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臨済録 / 行録

師栽松次,黃蘗問:「深山裏栽許多,作什麼?」師云:「一與山門作境致,二與後人作標榜。」道了,將钁頭打地三下。黃蘗云:「雖然如是,子已喫吾三十棒了也。」師又以钁頭打地三下,作噓噓聲。黃蘗云:「吾宗到汝大興於世。」後溈山舉此語問仰山:「黃蘗當時秖囑臨濟一人,更有人在?」仰山云:「有,秖是年代深遠,不欲舉似和尚。」溈山云:「雖然如是,吾亦要知,汝但舉看。」仰山云:「一人指南吳越令行,遇大風即止。」師侍立德山次,山云:「今日困。」師云:「這老漢寐語作什麼?」山便打,師掀倒繩床,山便休。

新字:師栽松次,黄蘗問:「深山裏栽許多,作什麼?」師云:「一与山門作境致,二与後人作標榜。」道了,将钁頭打地三下。黄蘗云:「雖然如是,子已喫吾三十棒了也。」師又以钁頭打地三下,作噓噓声。黄蘗云:「吾宗到汝大興於世。」後溈山舉此語問仰山:「黄蘗当時秖囑臨済一人,更有人在?」仰山云:「有,秖是年代深遠,不欲舉似和尚。」溈山云:「雖然如是,吾亦要知,汝但舉看。」仰山云:「一人指南吳越令行,遇大風即止。」師侍立徳山次,山云:「今日困。」師云:「這老漢寐語作什麼?」山便打,師掀倒縄床,山便休。

書き下し

師松を栽うる次いで、黃蘗問ふ、「深山裏に許多を栽ゑて、什麼をか作す」と。師云く、「一には山門與に境致を作し、二には後人與に標榜を作す」と。道ひ了りて、钁頭を將って地を打つこと三下。黃蘗云く、「然りと雖も是くの如し、子已に吾が三十棒を喫し了れり」と。師又た钁頭を以て地を打つこと三下、噓噓の聲を作す。黃蘗云く、「吾が宗、汝に到りて大いに世に興らん」と。後に溈山此の語を舉げて仰山に問ふ、「黃蘗當時秖だ臨濟一人に囑す。更に人有りや」と。仰山云く、「有り。秖だ是れ年代深遠にして、和尚に舉似せんと欲せず」と。溈山云く、「然りと雖も是くの如し、吾も亦た知らんことを要す。汝但だ舉し看よ」と。仰山云く、「一人南を指して吳越に令行はれ、大風に遇へば即ち止まん」と。

現代語訳

慧照が松を植えているとき、黄檗が問うた。「深山にそんなに植えて、どうするのか」。慧照は言った。「一つには山門のために景色を作り、二つには後の人のために目じるしを作ります」。言い終えると、鍬で地面を三度打った。黄檗は言った。「そうは言っても、おまえはもうわしの三十棒を食らったな」。慧照はまた鍬で地面を三度打ち、ふうっと息を吐く声を出した。黄檗は言った。「わが宗は、おまえの代になって大いに世に興るだろう」。のちに潙山がこの話を挙げて仰山に問うた。「黄檗はあのとき臨済ひとりに託した。ほかにも人がいたのか」。仰山は言った。「います。ただ年代がずっと先のことなので、和尚に申し上げたくないのです」。潙山は言った。「そうは言っても、わしも知りたい。ともかく挙げてみよ」。仰山は言った。「一人が南を指して呉越に教えを行き渡らせ、大風に遇えばそこで止まるでしょう」。

解説

臨済が深山で松を植えている。黄檗が「何のために」と問う。答えが二つ挙げられる。山門の景色のため、そして後の人の目じるしのため。自分が見るためではない。自分が生きているあいだには大きくならない木を、後から来る者のために植えている。言い終えて鍬で地面を三度打つのは、言葉に頼らないという合図である。黄檗は「三十棒を喫し了れり」と、打ちもせずに打ったことにしてしまう。臨済がまた三度打ち、息を吐く。そこで黄檗が言う。「吾が宗、汝に到りて大いに世に興らん」。後継の予言がここで下される。松を植えるという行為と、宗門を継がせるという判断が重なっている。後半の潙山と仰山の問答も、はるか先の代の人物を予言する形になっていて、時間の遠さがこの一段を貫いている。目じるしを立てるとは、自分が受け取らない結果のために働くことである。

この章句が説くこと

栽松黄檗後人作標榜潙山仰山後継の予言

この一句を、あなたの毎日に。

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