六祖壇経 / 疑問品第三
「心平何勞持戒?行直何用修禪? 恩則孝養父母,義則上下相憐。 讓則尊卑和睦,忍則眾惡無喧。 若能鑽木出火,淤泥定生紅蓮。 苦口的是良藥,逆耳必是忠言。 改過必生智慧,護短心內非賢。 日用常行饒益,成道非由施錢。 菩提只向心覓,何勞向外求玄? 聽說依此修行,西方只在目前。」 師復曰:『善知識!總須依偈修行,見取自性,直成佛道。法不相待,眾人且散,吾歸曹溪,眾若有疑,卻來相問。』
新字:「心平何労持戒?行直何用修禅? 恩則孝養父母,義則上下相憐。 譲則尊卑和睦,忍則衆悪無喧。 若能鑽木出火,淤泥定生紅蓮。 苦口的是良薬,逆耳必是忠言。 改過必生智慧,護短心内非賢。 日用常行饒益,成道非由施銭。 菩提只向心覓,何労向外求玄? 聴説依此修行,西方只在目前。」 師復曰:『善知識!総須依偈修行,見取自性,直成仏道。法不相待,衆人且散,吾帰曹渓,衆若有疑,却来相問。』
書き下し
「心平らかなれば何ぞ戒を持つを勞せん。行直ければ何ぞ禪を修むるを用ゐん。 恩は則ち父母を孝養し、義は則ち上下相ひ憐れむ。 讓は則ち尊卑和睦し、忍は則ち眾惡喧しきこと無し。 若し能く木を鑽りて火を出ださば、淤泥に定めて紅蓮を生ぜん。 口に苦きは的ち是れ良藥、耳に逆らふは必ず是れ忠言。 過ちを改むれば必ず智慧を生じ、短を護れば心內に賢に非ず。 日用に常に饒益を行ぜよ、道を成すは錢を施すに由るに非ず。 菩提は只だ心に向かひて覓めよ、何ぞ外に向かひて玄を求むるを勞せん。 説を聽きて此に依りて修行せば、西方は只だ目前に在り。」 師復た曰く、『善知識よ、總て須らく偈に依りて修行し、自性を見取して、直ちに佛道を成ずべし。法は相ひ待たず。眾人且く散ぜよ。吾れ曹溪に歸らん。眾若し疑有らば、卻きて來りて相ひ問へ』と。
現代語訳
「心が平らかなら、わざわざ戒を守る手間がいるだろうか。行いがまっすぐなら、わざわざ禅を修める必要があるだろうか。 恩とは父母を孝養すること、義とは上下が互いに思いやること。 譲とは尊卑が和らぎ睦むこと、忍とは多くの悪が騒がなくなること。 木をこすって火を出せるほどになれば、泥の中にも必ず紅い蓮が生じる。 口に苦いものこそ良薬であり、耳に逆らうものこそ必ず忠言である。 過ちを改めれば必ず智慧が生じ、短所をかばえば心の内は賢くない。 日々の暮らしの中で常に人の益になることを行え。道を成すのは金を施すことによるのではない。 菩提はただ自分の心に向かって求めよ。どうして外に向かって深遠なものを求める手間をかけるのか。 この教えを聴いてこれに従って修行すれば、西方は目の前にある」。慧能はさらに言った。「善知識よ、みなこの偈に従って修行し、自性を見て、まっすぐ仏道を成じなさい。法は人を待ってはくれない。みな、しばらく散会しなさい。私は曹渓に帰る。もし疑いがあれば、また来て問いなさい」。
解説
この章句が説くこと
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『六祖壇経』疑問品第三若し修行せんと欲せば、在家も亦得たり、寺に在るに由らず。在家にて能く行ぜば、東方の人の心善なるが如く、寺に在りて修せずんば、西方の人の心悪なるが如し。但だ心清浄なれば、即ち是れ自性の西方なり」と。韋公又問ふ、「在家にて如何が修行せん。願はくは為に教授したまへ」と。師言ふ、「吾、大衆の与に無相頌を作らん。但だ此に依りて修せば、常に吾と同処にして別無し。若し此の修を作さずんば、剃髪出家すとも、道に於て何の益かあらん。頌に曰く、
