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論語と算盤 / 処世と信条・争ひの可否

如何に欠点があつても、又失策しても、飽くまで庇護して呉れる先輩の懇篤なる親切心は、誠に有難いものであるに相違ないが、か〻る先輩しかないといふ事になれば、後進の奮発心を甚しく沮喪さするものである、仮令失策しても先輩が恕して呉れる、甚しきに至つては、如何なる失策をしても、失策すれば失策したで先輩が救つて呉れるから、予め心配する必要は無いなど、至極暢気に構へて、事業に当るにも綿密なる注意を欠いたり、軽躁な事をしたりするやうな後進を生ずるに至り、どうしても後進の奮発心を鈍らす事になるものである。之に反し、後進をガミ〳〵責めつけて、常に後進の揚足を取つてやらう〳〵といふ気の先輩が上にあれば、その下にある後進は、寸時も油断がならず、一挙一動にも隙を作らぬやうにと心懸け、あの人に揚足を取られる様な事があつてはならぬから、と自然身持にも注意して不身持なことをせず、怠るやうなことも慎み、一体に後進の身が締るやうになるものである

書き下し

いかに欠点があっても、また失策しても、あくまで庇護してくれる先輩の懇篤なる親切心は、誠に有難いものであるに相違ないが、かかる先輩しかないということになれば、後進の奮発心を甚だしく沮喪させるものである。たとえ失策しても先輩が恕してくれる、甚だしきに至っては、いかなる失策をしても、失策すれば失策したで先輩が救ってくれるから、あらかじめ心配する必要は無いなど、至極暢気に構えて、事業に当たるにも綿密なる注意を欠いたり、軽躁な事をしたりするような後進を生ずるに至り、どうしても後進の奮発心を鈍らす事になるものである。これに反し、後進をガミガミ責めつけて、常に後進の揚足を取ってやろうやろうという気の先輩が上にあれば、その下にある後進は、寸時も油断がならず、一挙一動にも隙を作らぬようにと心懸け、あの人に揚足を取られるような事があってはならぬから、と自然身持にも注意して不身持なことをせず、怠るようなことも慎み、一体に後進の身が締まるようになるものである。

現代語訳

どれほど欠点があっても、失敗しても、あくまで庇ってくれる先輩の手厚い親切心は、本当にありがたいものに違いない。だが、そういう先輩しかいないとなれば、後進の奮起する心をひどく萎えさせてしまう。失敗しても先輩が許してくれる、ひどい場合には、どんな失敗をしても先輩が救ってくれるのだから前もって心配する必要はない、と気楽に構えて、仕事に綿密な注意を払わなくなったり、軽はずみなことをしたりする後進が出てくる。どうしても奮起する心を鈍らせることになる。反対に、後進をガミガミ責めつけ、いつも揚げ足を取ってやろうという気の先輩が上にいれば、その下の後進は少しも油断ができず、一挙一動に隙を作るまいと心がけ、あの人に揚げ足を取られてはならないと、自然に身持ちにも気をつけ、怠けることも慎むようになる。全体として身が締まるのである。

解説

章の題は「争ひの可否」。渋沢は孟子の「敵国外患無き者は国恒に亡ぶ」を引き、争いは処世に必要だと言い切る。そのうえで先輩を二種類に分ける。何があっても庇う慈母のような先輩と、いつも揚げ足を取る敵国のような先輩。前者は慕われるが後進を甘くし、後者は恨まれるが後進を締める。渋沢はどちらが正しいと断じず「篤と青年子弟諸君に於て熟考せられて然るべき」と預ける。読むべきは、優しさが人望のための選択になっていないか、という問いだろう。庇うことで慕われている構造は、上司の側にとってこそ心地よい。厳しさが要るのは、後進の緊張を保つためであって、上司の機嫌のためではない。

この章句が説くこと

争ひの可否敵国外患後進の奮発心揚足を取る先輩

この一句を、あなたの毎日に。

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