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六祖壇経 / 般若品第二

善知識,何名般若?般若者,唐言智慧也。一切處所,一切時中,念念不愚,常行智慧,即是般若行。一念愚,即般若絕;一念智,即般若生。世人愚迷,不見般若。口說般若,心中常愚。常自言我修般若,念念說空,不識真空。般若無形相,智慧心即是。若作如是解,即名般若智。何名『波羅蜜』?此是西國語,唐言到彼岸,解義離生滅。著境生滅起,如水有波浪,即名於此岸,離境無生滅,如水常通流,即名為彼岸,故號波羅蜜。

新字:善知識,何名般若?般若者,唐言智慧也。一切処所,一切時中,念念不愚,常行智慧,即是般若行。一念愚,即般若絶;一念智,即般若生。世人愚迷,不見般若。口説般若,心中常愚。常自言我修般若,念念説空,不識真空。般若無形相,智慧心即是。若作如是解,即名般若智。何名『波羅蜜』?此是西国語,唐言到彼岸,解義離生滅。著境生滅起,如水有波浪,即名於此岸,離境無生滅,如水常通流,即名為彼岸,故号波羅蜜。

書き下し

善知識よ、何をか般若と名づくる。般若とは、唐言に智慧なり。一切の處所、一切の時中、念念に愚ならず、常に智慧を行ずる、即ち是れ般若行なり。一念愚なれば、即ち般若絕え、一念智なれば、即ち般若生ず。世人は愚迷にして、般若を見ず。口に般若を説くも、心中常に愚なり。常に自ら「我れ般若を修す」と言ひ、念念に空を説くも、真空を識らず。般若に形相無し、智慧の心即ち是れなり。若し是くの如き解を作さば、即ち般若智と名づく。何をか「波羅蜜」と名づくる。此れは是れ西國の語、唐言に到彼岸なり。義を解すれば生滅を離る。境に著すれば生滅起こる、水に波浪有るが如し、即ち此岸と名づく。境を離るれば生滅無し、水の常に通流するが如し、即ち彼岸と名づく。故に波羅蜜と號す。

現代語訳

善知識よ、般若とは何か。般若とは、こちらの言葉で智慧である。あらゆる場所、あらゆる時に、思いの一つ一つが愚かでなく、常に智慧を行ずる、それが般若の行である。一念が愚かであれば般若は絶え、一念が智であれば般若が生じる。世の人は愚かに迷って般若を見ない。口では般若を説いても、心の中は常に愚かだ。いつも「私は般若を修めている」と言い、念々に空を説きながら、真の空を知らない。般若に形はない。智慧の心がそのまま般若である。このように理解すれば、それを般若智という。波羅蜜とは何か。これは西方の言葉で、こちらの言葉で「彼岸に到る」である。意味をとけば、生滅を離れることだ。対象にとらわれれば生滅が起こる。水に波が立つようなもので、これを此岸という。対象を離れれば生滅はない。水が絶えず流れているようなもので、これを彼岸という。だから波羅蜜と呼ぶ。

解説

「般若」と「波羅蜜」の二語を解く。般若=智慧の定義がまず面白い。難しい理論ではなく、「一切の處所、一切の時中、念念に愚ならず」——いつでもどこでも、思いの一つ一つが愚かでないこと。時間の長さでも量でもなく、いま起きている一念の質で測る。だから「一念愚なれば、即ち般若絕え、一念智なれば、即ち般若生ず」。智慧は蓄積された財産ではなく、一念ごとに生まれたり消えたりする。修めた実績にはならない。だから「常に自ら『我れ般若を修す』と言ふ」人ほど危うい、と続く。彼岸の説明も具体的だ。水に波が立つのが此岸、水がそのまま流れているのが彼岸。同じ水で、場所が変わるのではない。とらわれるか離れるかの差にすぎない。

この章句が説くこと

般若=智慧一念愚一念智般若無形相彼岸此岸水と波

この一句を、あなたの毎日に。

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