論語と算盤 / 算盤と権利・競争の善意と悪意
総て物を励むには競ふといふことが必要であつて、競ふから励みが生ずるのである、謂ゆる競争なるものは、勉強又は進歩の母といふは事実である、けれども此の競争に善意と悪意との二種類があるやうである、一歩進んで言ふならば、毎日人よりも朝早く起き、善い工夫をなし、智恵と勉強とを以て他人に打克つといふは、是れ即ち善競争である、併しながら他人が事を企つて世間の評判が善いから、之を真似て掠めてやらうとの考で、側の方から之を侵すといふのであつたら、それは悪競争である
書き下し
すべて物を励むには競うということが必要であって、競うから励みが生ずるのである。いわゆる競争なるものは、勉強または進歩の母というのは事実である。けれどもこの競争に善意と悪意との二種類があるようである。一歩進んで言うならば、毎日人よりも朝早く起き、善い工夫をなし、智恵と勉強とをもって他人に打ち克つというは、これすなわち善競争である。しかしながら他人が事を企てて世間の評判が善いから、これを真似て掠めてやろうとの考えで、側の方からこれを侵すというのであったら、それは悪競争である。
現代語訳
何事も励むには競うことが必要であって、競うから励みが生まれる。いわゆる競争が勉強や進歩の母であるというのは事実だ。けれども、この競争には善意と悪意の二種類があるようだ。もう一歩進めて言えば、毎日人より朝早く起き、良い工夫をし、知恵と努力によって他人に打ち勝つ——これが善い競争である。しかし、他人が始めた事業の世間の評判が良いからといって、それを真似て掠め取ってやろうという考えで、横から侵しにかかるなら、それは悪い競争である。
解説
競争そのものは進歩の母だと渋沢は認める。分けるのは中身だ。早く起き、工夫し、知恵と勉強で勝つのが善い競争。人の評判の良い事業を真似て横から掠めるのが悪い競争。境目は何かというと、価値を新しく生んだか、他人の生んだ価値を移しただけかである。彼が心配したのは自社の損得を越えたところだった。悪い競争は相手を妨げるだけでなく自分も損ない、やがて日本の商人は困ったものだと外国から軽蔑される、と。同じ章に、道徳を難しくして隅に片づけるな、という一節もある。時間を守るのも、譲るべきを譲るのも道徳だ、いまが道徳の時間だという億劫なものではない、と。
この章句が説くこと
善意の競争悪意の競争進歩の母商業道徳
関連する章句
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『論語と算盤』算盤と権利・競争の善意と悪意これを要するに、何業にかかわらず、自己の商売に勉強はあくまでせねばならぬ。また注意もあくまでせねばならぬ。進歩はあくまでせねばならぬのであるが、それと同時に悪競争をしてはならぬということを、強く深く心に留めておかねばならぬのである。
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『論語と算盤』算盤と権利・競争の善意と悪意簡単にはかく善悪二つに言い得るけれども、そもそも事業は百端で、したがって競争もまた限りなく分かれて来る。そしてもしこの競争の性質が善でなかった場合は、己自身には事によりて利益ある場合もあろうけれども、多くは人を妨げるのみならず、己自身にも損失を受くる。単に自他の関係のみに止まらずして、その弊害やほとんど国家にまで及ぶ。すなわち日本の商人は困ったものだと外国人に軽蔑されるようになって来るだろうと思う。ここに至るとその弊や実に大である。ここに御会合の方々にはかかることは断じてあるまいが、もしもありてはと、婆心を述べるのである。しかし世間おしなべてこの弊害が多いと聞いている。ことに雑貨輸出の商売などについて、悪い意味なる競争、すなわち道徳に欠くる所ある事柄が、人を害し己を損じ、併せて国の品位を悪くする。商工業者の位地を高めようと相互に努めつつ、反対に低めるという事になるのである。
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『論語と算盤』算盤と権利・競争の善意と悪意しからばいかなる具合に経営したらよいかと言うならば、すべからく事実によらねば言明は出来かねるが、余が思うには善意なる競争を努めて、悪意なる競争は切に避けるのである。この悪意なる競争を避けるということは、つまり相互の間に商業道徳を重んずるという強い観念をもって固まっておったならば、勉強するからとて悪意の競争にまで陥るということはなく、ある度合いにおいてこうしてはならぬという寸法は、あえてバイブルを読まぬでも、論語を暗んじぬでも必ず分かるであろうと思う。元来この道徳というものをあまりむずかしく考えて、東洋道徳で言うならば、四角の文字を並べ立てると、ついに道徳がお茶の湯の儀式みたようになって、一種の唱え言葉になって、道徳を説く人と道徳を行う人とが別物になってしまう。これは甚だ面白くない。
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『論語と算盤』算盤と権利・競争の善意と悪意全体道徳は日常にあるべきことで、ちょっと時を約束して間違わぬようにするのも道徳である。人に対して譲るべきものは相当に譲るも道徳である。またある場合には、人よりは先にして人に安心を与えてやるというのも道徳である。事に臨んでは義侠心も持たなければならぬ。これも一種の道徳である。ちょっと品物を売るについても、道徳はその間に含んでいる。ゆえに道徳というものは、朝に晩に始終ついているものである。しかるに道徳を大層むずかしいものにして、隅の方に道徳を片付けておいて、さて今日からは道徳を行うのだ、この時間が道徳の時間だというような億劫なものではない。もし商工業などについての競争上の道徳というものであったら、前来繰り返せし通り、善意競争と悪意競争、妨害的に人の利益を奪うという競争であれば、これを悪意の競争と言うのである。しからずして品物を精選した上にも精選して、他の利益範囲に食い込むようなことはしない、これは善意の競争である。つまりこれらの分界は何人でも自己の良心に徴して判明し得ることと思う。
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『論語と算盤』算盤と権利・競争の善意と悪意お互い実業者側、ことに輸出貿易に従事する諸君に向かって商業道徳というと、商業にのみ道徳があるように聞こゆるが、道徳というものは世の中の人道であるから、単に商業家にのみ望むべきもので無い。商業の道徳はかくある、武士の道徳はこうである、政治家の道徳はこのようであると、何か官服の制度みたように、線が三つあるとか四つあるとかいうごとき変わったものではない。人道であるからすべての人が守るべきもので、孔子の教えで言うならば「孝悌は仁を為すの本」というように、初め孝悌から践み出して、それから大きく仁義にもなり、忠恕にもなる。これを総称して道徳というようになって来るのであろう。そういう広い人道的の道徳でなくして、商売上ことに輸出営業などについて注意を望むのは、競争に属する道徳である。これは特に申し合わせて、その間の約束を道徳的に堅固にしたいと、余は希望してやまぬのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ孔孟教の根底を誤り伝えたる結果は、利用厚生に従事する実業家の精神をして、ほとんどすべてを利己主義たらしめ、その念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚だしきに至っては法網をくぐられるだけくぐっても金儲けをしたいの一方にさせてしまった。したがって今日のいわゆる実業家の多くは、自分さえ儲ければ他人や世間はどうあろうと構わないという腹で、もし社会的および法律的の制裁が絶無としたならば、彼らは強奪すらしかねぬという情けない状態に陥っている。もし永くこの状態を押して行くとすれば、将来貧富の懸隔はますます甚だしくなり、社会はいよいよあさましい結果に立ち至る事と予想しなければならぬ。これまことに孔孟の訓えを誤り伝えたる学者が数百年来跋扈していた余毒である。とにかく世の中が進むにつれて、実業界においても生存競争がますます激しくなるは自然の結果と言ってよい。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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