論語と算盤 / 立志と学問・社会と学問との関係
恰かも地図を見る時と実地を歩行する時との如きものである、地図を披いて眼を注げば、世界も只一目の下に在る、一国一郷は指顧の間にある如くに見える、参謀本部の製図は随分詳密なもので、小川小邱から土地の高低傾斜までも明かに分るやうに出来て居るが、其れでも実際と比較して見ると、予想外のことが多い、其れを深く考慮せず、充分に熟知した積りで、愈々実地に踏み出して見ると、茫漠として大に迷ふ、山は高く谷は深し、森林は連なり、河は広く流る〻といふ間に、道を尋ねて進むと、高岳に出会ひ、何程登つても頂上に達し得ぬ、或は大河に遮られて途方に暮れることもあらうし、道路が迂囘して容易に進まれぬこともある、或は深い谷に入つて何時出ることが出来るかと思ふこともある、到る処に困難なる場所を発見する、若し此際十分の信念がなく、大局を観るの明がないなら、失望落胆して勇気は出でず、自暴自棄に陥つて、野山の差別なく狂ひ𢌞る如き事となつて、遂には不幸なる終りを見るであらう。
書き下し
あたかも地図を見る時と実地を歩行する時とのごときものである。地図をひらいて眼を注げば、世界もただ一目の下に在る、一国一郷は指顧の間にあるごとくに見える。参謀本部の製図は随分詳密なもので、小川小丘から土地の高低傾斜までも明らかに分かるように出来ているが、それでも実際と比較して見ると、予想外のことが多い。それを深く考慮せず、充分に熟知したつもりで、いよいよ実地に踏み出して見ると、茫漠として大いに迷う。山は高く谷は深し、森林は連なり、河は広く流るるという間に、道を尋ねて進むと、高岳に出会い、いくら登っても頂上に達し得ぬ。あるいは大河に遮られて途方に暮れることもあろうし、道路が迂回して容易に進まれぬこともある。あるいは深い谷に入っていつ出ることが出来るかと思うこともある。到る処に困難なる場所を発見する。もしこの際十分の信念がなく、大局を観るの明がないなら、失望落胆して勇気は出ず、自暴自棄に陥って、野山の差別なく狂い回るごとき事となって、ついには不幸なる終わりを見るであろう。
現代語訳
それはちょうど、地図を見るときと、実地を歩くときの違いのようなものである。地図をひらいて目を注げば、世界もひと目のうちにあり、一国一郷は手の届く所にあるように見える。参謀本部の地図はずいぶん詳しく、小さな川や丘から土地の高低や傾斜まで分かるようにできている。それでも実際と比べると予想外のことが多い。そこを深く考えずに、十分わかったつもりで実地へ踏み出すと、茫漠として大いに迷う。山は高く谷は深い。森は連なり、河は広い。道を尋ねて進めば高い山に出会い、いくら登っても頂上に着かない。大河にさえぎられて途方に暮れることもあれば、道が遠回りして進めないこともある。深い谷に入って、いつ出られるのかと思うこともある。行く先々で難所にぶつかるのだ。このとき十分な信念がなく、大局を見る目がなければ、失望落胆して勇気は出ず、自暴自棄に陥って、野も山も見境なく駆け回り、ついには不幸な終わりを迎えるだろう。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』立志と学問・社会と学問との関係この一例は、学問と社会との関係の上に応用して考えて見ると、直ちに了解し得る事と思うが、とにかく、社会の事物の複雑なることを、前もって充分に会得して、いかに用意していても、実際には意外なことが多いものであるから、学生は平常一層の注意を払って研究しておかねばならぬのである。
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『論語と算盤』立志と学問・社会と学問との関係元来人情の通弊として、とかくに功を急ぎ大局を忘れて、勢い事物に拘泥し、わずかな成功に満足するかと思えば、さほどでもない失敗に落胆する者が多い。学校卒業生が社会の実務を軽視し、実際上の問題を誤解するのも、多くはこのためである。ぜひともこの誤れる考えは改めねばならぬが、その参考として学問と社会との関係を考察すべき例を挙げると。
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『論語と算盤』立志と学問・社会と学問との関係学問と社会とはさほど大なる相違のあるものではないが、学生時代の予想があまりに過大であるから、面倒なる活社会の状態を実見して、意外の感を催すものである。今日の社会は昔とは異なりて、種々複雑となっているから、学問においても多くの科目に分かれて政治、経済、法律、文学、または農とか商とか工とかいうがごとく区別され、しかもその各分科の中においても、工科の中に電気、蒸気、造船、建築、採鉱、冶金などの各分科があり、比較的単純に見える文学でも、哲学とか歴史とか種々に分かれて、教育に従事するもの、小説を作るもの、各々その希望に従ってはなはだ複雑多岐である。ゆえに実際の社会において各自の活動する筋道も、学校にありし時、机上において見たごとく分明でないから、ともすれば迷いやすく誤りがちになる。学生は常にこれらの点に注意して、大体に眼を著け大局を誤らずして、自己の立脚地を見定めねばならぬ。すなわち自己の立場と他人の立場とを、相対的に見ることを忘れてはならぬ。
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『論語と算盤』立志と学問・大立志と小立志との調和またそれと同時に、自分の境遇がその志を遂ぐることを許すや否やを深く考慮することも必要で、例えば、身体も強壮、頭脳も明晰であるから、学問で一生を送りたいとの志を立てても、これに資力が伴わなければ、思うようにやり遂げることは困難であるというようなこともあるから、これならばいずれから見ても、一生を貫いてやることが出来るという確かな見込みの立った所で、初めてその方針を確定するがよい。しかるにさほどまでの熟慮考察を経ずして、ちょっとした世間の景気に乗じ、うかと志を立てて駆け出すような者もよくあるけれども、これでは到底末の遂げられるものではないと思う。
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『論語と算盤』立志と学問・大立志と小立志との調和生まれながらの聖人なら知らぬこと、我々凡人は志を立てるに当たっても、とかく迷いやすいのが常である。あるいは眼前社会の風潮に動かされ、あるいは一時周囲の事情に制せられて、自分の本領でもない方面へ浮々と乗り出す者が多いようであるけれども、これでは真に志を立てた者とは言われない。ことに今日のごとく世の中が秩序立って来ては、一度立てた志を中途から他に転ずるなどのことがあっては非常の不利益が伴うから、立志の当初最も慎重に意を用いるの必要がある。その工夫としてはまず自己の頭脳を冷静にし、しかる後自分の長所とするところ、短所とするところを精細に比較考察し、その最も長ずる所に向かって志を定めるがよい。
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『論語と算盤』常識と習慣・人生は努力にあり人の世に成功するの要素として、智の必要なること、すなわち学問の必要なることはもちろんであるが、それのみをもって直ちに成功し得るものと思うは大なる誤解である。論語に「子路曰く、民人あり、社稷あり、何ぞ必ずしも書を読みて、しかる後に学ぶと為ん」とある。これは孔子の門人の子路の言である。すると孔子は「この故にかの佞者を悪む」と答えられた。この意は「口ばかりで、事実行われなくては駄目である」ということである。予はこの子路の言を善しと思っている。されば机上の読書のみを学問と思うのは甚だ不可のことである。
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