臨済録 / 勘辨
趙州行脚時參師,遇師洗脚次,州便問:「如何是祖師西來意?」師云:「恰值老僧洗脚。」州近前作聽勢,師云:「更要第二杓惡水潑在。」州便下去。
新字:趙州行脚時参師,遇師洗脚次,州便問:「如何是祖師西来意?」師云:「恰値老僧洗脚。」州近前作聴勢,師云:「更要第二杓悪水溌在。」州便下去。
書き下し
趙州行脚の時、師に參ず。師の洗脚に遇ふ次いで、州便ち問ふ、「如何なるか是れ祖師西來の意」と。師云く、「恰も老僧の洗脚に值へり」と。州近前して聽く勢を作す。師云く、「更に第二杓の惡水を潑ぎ在けんことを要すか」と。州便ち下り去る。
現代語訳
趙州が行脚していたとき、慧照に参じた。ちょうど慧照が足を洗っているところに出くわし、趙州はすぐに問うた。「達磨が西から来た意とは何ですか」。慧照は言った。「ちょうど老僧が足を洗っているところに出くわしたな」。趙州は身を近づけて聴く構えをした。慧照は言った。「もう一杓、汚れ水を浴びせてほしいのか」。趙州はそのまま去っていった。
解説
のちに「趙州狗子」の公案で知られる趙州従諗が、若い行脚の頃に臨済を訪ねた場面である。よりによって足を洗っている最中に、禅の最大の問いをぶつけた。臨済の返しは「恰も老僧の洗脚に值へり」——ちょうど足を洗っているところに来たな。答えていない。いや、いま目の前で起きていること以外に答えはない、と示している。趙州はそこで身を乗り出し、聴く構えを作る。もっと言え、という姿勢である。臨済はそれを許さない。「更に第二杓の惡水を潑ぎ在けんことを要すか」——もう一杯、汚れ水をかけてほしいのか。自分の言葉を汚れ水と呼んでいる。ありがたい教えとして受け取ろうとした瞬間に、その受け取り方を汚水扱いで断つ。趙州は何も言わずに去った。負けたのでも拒まれたのでもなく、それ以上やることがなかった、という去り方である。
この章句が説くこと
趙州従諗祖師西来意恰値老僧洗脚第二杓悪水
関連する章句
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『臨済録』示衆問ふ、「如何なるか是れ西來意」と。師云く、「若し意有らば、自ら救ふも了せじ」と。云く、「既に意無くんば、云何ぞ二祖法を得たる」と。師云く、「得るとは是れ不得なり」と。云く、「既に若し得ずんば、云何なるか是れ不得底の意」と。師云く、「爾一切處に向かって馳求し、心歇むこと能はざるが為なり。所以に祖師言く、『咄、丈夫よ、頭を將って頭を覓む』と。儞言下に便ち自ら回光返照して、更に別に求めざれ。身心の祖佛と別ならざるを知り、當下に無事なる、方に法を得と名づく。大德、山僧今時事已むを獲ず、話度して許多の不才淨を説き出だす。爾且く錯る莫かれ。我が見處に據らば、寔に許多般の道理無し。用ゐんと要さば便ち用ゐ、用ゐずんば便ち休せよ」と。
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『碧巌録』第二則這の僧出で来る、也た妨げず奇特なることを。趙州の空処を捉へて、便ち去いて他を拶す、「既に明白裏に在らずんば、箇の什麼をか護惜せん」。趙州更に棒を行ぜず喝を行ぜず、只だ道ふ、「我も亦た知らず」。若し是れ這の老漢にあらずんば、他に拶著せられて、往往に前を忘れ後を失せん。頼に是れ這の老漢、転身自在の処有り、所以に此の如く他に答ふ。如今の禅和子、問著すれば也た道ふ、「我も亦た知らず、不会」と。争奈せん途を同じうして轍を同じうせざることを。這の僧奇特の処有り、方に始めて問ふことを会す、「和尚既に知らずんば、什麼と為てか却つて明白裏に在らずと道ふ」。更に好き一拶なり。若し是れ別人ならば、往往に分疏不下ならん。趙州は是れ作家、只だ他に向つて道ふ、「事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了つて退け」。這の僧依旧として這の老漢を奈何ともすること無く、只だ気を飲み声を呑むことを得たり。此れは是れ大手の宗師、爾と玄を論じ妙を論じ、機を論じ境を論ぜず、一向に本分の事を以て人を接す。所以に道ふ、「相罵らば爾が嘴を接ぐに饒し、相唾せば爾が水を潑ぐに饒す」。殊に知らず、這の老漢、平生棒喝を以て人を接せず、只だ平常の言語を以てすることを。只だ是れ天下の人奈何ともせず。蓋し他の平生許多の計較無きが為に、所以に横拈倒用、逆行順行、大自在を得たり。如今の人理会し得ず、只管に道ふ、「趙州答話せず、人の為に説かず」と。殊に知らず、当面に蹉過することを。
