論語と算盤 / 算盤と権利・金門公園の掛札
私は此時に、自分は銀行家であつて美術家ではない、又軍人でないから軍事も知らない、然るに閣下は私に向つて軍事と美術だけをお賞め下すつたが、次回に私が閣下にお目に掛る時には、日本の商工業に対して御賞讃のお言葉のあるやうに、不肖ながら私は国民を率ゐて努める積りであると答へた
書き下し
私はこの時に、自分は銀行家であって美術家ではない、また軍人でないから軍事も知らない、しかるに閣下は私に向かって軍事と美術だけをお褒め下すったが、次回に私が閣下にお目に掛かる時には、日本の商工業に対して御賞讃のお言葉のあるように、不肖ながら私は国民を率いて努めるつもりであると答えた。
現代語訳
私はこのとき、こう答えた。自分は銀行家であって美術家ではない。また軍人でもないから軍事も知らない。それなのに閣下は私に向かって軍事と美術だけをお褒めくださった。次にお目にかかるときには、日本の商工業に対してお褒めの言葉をいただけるよう、微力ながら私は国民を率いて努めるつもりです、と。
解説
明治三十五年、渋沢が初めて渡米したときの記録である。楽しみにしていた土地で最初に受けた衝撃が、金門公園の水泳場に掲げられた「日本人泳ぐべからず」の札だった。領事に問えば、日本の若い移民が水中で婦人の足を引っ張る悪戯をするからだという。渋沢はまず自国民の非を認め、そのうえで差別的待遇が積み重なる先を憂える。この一段はそのあと、ワシントンでのセオドア・ルーズベルトとの会見である。大統領は日本の軍隊と美術を褒めた。渋沢は自分は軍人でも美術家でもないと断ったうえで、次は商工業を褒めてもらえるようにする、と応じた。賛辞に礼を言うのではなく、宿題として引き受けたのである。
この章句が説くこと
金門公園の掛札日本人泳ぐべからずルーズベルト商工業を第三の長所に