六祖壇経 / 付嘱品第十
「真如自性是真佛,邪見三毒是魔王, 邪迷之時魔在舍,正見之時佛在堂。 性中邪見三毒生,即是魔王來住舍, 正見自除三毒心,魔變成佛真無假。
新字:「真如自性是真仏,邪見三毒是魔王, 邪迷之時魔在舎,正見之時仏在堂。 性中邪見三毒生,即是魔王来住舎, 正見自除三毒心,魔変成仏真無仮。
書き下し
「真如の自性は是れ真の佛、邪見三毒は是れ魔王なり。 邪迷の時は魔舍に在り、正見の時は佛堂に在り。 性中に邪見三毒生ずれば、即ち是れ魔王來りて舍に住す。 正見自ら三毒の心を除けば、魔變じて佛と成りて真に假無し。」
現代語訳
「真如の自性こそが真の仏であり、邪な見方と三毒(貪り・怒り・愚かさ)が魔王である。 邪に迷っているときは魔が家におり、正しく見ているときは仏が堂にいる。 本性の中に邪な見方と三毒が生じれば、それが魔王が来て家に住みつくということ。 正しい見方が自ら三毒の心を除けば、魔は変じて仏となり、そこに偽りはない」。
解説
慧能が最後に残した「自性真仏偈」の冒頭である。仏と魔を、外にいる存在ではなく自分の中の状態として置き直す。真如の自性が仏、邪見と三毒が魔王。同じ一つの家の話で、住人が入れ替わるだけだ——「邪迷の時は魔舍に在り、正見の時は佛堂に在り」。舍と堂という対の語で、同じ場所が言い換えられている。魔を追い出す戦いではないところが要点である。「魔變じて佛と成りて真に假無し」。魔は倒す相手ではなく、変わる。三毒を除けば、除いた先に別の何かが来るのではなく、同じものが仏になる。ここに慧能の一貫した見方が最後まで通っている。悟りは、外から得るものでも、汚れを落として現れるものでもなく、いま何が住んでいるかの違いにすぎない。生涯の最初に置かれた「菩提自性、本來清淨」が、ここで一周して閉じる。
この章句が説くこと
自性真仏偈真如自性是真仏邪見三毒是魔王魔変成仏