論語と算盤 / 処世と信条・大丈夫の試金石
若し何人でも自然的逆境に立つた場合には、第一に其の場合に自己の本分であると覚悟するのが唯一の策であらうと思ふ、足るを知りて分を守り、これは如何に焦慮すればとて、天命であるから仕方がないとあきらめるならば、如何に処し難き逆境に居ても、心は平かなるを得るに相違ない、然るに若し此の場合を総て人為的に解釈し、人間の力で如何にかなるものであると考へるならば、徒らに苦労の種を増すばかりか、労して功のない結果となり、遂には逆境に疲れさせられて、後日の策を講ずることも出来なくなつて仕舞ふであらう、故に自然的の逆境に処するに当つては、先づ天命に安んじ、徐ろに来るべき運命を待ちつ〻撓まず屈せず勉強するが可い。
書き下し
もし何人でも自然的逆境に立った場合には、第一にその場合に自己の本分であると覚悟するのが唯一の策であろうと思う。足るを知りて分を守り、これはいかに焦慮すればとて、天命であるから仕方がないとあきらめるならば、いかに処し難き逆境に居ても、心は平らかなるを得るに相違ない。しかるにもしこの場合をすべて人為的に解釈し、人間の力でどうにかなるものであると考えるならば、いたずらに苦労の種を増すばかりか、労して功のない結果となり、ついには逆境に疲れさせられて、後日の策を講ずることも出来なくなってしまうであろう。ゆえに自然的の逆境に処するに当たっては、まず天命に安んじ、おもむろに来るべき運命を待ちつつ、たわまず屈せず勉強するがよい。
現代語訳
もし誰であれ自然的な逆境に立たされたときは、まずこれが自分の本分なのだと覚悟する。それが唯一の策だと思う。足るを知って分を守り、いくら焦ったところでこれは天命なのだから仕方がない、とあきらめるなら、どれほど処しがたい逆境にいても心は平らかでいられる。ところが、この状況をすべて人のせい・人の力でどうにかなるものと解釈すれば、いたずらに苦労の種が増えるばかりで、骨折り損に終わり、しまいには逆境に疲れきって、次の手を考えることすらできなくなってしまう。だから自然的な逆境に処するときは、まず天命に安んじ、来るべき運命をゆっくり待ちながら、たわまず屈せず努め続けるのがよい。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石したがってその渦中に投ぜられて逆境に立つ人も常にあることであろうから、世の中に逆境は絶対に無いと言い切ることは出来ないのである。ただ順逆を立つる人は、よろしくそのよって来る所以を講究し、それが人為的逆境であるか、ただしは自然的逆境であるかを区別し、しかる後これに応ずるの策を立てねばならぬ。
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『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石それに反して、人為的逆境に陥った場合はいかにすべきかというに、これは多く自働的なれば、何でも自分に省みて悪い点を改めるより外はない。世の中の事は多く自働的のもので、自分からこうしたいああしたいと奮励さえすれば、たいがいはその意のごとくになるものである。しかるに多くの人は自ら幸福なる運命を招こうとはせず、かえって手前の方からほとんど故意にねじけた人となって逆境を招くような事をしてしまう。それでは順境に立ちたい、幸福な生涯を送りたいとて、それを得られる筈がないではないか。
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『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石しかし自然的逆境は大丈夫の試金石であるが、さてその逆境に立った場合はいかにその間に処すべきか。神ならぬ身の余は別にそれに対する特別の秘訣を持つものではない。また恐らく社会にもそういう秘訣を知った人はなかろうと思う。しかしながら余が逆境に立った時、自ら実験したところ、および道理上から考えて見るに。
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『論語と算盤』成敗と運命・順逆の二境は何れより来るか以上述べた所よりすれば、余は逆境はないものであると絶対に言い切りたいのであるが、そうまで極端に言い切れない場合が一つある。それは智能才幹何一つの欠点もなく、勤勉精励、人の師表と仰ぐに足るだけの人物でも、政治界実業界に順当に志の行われてゆく者と、その反対に何事も意と反して蹉跌する者とがある。そうして後者のごとき者に対して、余は真意義の逆境なる言葉を用いたいのである。
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『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石真の逆境とはいかなる場合をいうか、実例に徴して一応の説明を試みたいと思う。およそ世の中は順調を保って平穏無事にゆくのが普通であるべき筈ではあるが、水に波動のあるごとく、空中に風の起こるがごとく、平静なる国家社会すらも、時としては革命とか変乱とかいうことが起こって来ないとも断言されない。そしてこれを平静無事な時に比すれば明らかに逆であるが、人もまたこのごとき変乱の時代に生まれ合い、心ならずもその渦中に巻き込まれるは不幸の者で、こういうのが真の逆境に立つというのではあるまいか。果たしてしからば余もまた逆境に処して来た一人である。余は維新前後世の中が最も騒々しかった時代に生まれ合い、さまざまの変化に遭遇して今日に及んだ。顧みるに維新の際におけるがごとき世の変化に際しては、いかに智能ある者でも、また勉強家でも、意外な逆境に立ったり、あるいは順境に向かったりしないとは言われない。
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『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕とにかく人は誠実に努力黽勉して、自ら運命を開拓するがよい。もしそれで失敗したら、自己の智力が及ばぬためと諦め、また成功したら智恵が活用されたとして、成敗にかかわらず天命に托するがよい。かくて敗れてもあくまで勉強するならば、いつかは再び好運に際会する時が来る。人生の行路は様々で、時に善人が悪人に負けたごとく見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである。ゆえに成敗に関する是非善悪を論ずるよりも、まず誠実に努力すれば、公平無私なる天は、必ずその人に福し運命を開拓するように仕向けてくれるのである。
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