臨済録 / 示衆
唯有聽法無依道人,是諸佛之母,所以佛從無依生。若悟無依,佛亦無得。若如是見得者,是真正見解。學人不了,為執名句,被他凡聖名礙,所以障其道眼不得分明。秖如十二分教皆是表顯之說,學者不會,便向表顯名句上生解,皆是依倚落在因果,未免三界生死。爾若欲得生死去住脫著自由,即今識取聽法底人:無形、無相、無根、無本、無住處。活撥撥地,應是萬種施設,用處秖是無處,所以覓著轉遠、求之轉乖,號之為祕密。道流!爾莫認著箇夢幻伴子,遲晚中間便歸無常。爾向此世界中覓箇什麼物作解脫,覓取一口飯喫補毳過時,且要訪尋知識,莫因循逐樂。光陰可惜,念念無常,麁則被地、水、火、風,細則被生、住、異、滅四相所逼。
新字:唯有聴法無依道人,是諸仏之母,所以仏従無依生。若悟無依,仏亦無得。若如是見得者,是真正見解。学人不了,為執名句,被他凡聖名礙,所以障其道眼不得分明。秖如十二分教皆是表顕之説,学者不会,便向表顕名句上生解,皆是依倚落在因果,未免三界生死。爾若欲得生死去住脫著自由,即今識取聴法底人:無形、無相、無根、無本、無住処。活撥撥地,応是万種施設,用処秖是無処,所以覓著転遠、求之転乖,号之為秘密。道流!爾莫認著箇夢幻伴子,遅晩中間便帰無常。爾向此世界中覓箇什麼物作解脫,覓取一口飯喫補毳過時,且要訪尋知識,莫因循逐楽。光陰可惜,念念無常,麁則被地、水、火、風,細則被生、住、異、滅四相所逼。
書き下し
唯だ法を聽く無依の道人有るのみ、是れ諸佛の母なり。所以に佛は無依より生ず。若し無依を悟らば、佛も亦た得る無し。若し是くの如く見得する者は、是れ真正の見解なり。學人了せざるは、名句に執するが為に、他の凡聖の名に礙へられ、所以に其の道眼を障へて分明なることを得ず。秖だ十二分教の如きは皆な是れ表顯の説なり。學者會せずして、便ち表顯の名句上に向かって解を生ず。皆な是れ依倚して因果に落在し、未だ三界の生死を免れず。爾若し生死去住脫著自由なるを得んと欲せば、即今聽法底の人を識取せよ。形無く、相無く、根無く、本無く、住處無し。活撥撥地として、應に是れ萬種の施設なるも、用ゐる處は秖だ是れ處無し。所以に覓め著くれば轉た遠く、之を求むれば轉た乖く。之を號して祕密と為す。道流、爾箇の夢幻の伴子を認め著くる莫かれ。遲晚の中間に便ち無常に歸せん。
現代語訳
ただ法を聴いている、何にも依らない道人がいるだけだ。それが諸仏の母である。だから仏は無依から生じる。もし無依を悟れば、仏もまた得るものがない。このように見てとれる者、それが真正の見解である。学人が分からないのは、名前と言葉に執着するからで、凡だ聖だという名前にさえぎられ、それで道の眼をふさがれて明らかになれない。十二分教というものもみな、示すための言い方にすぎない。学ぶ者はそれが分からず、その示すための名句の上に理解を作ってしまう。みな何かに依りかかって因果に落ち、いまだ三界の生死を免れない。おまえがもし、生き死にも去るも留まるも脱ぐも着るも自由になりたいなら、いま法を聴いている当の人を見てとれ。形なく、相なく、根なく、本なく、住む場所もない。生き生きとして、あらゆる設けに応じるが、はたらく場所はどこでもない。だから探しにいけばいくほど遠ざかり、求めれば求めるほどずれる。これを秘密と呼ぶ。道流よ、おまえは夢まぼろしの連れを本物と思い込むな。遅かれ早かれ無常に帰する。