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『驢鞍橋』卷中同録。竜牙問う、如何なるか是れ祖師西来意。臨済曰く、我が与に禅版を過し来れ。牙便ち禅版を過して済に与う。済接得して便ち打つ。牙云く、打つことは即ち打つに任す、要且つ祖師意無し。牙後に翠微に到って問う、如何なるか是れ祖師西来意。微云く、我が与に蒲団を過し来れ。牙便ち蒲団を過して翠微に与う。微接得して便ち打つ。牙云く、打つことは即ち打つに任す、要且つ祖師意無し。牙住院の後、僧有り入室請益して云く、和尚行脚の時、二尊宿に参ず、因縁還た他を肯うや也た無や。牙云く、肯うことは即ち深く肯う、要は祖師意無し。一僧問ふ、竜牙昔日翠微、臨済の二尊宿に参して問話すれ共、因縁不契といふ人あり、是也や。師云はく、如何にしても、此の問答未悟の働にあらす、慥に竜牙悟上の勘弁也。
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『臨済録』勘辨定上座有り、到り參じて問ふ、「如何なるか是れ佛法の大意」と。師繩床を下り、擒住して一掌を與へて便ち托開す。定佇立す。傍の僧云く、「定上座、何ぞ禮拜せざる」と。定方に禮拜し、忽然として大悟す。
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『臨済録』勘辨一老宿有り、師に参じ、未だ曾て人事せずして便ち問う、「礼拝するが即ち是か、礼拝せざるが即ち是か。」師便ち喝す。老宿便ち礼拝す。師云く、「好箇の草賊。」老宿云く、「賊、賊。」便ち出で去る。師云く、「無事にして好しと道うこと莫かれ。」首座侍立する次いで、師云く、「還って過有りや。」首座云く、「有り。」師云く、「賓家に過有りや、主家に過有りや。」首座云く、「二俱に過有り。」師云く、「過は什麼の処にか在る。」首座便ち出で去る。師云く、「無事にして好しと道うこと莫かれ。」後に僧有り、南泉に挙似す。南泉云く、「官馬相踏む。」師因みに軍営に入って斎に赴く。門首に員僚を見る。師、露柱を指して問う、「是れ凡か、是れ聖か。」員僚無語。師、露柱を打って云く、「直饒(たとい)道い得るも、也た秖だ是れ箇の木橛(ぼっけつ)。」便ち入り去る。師、院主に問う、「什麼の処よりか来たる。」主云く、「州中に黄米を糶(う)りに去り来たる。」師云く、「糶り得尽くすや。」主云く、「糶り得尽くす。」師、杖を以て面前に一画を画して云く、「還って這箇を糶り得るや。」主便ち喝す。師便ち打つ。典座至る。師前語を挙す。典座云く、「院主、和尚の意を会せず。」師云く、「爾は作麼生。」典座便ち礼拝す。師亦た打つ。座主有り、来たって相看する次いで、師、座主に問う、「何の経説をか講ず。」主云く、「某甲荒虚にして粗(ほぼ)百法論を習う。」師云く、「一人有り、三乗十二分教に於いて明らめ得、一人有り、三乗十二分教に於いて明らめ得ず、是れ同か是れ別か。」主云く、「明らめ得れば即ち同、明らめ得ざれば即ち別。」楽普、侍者為りて師の後に在って立ち、云く、「座主、這裏は是れ什麼の所在ぞ、同と説き別と説く。」師、首を回らして侍者に問う、「汝又た作麼生。」侍者便ち喝す。師、座主を送り、回り来たって遂に侍者に問う、「適来是れ汝、老僧を喝せしか。」侍者云く、「是。」師便ち打つ。師、第二代徳山の垂示を聞く、云く、「道い得るも也た三十棒、道い得ざるも也た三十棒。」
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