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『六祖壇経』懺悔品第六「吾に一の無相頌有り、若し能く誦持せば、言下に汝が積劫の迷罪をして、一時に消滅せしめん。頌に曰く、『迷人は福を修して道を修せず、只だ福を修するを便ち是れ道と言ふ。布施供養は福辺無けれども、心中の三悪は元来造る。福を修して罪を滅せんと擬将すれども、後世に福を得て罪還つて在り。但だ心中に向ひて罪縁を除け、各自性の中の真の懺悔なり。忽ち大乗の真の懺悔を悟らば、邪を除き正を行じて即ち罪無し。道を学ぶには常に自性に於て観ぜよ、即ち諸仏と同一類なり。吾が祖は唯だ此の頓法を伝ふ、普く願はくは見性して同一体ならんことを。若し当来に法身を覓めんと欲せば、諸法の相を離れて心中に洗へ。努力して自ら見よ悠悠たること莫れ、後念忽ち絶えなば一世休す。若し大乗を悟らば見性することを得ん、虔恭合掌して至心に求めよ』」。師言はく、「善知識、総て須らく誦取し、此れに依りて修行すべし。言下に見性せば、吾を去ること千里なりと雖も、常に吾が辺に在るが如し。此の言下に於て悟らずんば、即ち対面すとも千里なり、何ぞ勤めて遠く来らん。珍重、好し去れ」と。一衆法を聞きて、開悟せざるは靡く、歓喜して奉行す。
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『六祖壇経』付嘱品第十今汝等が為に法を説きて、其の衣を付さず。蓋し汝等の信根淳熟して、決定して疑い無く、大事を任ずるに堪うるが為なり。然も先祖達摩大師の付授の偈の意に拠るに、衣は合に伝うべからず。偈に曰く、「吾本茲の土に来たり、法を伝えて迷情を救う。一花五葉を開き、結果自然に成る」と。』師復た曰く、『汝等若し種智を成就せんと欲せば、須らく一相三昧・一行三昧に達すべし。若し一切の処に於いて相に住せず、彼の相中に於いて憎愛を生ぜず、亦た取捨無く、利益成壊等の事を念ぜず、安閑恬静、虚融澹泊なる、此れを一相三昧と名づく。若し一切の処、行住坐臥に於いて、純一の直心にして、道場を動ぜず、其れ浄土を成す、此れを一行三昧と名づく。若し人二三昧を具うれば、地に種有りて、含蔵長養し、其の実を成熟するが如し。一相一行も、亦復た是くの如し。我今説法するは、猶お時雨の普く大地を潤すが如し。汝等の仏性は、諸を種子に譬う、茲の沾洽に遇いて、悉く皆発生す。吾が旨を承くる者は、決して菩提を獲、吾が行に依る者は、定んで妙果を証せん。吾が偈を聴け。曰く、「心地は諸種を含み、普雨に悉く皆萌す。頓悟して花情已みなば、菩提の果自ずから成る」と。』師、偈を説き已りて曰く、『其の法は無二、其の心も亦た然り。其の道は清浄にして、亦た諸相無し。汝等慎みて静を観じ、及び其の心を空しくすること勿かれ。此の心は本浄にして、取捨すべき無し。各自努力し、縁に随いて好く去れ』と。爾の時、徒衆礼を作して退く。大師、七月八日、忽ち門人に謂いて曰く、『吾新州に帰らんと欲す、汝等速やかに舟楫を理えよ』と。大衆哀しみ留むること甚だ堅し。師曰く、『諸仏の出現すら、猶お涅槃を示す。来る有れば必ず去る、理も亦た常に然り。吾が此の形骸、帰するに必ず所有り』と。衆曰く、『師此れより去らば、早晩か回るべき』と。師曰く、『葉落ちて根に帰す、来る時口無し』と。又問いて曰く、『正法眼蔵は、何人にか伝付する』と。師曰く、『道有る者は得、心無き者は通ず』と。
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