論語と算盤 / 処世と信条・人は平等なるべし
渋沢の下に居りて舞台が狭いのならば、即座に渋沢と袂を分ち、自由自在に海濶な大舞台に乗り出して、思ふさま手一杯の働き振を見せて下さることを私は衷心から希ふて居る、我に一日の長あるが為に、人の自ら卑うして私の許に働いて呉れるにしても、人の一日の及ばざるの故を以て、私は其人を卑しめたくない、人は平等でなければならぬ、節制あり礼譲ある平等でなければならぬ、私を徳とする人もあらうが、私も人を徳として居る、畢竟世の中は相持ちと極めて居るから我も驕らず、彼も侮らず、互に相許して毫末も乖離する所のなきやうに私は勤めて居る。
書き下し
渋沢の下に居りて舞台が狭いのならば、即座に渋沢と袂を分かち、自由自在に海濶な大舞台に乗り出して、思うさま手一杯の働きぶりを見せて下さることを私は衷心から希っている。我に一日の長があるがために、人が自ら卑くして私のもとで働いてくれるにしても、人の一日の及ばざるの故をもって、私はその人を卑しめたくない。人は平等でなければならぬ、節制あり礼譲ある平等でなければならぬ。私を徳とする人もあろうが、私も人を徳としている。畢竟世の中は相持ちと極まっているから、我も驕らず、彼も侮らず、互いに相許して毫末も乖離する所のなきように私は勤めている。
現代語訳
渋沢のもとにいて舞台が狭いというのなら、すぐに私と袂を分かち、自由自在に広い大舞台へ乗り出して、思うぞんぶんの働きぶりを見せてほしい——私は心からそう願っている。私に一日の長があるために、その人が自分を低くして私のもとで働いてくれているとしても、その一日ぶんが及ばないというだけの理由で、私はその人を卑しめたくない。人は平等でなければならない。ただし節度と礼儀のある平等でなければならない。私を恩人と思う人もいるだろうが、私もその人を恩人と思っている。つまるところ世の中は相身互いと決まっているのだから、こちらも驕らず、あちらも侮らず、互いに認め合って少しも離れることのないように努めている。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』処世と信条・人は平等なるべし私は適材を適所に配備する工夫において家康の故智にあやかりたいものと、絶えず苦心しているのであるが、その目的においては全く家康に倣うところがない。渋沢はどこまでも渋沢の心をもって、我と相ともにする人物に対するのである。これを道具に使って自家の勢力を築こうの、どうのという私心は毛頭も蓄えておらぬ。ただ私の素志は適所に適材を得ることに存するのである。適材の適所に処して、そして何らかの成績を挙げることは、これその人の国家社会に貢献する本来の道であって、やがてまたそれが渋沢の国家社会に貢献する道となるのである。私はこの信念の下に人物を待つのである。権謀的色彩をもってその人を汚辱し、自家薬籠の丸子として、その人を封じ込めてしまうような、罪な業は決して致さぬ。活動の天地は自由なものでなければならぬ。
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『論語と算盤』処世と信条・人は平等なるべし材能の適不適を察し、適材を適所に置くということは、多少なりとも人を使う者の、常に口にこれを言うところであって、そしてまた常に心にこれを難ずるところである。さらにまた思うに、適材を適所に置くということの蔭には、往々にして権謀の加味されている場合がある。自己の権勢を張ろうとするには、何よりも適材を適所に配備し、一歩は一歩より、一段は一段より、漸次に自己の勢力を扶植し、漸次に自己の立脚地を踏み固めて行かなければならぬ。かように工夫するものは、ついによく一派の権勢を築き上げて、政治界に処しても、事業界に処しても、ないし何らの社会に処しても、儼然として覇者の威を振るうことが出来るのである。しかしさような行き方は、断じて私の学ぶところではない。
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『論語と算盤』理想と迷信・人生観の両面換言すれば、それが孔子の処世上の覚悟であるが、余もまた人生の意義はかくあるべき筈だと思う。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れなるほどそう言われて見ると、この評もあるいはしからんと、自ら思い当たることがないでもない。しかしながら余は別に自己の主義とする所があって、およそ世事に処するに当たっては、一身を立つると同時に社会の事に勤め、能う限り善事を殖やし、世の進歩を図りたいとの意念を抱持している。したがって単に自己の富とか、地位とか、子孫の繁栄とかいうものは第二に置き、もっぱら国家社会のために尽くさんことを主意とするものである。されば人のために謀って善をなすことに心掛け、すなわち人の能を助けて、それを適所に用いたいとの念慮が多いのである。この心掛けがそもそも世人から誤解を招くに至った所以ではあるまいか。
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『論語と算盤』処世と信条・士魂商才また『己れを責めて人を責むるな』は、『己欲立而立人、己欲達而達人』という句の意を採られたのである。また『及ばざるは過ぎたるより勝れり』というのは、例の『過猶不及』と孔子が教えられたのと一致している。『堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え』は『克己復礼』の意である。『人はただ身の程を知れ草の葉の、露も重きは落つるものかな』は分に安んずることである。『不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したる時を思い出すべし』『勝つことばかりを知りて負くることを知らざれば、害その身に至る』とある。この意味の言葉は論語の各章にしばしば繰り返して説いてある。次に公が処世に巧みであったこと、二百余年の大偉業を開かれたことは、たいてい論語から来ているのである。
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『論語と算盤』処世と信条・論語は万人共通の実用的教訓人間の勤むべき尊い仕事は到る処にある、官だけが尊いのではないといろいろ論語などを援いて弁駁し説きつけたのである。そして私は論語を最も瑕瑾のないものと思うたから、論語の教訓を標準として、一生商売をやって見ようと決心した。それは明治六年の五月のことであった。
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