論語と算盤 / 立志と学問・大正維新の覚悟
青年時代に正義の為め失敗を恐れて居るやうでは、到底見込のない者で、自分が正義と信ずる限りは、飽くまで進取的に剛健なる行為を取つて貰ひたい、正義の観念を以て進み、岩をも徹す鉄石心を傾倒すれば、成らざる事なしといふ意気込で進まねばならぬ、この志さへあれば、如何なる困難をも突破し得るので、縦ひ失敗することがあつても、其れは自己の注意の足らぬので、衷心毫も疚しい所がなければ、却つて多大の教訓を与へられ、一層剛健なる志を養ひ、倍々自信を生じ、勇気を生じて猛進することが出来
書き下し
青年時代に正義のため失敗を恐れているようでは、到底見込のない者で、自分が正義と信ずる限りは、あくまで進取的に剛健なる行為を取ってもらいたい。正義の観念をもって進み、岩をも徹す鉄石心を傾倒すれば、成らざる事なしという意気込みで進まねばならぬ。この志さえあれば、いかなる困難をも突破し得るので、たとい失敗することがあっても、それは自己の注意の足らぬので、衷心いささかもやましい所がなければ、かえって多大の教訓を与えられ、一層剛健なる志を養い、ますます自信を生じ、勇気を生じて猛進することが出来る。
現代語訳
若いうちから、正義のために失敗することを恐れているようでは、まったく見込みがない。自分が正義だと信じる限りは、あくまで前へ出て、剛健な行いを取ってほしい。正義の観念をもって進み、岩をも貫く鉄石の心を傾ければ、成らないことはないという意気込みで進まねばならない。この志さえあれば、どんな困難も突破できる。たとえ失敗しても、それは自分の注意が足りなかっただけのことで、心の底に少しもやましいところがなければ、かえって多くの教訓を与えられ、いっそう剛健な志が育ち、自信も勇気も増して、さらに前へ進めるのである。
解説
「大正維新」という言葉は、湯の盤の銘「苟に日に新たなり、日に日に新たに、又日に新たなり」から取られている。明治維新をやった世代が老いて保守に傾いた大正の空気に、渋沢は不満だった。だから青年に向かって、老人が危険を感じるくらい活動しろ、と言う。ここで注目したいのは失敗の扱いである。恐れるなと言うだけでなく、失敗した後の条件を置いている——「衷心毫も疚しい所がなければ」。動機が正しければ、失敗は注意不足という技術の問題に落ちる。だから教訓になり、次の自信になる。逆に言えば、やましさのある失敗は経験にならない。挑戦を許す条件を、結果ではなく動機に置いた一節である。
この章句が説くこと
大正維新日に日に新たなり正義のための失敗剛健なる志覚悟克己
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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