論語と算盤 / 立志と学問・現在に働け
我々も明治六年頃から物質的文明に微弱ながらも全力を注ぎ、今日では幸にも有力な実業家を全国到る処に見るやうになり、国の富も非常に増したけれども、奚んぞ知らん、人格は維新前よりは退歩したと思ふ、否、退歩どころではない、消滅せぬかと心配して居るのである、故に物質的文明が進んだ結果は、精神の進歩を害したと思ふのである。私は常に精神の向上を富と共に進めることが必要であると信じて居る、人は此点から考へて強い信仰を持たねばならぬ、私は農家に生れたから教育も低くかつたが、幸にも漢学を修めることが出来たので、これより一種の信仰を得たのである、私は極楽も地獄も心に掛けない、た〻゙現在に於て正しいことを行つたならば、人として立派なものであると信じて居るのである。
書き下し
我々も明治六年頃から物質的文明に微弱ながらも全力を注ぎ、今日では幸いにも有力な実業家を全国至る所に見るようになり、国の富も非常に増したけれども、いずくんぞ知らん、人格は維新前よりは退歩したと思う。いな、退歩どころではない、消滅せぬかと心配しているのである。ゆえに物質的文明が進んだ結果は、精神の進歩を害したと思うのである。私は常に精神の向上を富とともに進めることが必要であると信じている。人はこの点から考えて強い信仰を持たねばならぬ。私は農家に生まれたから教育も低かったが、幸いにも漢学を修めることが出来たので、これより一種の信仰を得たのである。私は極楽も地獄も心に掛けない。ただ現在において正しいことを行ったならば、人として立派なものであると信じているのである。
現代語訳
我々も明治六年頃から物質的な文明に、微力ながら全力を注いできた。おかげで今日では有力な実業家を全国いたるところに見るようになり、国の富も非常に増えた。ところがどうだろう、人格は維新前より退歩したと思う。いや、退歩どころか、消滅しはしないかと心配している。物質的文明が進んだ結果、精神の進歩を害したと思うのである。私はつねづね、精神の向上を富とともに進めることが必要だと信じている。人はこの点で強い信仰を持たねばならない。私は農家に生まれ、教育も低かったが、幸い漢学を修めることができ、そこから一種の信仰を得た。私は極楽も地獄も気にかけない。ただ現在において正しいことを行ったなら、人として立派なものだと信じている。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』立志と学問・現在に働け私などは海外に交通するには、どうしても科学的智識が必要であるということを、声を嗄らして叫んだが、幸いにも追々その機運が起こって、明治十七八年にはこうした傾向が盛んになって、間もなく才学ともに備わった人が輩出するに至ったのである。それから以後今日までわずか三四十年の短い年月に、日本も外国には劣らないくらい物質的文明が進歩したが、その間にまた大なる弊害を生じたのである。徳川三百年間を太平ならしめた武断政治も、弊害を他に及ぼしたことは明らかであるが、またこの時代に教育された武士の中には、高尚遠大な性行の人も少なくはなかったのであるが、今日の人にはそれがない。富は積み重なっても、哀しいかな武士道とか、あるいは仁義道徳というものが、地を払っているといってよいと思う。すなわち精神教育がまったく衰えて来ると思うのである。
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『論語と算盤』実業と士道・果して誰の責任ぞ維新以来物質的文明が急激なる発達をなしたるに反し、道徳の進歩がそれに伴わなかったので、世人はこの不釣合の現象に著しく注目して、商業道徳退歩というのであるとして見れば、仁義道徳の修養に心を用い、物質的進歩と互角の地位に進ませるが目下の急務には相違ないが、一面から考察して見ると、単に外国の風習ばかりを見て、直ちにこれを我が国に応用せんとすれば、あるいは不可能を免れぬこともある。
