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六祖壇経 / 般若品第二

善知識,智慧觀照,內外明徹,識自本心。若識本心,即本解脫。若得解脫,即是般若三昧。般若三昧即是無念。何名無念?若見一切法,心不染著,是為無念。用即遍一切處,亦不著一切處。但淨本心,使六識,出六門,於六塵中,無染無雜,來去自由,通用無滯,即是般若三昧,自在解脫,名無念行。若百物不思,當令念絕,即是法縛,即名邊見。

新字:善知識,智慧観照,内外明徹,識自本心。若識本心,即本解脫。若得解脫,即是般若三昧。般若三昧即是無念。何名無念?若見一切法,心不染著,是為無念。用即遍一切処,亦不著一切処。但浄本心,使六識,出六門,於六塵中,無染無雑,来去自由,通用無滞,即是般若三昧,自在解脫,名無念行。若百物不思,当令念絶,即是法縛,即名辺見。

書き下し

善知識よ、智慧もて觀照すれば、內外明徹にして、自らの本心を識る。若し本心を識らば、即ち本と解脫なり。若し解脫を得ば、即ち是れ般若三昧なり。般若三昧は即ち是れ無念なり。何をか無念と名づくる。若し一切の法を見るも、心染著せざる、是れを無念と為す。用ゐれば即ち一切處に遍きも、亦た一切處に著せず。但だ本心を淨くして、六識をして六門を出でしめ、六塵の中に於て、染無く雜無く、來去自由、通用滯り無からしむ。即ち是れ般若三昧、自在解脫、無念行と名づく。若し百物を思はず、當に念をして絕えしむれば、即ち是れ法縛なり、即ち邊見と名づく。

現代語訳

善知識よ、智慧で照らして見れば、内も外も明らかに透き通り、自分の本心を知る。本心を知れば、それがそのまま解脱である。解脱を得れば、それが般若三昧である。般若三昧とはすなわち無念である。無念とは何か。あらゆるものを見ても、心が染まりつかない、それを無念という。用いればあらゆる所にゆきわたるが、どの所にもとどまらない。ただ本心を清らかにし、六識を六門から出して、六塵の中で、染まらず混じらず、来るも去るも自由に、はたらきが滞らないようにする。それが般若三昧であり、自在の解脱であり、無念の行という。もし何も思わないようにして、思いを断ち切ってしまうなら、それは法にしばられているのであり、片寄った見方という。

解説

「無念」という語は誤解されやすい。何も考えないこと、と受け取られる。慧能はその誤解を最後の一文で正面から潰している。「若し百物を思はず、當に念をして絕えしむれば、即ち是れ法縛なり」——何も思わないようにして念を断つのは、法にしばられているだけだ、と。ではどういうことか。「一切の法を見るも、心染著せざる」。見るのをやめるのではなく、見ても染まらない。そして「用ゐれば即ち一切處に遍きも、亦た一切處に著せず」。はたらきは全方位に及ぶが、どこにも粘りつかない。感覚を閉ざす方向ではなく、感覚を開いたまま滞らせない方向である。「來去自由、通用滯り無し」という言い方に、この教えの明るさがある。禅は引きこもる技術ではない。

この章句が説くこと

無念心不染著用即遍一切処百物不思は法縛

この一句を、あなたの毎日に。

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