六祖壇経 / 頓漸品第八
師謂眾曰:「法本一宗,人有南北,法即一種,見有遲疾;何名頓漸?法無頓漸,人有利鈍,故名頓漸。」
新字:師謂眾曰:「法本一宗,人有南北,法即一種,見有遅疾;何名頓漸?法無頓漸,人有利鈍,故名頓漸。」
書き下し
師眾に謂ひて曰く、「法は本と一宗なるも、人に南北有り。法は即ち一種なるも、見に遲疾有り。何をか頓漸と名づけん。法に頓漸無く、人に利鈍有り、故に頓漸と名づく」と。
現代語訳
慧能は人々に言った。「法はもともと一つの宗であるが、人に南北の別がある。法は一種であるが、見えかたに遅い速いがある。何を頓漸というのか。法に頓も漸もなく、人に利鈍があるだけだ、だから頓漸と呼ぶ」。
解説
当時、北の神秀は漸修(段階を踏む)、南の慧能は頓悟(一気に悟る)と対比され、南能北秀と並び称されていた。その対立について、慧能自身が語った言葉である。「法に頓漸無く、人に利鈍有り」——教えの側に速い遅いがあるのではなく、受け取る人の側に差があるだけだ。だから頓と漸という名がつく、と。自分の立場を守るためなら「頓悟こそ正しい」と言うのが自然な場面で、慧能は対立そのものを解消する側に立った。教えは一つで、名前は人の側の事情でついている。実際、この頓漸品では慧能が神秀の側の僧・志誠を受け入れ、神秀もまた慧能を高く評価していたと語られる。派閥の争いとして語られがちな話を、当人たちがそう見ていなかったことが記録されている。方法論の優劣を論じる前に、それが誰にとっての速さかを問う視点でもある。
この章句が説くこと
法無頓漸人有利鈍南能北秀頓悟と漸修対立の解消