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『論語と算盤』実業と士道・果して誰の責任ぞ世人ややもすれば維新以後における商業道徳は、文化の進歩に伴わずしてかえって衰えたと言う。しかしながら余はなにゆえに道徳が退歩、もしくは頽廃したか、その理由を知るに苦しむ者である。これを昔日の商工業者に比すれば、今日の商工業者とそのいずれが道徳観念に富み、いずれが信用を重んずるであろうか。余は今日をもって遙かに昔日に優るものと断言するに憚からぬ。けれども今日他の事物の進歩した割合に道徳が進んでおらぬとは、すでに前説のごとくであるから、余は必ずしも世人の説を駁する訳ではない。ただ吾人のこの間に処するものは、かくのごとき世評の生ずる理由を詮索し、一日も早く道徳をして物質的文明と比肩せしめ得るの程度に向上させなくてはならぬ。それは前に述べたるがごとき方法の下に道徳を講ずるのが先決問題であろう。しかしそれとても特別の工夫方法を要する訳でなく、ただ日常の経営においてさよう心掛けておれば足るのであるから、さまで難しいものではない。
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『論語と算盤』理想と迷信・真正なる文明さて一国の進歩はいずれに傾くかというに、古来各国の実例を観るに、多く文化の進歩が先にして、実力が後より追随するように思われる。ことに国によりては兵力がまず前駆して、富力というものはことさらに遅れ馳せになるということは、多く見る例である。我が帝国の現状もやはりそういう有様と言わねばなるまいかと思う。その国体が万国に冠絶して、そして百般の施設も、維新以後輔弼の賢臣が打ち寄って漸次に建設せられたのであるから、まことに申し分はないと思っている。ただそれに伴う富実の力が同じく完備しているかというと、悲しいかな歳月なお浅しと言わねばならぬ。富実の根本たるべき実業の養成は、短日月にして満足し得るものではない。ために前に申す国体とか制度とかいうものが完備せるに比較すれば、富力はすこぶる欠如している。ただしその富を増殖することのみに国民挙って努力するならば、帝国小なりといえども種々なる方法もあるだろう。けれども富むより先に使用せねばならぬという必要がある。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ孔孟教の根底を誤り伝えたる結果は、利用厚生に従事する実業家の精神をして、ほとんどすべてを利己主義たらしめ、その念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚だしきに至っては法網をくぐられるだけくぐっても金儲けをしたいの一方にさせてしまった。したがって今日のいわゆる実業家の多くは、自分さえ儲ければ他人や世間はどうあろうと構わないという腹で、もし社会的および法律的の制裁が絶無としたならば、彼らは強奪すらしかねぬという情けない状態に陥っている。もし永くこの状態を押して行くとすれば、将来貧富の懸隔はますます甚だしくなり、社会はいよいよあさましい結果に立ち至る事と予想しなければならぬ。これまことに孔孟の訓えを誤り伝えたる学者が数百年来跋扈していた余毒である。とにかく世の中が進むにつれて、実業界においても生存競争がますます激しくなるは自然の結果と言ってよい。
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『論語と算盤』立志と学問・現在に働け徳川時代の末路でも、因襲のしからしむる所、一般の商工業者に対する教育と武士教育とは全く区別されていたのである。そして武士は皆修身斉家を本として、ただ自己一身を修めるのみではなく、他をも治めるという主義で、すべて経世済民を主眼としていた。農工の教育は、他人を治め国家をいかにするかというような考えを持たせる教育ではなく、至って卑近な教育であった。当時の人は武士的教育を受ける人はまことに少ないので、すべて教育はいわゆる寺子屋式のもので、寺の和尚さんか、または富豪の老人などが教育してくれたものである。農工商はほとんど国内だけのもので、海外などにはごうも関係がなかったものであるから、農工商の人には低級な教育で足りたのである。そして主なる商品は幕府および藩が運送、販売等の機軸を握っていたので、農工商民の関係する所は実に狭いものであった。当時のいわゆる平民は一種の道具であった。甚だしいのは武士は無礼打、切捨御免という惨酷な野蛮極まる行為を平気でやっていたものである。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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