六祖壇経 / 行由品第一
「菩提本無樹, 明鏡亦非台, 本來無一物, 何處惹塵埃。」
新字:「菩提本無樹, 明鏡亦非台, 本来無一物, 何処惹塵埃。」
書き下し
「菩提本より樹無し、 明鏡も亦た臺に非ず、 本來無一物、 何れの處にか塵埃を惹かん。」
現代語訳
「悟りにはもともと樹などない。 明るい鏡もまた台ではない。 もともと一つの物もない。 どこに塵や埃がつくというのか」。
解説
慧能が神秀の偈に応えて書かせた偈で、禅の歴史をここで折り返させた四句である。神秀が立てた三つ——鏡と、磨く人と、塵——を、順に外していく。樹は無い。台も無い。そして「本來無一物」。もともと何も無いのだから、塵のつく場所も無い。磨く努力を否定しているのではなく、磨くという構図そのものが成り立たないと言っている。字の読めない慧能は人に書かせてこの偈を壁に掲げさせた。五祖は人前ではこれを消してみせ、夜中に慧能を呼んで法を伝える。神秀の偈が誤りだったのではない。正しく努力する道の、さらに手前を突いたのがこの四句だった。「本來無一物」は日本でも禅語として広く掛けられる。
この章句が説くこと
菩提本無樹本来無一物慧能の偈構図を外す
関連する章句
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『六祖壇経』行由品第一身は是れ菩提樹 心は明鏡臺の如し 時時に勤めて拂拭し 塵埃を惹かしむる勿れ
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『六祖壇経』行由品第一遂に童子に問ひて曰く、「誦する者は何の偈ぞ」と。童子曰く、「爾、這の獦獠は知らず。大師言ふ、世人生死事大なり、衣法を伝付せんと欲し、門人をして偈を作りて来り看せしむ。若し大意を悟らば、即ち衣法を付して第六祖と為さんと。神秀上座、南廊の壁上に於て無相の偈を書す。大師、人をして皆誦せしめ、此の偈に依りて修せば悪道に堕つるを免れ、此の偈に依りて修せば大利益有りと」と。恵能曰く、「上人、我此に碓を踏むこと八個余月、未だ曾て行きて堂前に到らず。望むらくは上人、引きて偈の前に至り礼拝せしめよ」と。童子引きて偈の前に至り礼拝せしむ。恵能曰く、「恵能は字を識らず。請ふ、上人為に読め」と。時に江州の別駕、姓は張、名は日用なる有り、便ち高声に読む。恵能聞き已りて、遂に言ふ、「亦一偈有り。望むらくは別駕為に書せよ」と。別駕言ふ、「汝も亦偈を作る、其の事希有なり」と。恵能、別駕に向ひて言ふ、「無上菩提を学ばんと欲せば、初学を軽んずるを得ず。下下の人にも上上の智有り、上上の人にも没意智有り。若し人を軽んぜば、即ち無量無辺の罪有り」と。別駕言ふ、「汝但だ偈を誦せよ、吾汝が為に書せん。汝若し法を得ば、先づ須らく吾を度すべし。此の言を忘るること勿れ」と。恵能の偈に曰く、
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『六祖壇経』行由品第一秀、偈を書し了りて、便ち却(かへ)りて房に帰り、人総て知らず。秀復た思惟す、五祖明日偈を見て歓喜せば、即ち我、法と縁有り。若し堪へずと言はば、自ら是れ我迷ひ、宿業障重く、法を得るに合(かな)はず。聖意測り難し、と。房中に思想し、坐臥安からず、直ちに五更に至る。祖已に神秀の門に入りて未だ得ず、自性を見ざるを知る。天明けて、祖、盧供奉を喚びて来らしめ、南廊の壁間に向ひて図相を絵画せしめんとするに、忽ち其の偈を見て、報じて言ふ、「供奉、却つて画くを用ひず。爾を労して遠く来らしむ。経に云ふ、『凡そ所有(あらゆ)る相は、皆是れ虚妄なり』と。但だ此の偈を留めて、人に誦持せしめ、此の偈に依りて修せしめん。悪道に堕つるを免れ、此の偈に依りて修せば、大利益有り」と。門人をして香を炷(た)きて礼敬し、尽く此の偈を誦せしめ、即ち見性することを得しむ。門人偈を誦して、皆善き哉と嘆ず。祖、三更に秀を喚びて堂に入らしめ、問ひて曰く、「偈は是れ汝の作なりや否や」と。秀言ふ、「実に是れ秀の作なり。敢へて妄りに祖位を求めず。望むらくは和尚慈悲もて、弟子に少しの智慧有りや否やを看たまへ」と。祖曰く、「汝が此の偈を作るは、未だ本性を見ず。只だ門外に到りて、未だ門内に入らず。此の如き見解にては、無上菩提を覓むるも了に得べからず。無上菩提は、須らく言下に自らの本心を識り、自らの本性の不生不滅なるを見るべし。一切時中に於て、念念に自ら見て、万法に滞ること無し。一真なれば一切真なり。万境自ら如如たり。如如の心、即ち是れ真実なり。若し是の如く見ば、即ち是れ無上菩提の自性なり。汝且(しばら)く去りて、一両日思惟し、更に一偈を作りて、将ち来りて吾に看せしめよ。汝が偈若し門に入り得ば、汝に衣法を付せん」と。神秀、礼を作して出づ。又数日を経て、偈を作るも成らず、心中恍惚として、神思安からず、猶ほ夢中の如く、行坐楽しまず。一復た両日、一童子有り、碓坊を過ぎて其の偈を唱誦す。恵能一たび聞きて、便ち此の偈の未だ本性を見ざるを知る。未だ教授を蒙らずと雖も、早く大意を識る。
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『六祖壇経』行由品第一此の偈を書し已るに、徒衆総て驚き、嗟訝せざる無く、各相謂ひて言ふ、「奇なる哉。貌を以て人を取るを得ず。何ぞ多時、他の肉身菩薩を使ふことを得たる」と。祖、衆人の驚怪するを見て、人の損害せんことを恐れ、遂に鞋を将て偈を擦り了(をは)りて曰く、「亦未だ見性せず」と。衆以て然りと為す。次の日、祖潜かに碓坊に至り、能の石を腰にして米を舂くを見て、語りて曰く、「道を求むるの人は、法の為に躯を忘る。当に是の如くなるべきか」と。乃ち問ひて曰く、「米熟するや未だしや」と。恵能曰く、「米熟すること久し。猶ほ篩(ふるひ)を欠く在り」と。祖、杖を以て碓を撃つこと三下して去る。恵能即ち祖の意を会し、三鼓に室に入る。祖、袈裟を以て遮り囲み、人をして見しめず、為に金剛経を説く。「応に住する所無くして其の心を生ずべし」に至りて、恵能言下に大悟し、一切万法、自性を離れず。
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『六祖壇経』行由品第一大師眾に告げて曰く、「善知識よ、菩提の自性は、本來清淨なり。但だ此の心を用ゐれば、直ちに了りて成佛す。善知識よ、且く惠能が行由得法の事意を聽け」と。
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『六祖壇経』機縁品第七「惠能に伎倆沒し、百思想を斷ぜず。 境に對して心數〻起こる、菩提作麼か長ぜん。」
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