に少しも聯絡がない。ドイツの政治経済機関が統一して密接な関係を保っているのを見るにつけても、我が国民がこの歴史的においても、はたまた人種的においても、幾多の便宜を有する国柄なるにかかわらず、彼らの後えに瞠若たるようではならぬ。そしてこの覚悟は特に我が青年に対して最も望ましき所である。どうか今日の青年諸氏はかかる所に注目して力を入れてもらいたいのである。
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『論語と算盤』実業と士道・文明人の貪戻翻って我が国の商工業を見るに、多くは不統一にして振るわず、ことに戦乱の影響を受け、生糸の値は下落し、綿糸綿布の販路は渋滞し、総じて取引は萎靡し、有価証券の価は下落し、新たなる事業は起こらざるの状態にある。しかし早晩これらは恢復することも予想に難くないのであるから、この際一時の困難は堪え難くとも、当業者は大いに勇気を起こさねばならぬ所である。また一方にはこの事変は大いに乗ぜざるべからざる好時機と思う。今日我が実業家は目前の不景気に畏縮するようであるけれども、それははなはだ無気力の行為である。ただその着目を誤らぬようにして戦中十分なる研究を積み、漸次実物の効果のあるように努めて行きたいのである。ことに支那に対する商工業のごときは、境は接近している。人情風俗ともに欧米人に比すれば縁故最も深いのである。しかるにその関係においては、往々にして他列強に比して大いに遜色あるは実に心細い極みである。
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『論語と算盤』理想と迷信・斯の如き矛盾を根絶すべし一体文明とはいかなる意義のものであるか、要するに今日の世界はまだ文明の足らないのであると思う。かく考えると、私は今日の世界に介在して将来我が国家をいかなる風に進行すべきか、また我々はいかに覚悟してよいか、やむ事を得ずばその渦中に入って弱肉強食を主張するよりほかの道はないか、ぜひこれに処する一定の主義を考定して、一般の国民と共にこれによって行くようにしたいと思う。
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『論語と算盤』理想と迷信・道理ある希望を持て戦争して負けては困るが、ただ国力を挙げて戦争にのみ奔るということは王道に適するものではない。今日の時局に対して我々はそのような事まで心配せぬでもよい訳であるが、これから先の商工業はいかにしたらよかろうか、平和が克復したらその後の実業界はいかになるかというような事については、意想外なる変化を生じて、中には悪いと思ったことが善くなり、善いと思うたことが悪くもなろうから、今日から臆断は出来ない。しかし人は未来の事に向かってぜひとも理想は持つべきものであるから、たとい違却するとも一定の主義によって行うというようなことが無ければならぬ。つまりよく思いつまびらかに考えて事に当たれば、必ず過ちは少ないものである。戦争のごとき事変の勃発には、かつて想像したものに違却を生ずることはあるが。
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