論語と算盤 / 人格と修養・権威ある人格養成法
人生終局の目的たる成功に対しても、近時多種多様に之を論ずる人があつて、目的を達するに於ては手段を択ばずなぞと、成功といふ意義を誤解し、何をしても富を積み地位を得られさへすれば、其れが成功であると心得て居る者もあるが、余は其様な説に左袒することが出来ない、高尚なる人格を以て正義正道を行ひ、然る後に得た所の富、地位でなければ、完全な成功とは謂はれないのである。
書き下し
人生終局の目的たる成功に対しても、近時多種多様にこれを論ずる人があって、目的を達するにおいては手段を択ばずなぞと、成功という意義を誤解し、何をしても富を積み地位を得られさえすれば、それが成功であると心得ている者もあるが、余はそのような説に左袒することが出来ない。高尚なる人格をもって正義正道を行い、然る後に得た所の富、地位でなければ、完全な成功とは言われないのである。
現代語訳
人生の最終目的である成功についても、近ごろは多種多様に論じる人がいて、目的を達するには手段を選ばず、などと成功の意味を取り違え、何をしてでも富を積み地位を得さえすればそれが成功だと心得ている者もある。だが私はそのような説に与することはできない。高い人格をもって正義正道を行い、そのうえで得られた富や地位でなければ、完全な成功とは言えないのである。
解説
渋沢はこの章で、当時の道徳の空白を率直に描く。儒教は古いとして退けられ、キリスト教が一般の道徳律になったわけでもなく、明治の新道徳も成立していない。人が何に拠ればよいか分からない、と。その空白のなかで利己主義が極まり、国を富ますより自分を富ますことが主になっている、と診断する。ただし彼は清貧を勧めない。孔子が顔淵の清貧を褒めたのは「不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲の如し」の裏面を言ったまでで、富そのものを貶したのではない、と読む。だから結論は富の否定ではなく、成功の定義の書き直しになる。手段を問わずに得た富は、成功と呼ばない。
この章句が説くこと
権威ある人格養成法忠信孝悌成功の定義正義正道